日本のIT系企業の動向に目を配っている人で、SmartHRの名を知らない人はいないだろう。DXの最後のフロンティアと言われた人事労務系のSaaSとして大躍進を続けており、2021年6月に時価総額約1700億円でシリーズDラウンドの資金調達を行いユニコーン企業となった。
芹澤氏は、そんなSmartHRの創業期からのメンバーだ。入社時は社員が3人しかおらず、4人目の社員だったという。エンジニアとして成長を支え続け、2019年にCTOに就任。2022年1月、今や伝説的起業家となった創業者の宮田昇始氏(現Nstock代表取締役)の後を継いでCEOに就任した。
今回は、芹澤氏に若いエンジニアを中心として多くの人に薦めたい本を選んでもらった。

経営に携わるようになってから、読む本の幅が広がった
今回は「エンジニアになりたての方に向けて本を選んでほしい」と聞いていました。エンジニアといってもさまざまな職種がありますが、ここでは特にウェブエンジニアとして歩み始めた人、また社会人になったばかりの人を含めて、読んでほしい本を選びました。
マネジメント系、経営者の人向けの本は外しました。そういうのは、5年目、6年目と経験を積んでから読めばいいかなと。P.F.ドラッカーの『経営者の条件』が入っていますが(後編に掲載)、これは社会人1年目の人にも読んでもらいたいと思っています。むしろ、この本はタイトルの付け方で経営者向けに見えてしまって、損をしているんじゃないかと思います(原題は『The Effective Executive』)。
本はよく読みますね。子どものころから本は好きでしたが、会社経営に携わるようになってから「インプットを増やさなきゃ」という意識が強くなりました。エンジニア時代には、技術書をたくさん読んでいましたが、チームを率い、経営に携わるようになってファイナンスやマーケティングについても勉強しなくてはならなくなりました。読むのは週に1冊ぐらいですが、速読というわけではなく、しっかりと読むようにしています。
読む本は、人から教えてもらったり、ウェブ記事のおすすめ書籍をチェックしたりして見つけています。月に何回か、書店にも足を運んで平積みされている本を見るようにしています。
エンジニアの生き方の指針となる、超一流ハッカーの頭の中
「ハッカーが単なる実装者で、仕様をコードに置き換えているだけなら、溝を掘る作業者みたいに端から端まで順番に仕上げてゆくだろう。でもハッカーが創造者ならば、ひらめきを考えに入れなければならない。」
著者のポール・グレアムって、スタートアップ文化を作ったような人で、ウェブアプリの黎明(れいめい)期を作ったサービスのひとつであるViaweb(1995年に公開されたオンラインショップ構築サービス)を作って売却したり、Y Combinator(シリコンバレーの代表的なスタートアップ・アクセラレーター。Dropbox、Airbnb、Reddit、Stripeなど数多くのユニコーン企業を輩出)を立ち上げたりした人です。
彼は超一流のハッカーで、技術それ自体を楽しみつつも「それを世の中にどう還元するか? 事業としてどう成立させるか?」という視点が鋭いところが素晴らしいと思います。この本自体はエッセーなので、起業の方法みたいなノウハウが書かれているわけではありません。でも文章は上手ですし、すごく面白いんです。翻訳も上手ですよね。読んでいて爽快です。
「ハックするってこういうことか!」という学びがあります。「ハック」って言葉、すごく好きなんですよ。日本だと「ハッカー」というとネガティブなニュアンスがありますが、実際には「創意工夫」とか「出し抜く」とか、そういう意味なんです。「技術をこういうところに使うと面白い」というのが随所に感じられて、こういう人になりたいな……と思います。
かつ、それが自己満足ではなくて、ちゃんと世の中のため、事業のためにつながっているんですよね。エゴで技術を磨くというのではなく、自分自身は無邪気に技術を習得しているんだけれど、でもちゃんとそれを事業にして、成功していく。断定的な物言いにも力強さがあります。ブログを書くエンジニアは多いと思いますが、ポール・グレアムを意識している人も少なくないのではないでしょうか。

これ、実はけっこう古い本なんですよ。元になったブログ記事は2000年代初期に書かれているはずです。でも、すごく先のことを見通しているんですよ。インターネットがある世の中がどうなっていくかも予見しています。
Y Combinatorで彼と面識のある知人に聞いたのですが、本人は非常に厳しい人らしいです。スタートアップ・アクセラレーターなので、当然、多くのスタートアップが彼に対してプレゼンをするわけですが、本当にズバズバと言われるのだとか。
この本は「エンジニアとしてどう生きていくか」のガイドラインとして、僕もたまに読み返します。今からエンジニアを目指そうという学生にも読んでもらいたいし、いろいろなレベル、年齢のエンジニアに読んでほしい本です。
もの作りのレベルが格段に上がる「正しいデザイン」の基礎
「技術者は、ものごとを論理的に考えるように訓練されている。その結果、彼らはすべての人々が論理的に考えると思うようになり、それに応じて機械をデザインする。人々が問題を起こすと技術者は困惑する。しかし困惑する理由は間違っていることが多い。(中略)多くの技術者によるデザインの問題点は、それが論理的過ぎることである。」
これもけっこう古い本で、初版は40年近く前の本のはずです。
この本は、新入社員など、エンジニアの仕事を始めたころに読むのがおすすめです。エンジニアって、技術書は読んでも、デザイン系の本まで読む人はあまり多くないですよね。でも、エンジニアリングって「≒デザイン」なんですよ。日本人は「デザイン」と聞くと絵やアートみたいな世界を想像するんですが、本来は「課題を解決するためにどう設計するか?」がデザインなんですよね。
この『誰のためのデザイン?』は、いわゆるアフォーダンス(物が人に対してどんな使い方を示唆しているか?という概念)のような認知科学が元になっています。例えば、ドアの取っ手が棒状なら「引けそう」、平面状の板があれば「押せそう」と感じるような、人間の認知について考慮したデザインですね。
「このデザインだと、ユーザーは使い方がわからなくて、認知的に失敗している」など、今でいうUX(ユーザー・エクスペリエンス)の基礎ともなる本です。エンジニアも、こうした「正しい意味でのデザイン」を意識しながら開発できるかどうかで、それから先のもの作りのレベルが段違いになります。エンジニアとしてのキャリアの初期にこういう本を読むのは、とても大事だと思います。

僕が中学生のころ、まだプログラミングのハードルがとても高くて、コードを書くだけで精いっぱいでした。そのころはデザインにまで気を配れなくて、今考えると使いにくい、ダサいものを作っていました。
でも、今やプログラミングの技能自体はかなり民主化されて、とてもハードルが下がっています。コードを書くだけならそれほど難しくありません。だからこそ、ちゃんとデザインを勉強してコードを書く必要があります。「このプログラムで解決したいことは何で、ユーザーはどういう人で、だからこういう機能を持たせた」というところまで、エンジニアが語れないといけません。
アフォーダンスの概念を知って、それを意識するだけでも着実にレベルが上がると思います。なかには「それはデザイナーの仕事でしょ?」と思うエンジニアもいるかもしれませんが、AIの普及で、これからエンジニアに求められる仕事のレベルは高くなるはずです。だからこそ、エンジニアもちゃんとデザインを意識して開発する必要があります。
最初は「良いコードとは何か?」というところで悩みます。でも、さらに経験を積んで「良いデザインとは何か?」「良いプロダクトとは何か?」ということに思いを巡らせられるようになると、仕事がもっと楽しくなってくると思います。ものを作る人は、いろいろなことに興味があるほうがいいですよね。
例えば「このアプリ、目が不自由な人も利用するのではないか?」という視点もそうですね。今はスクリーンリーダーというものがあって、画面の要素を読み上げてくれます。そのときに使いやすいかどうか?ということもデザインです。それはアクセシビリティという分野ですが、弱視の人、色の区別がつきにくい人、手の感覚が弱い人、あるいは高齢者や子どもなど、いろんなユーザーの状況を想定して、「彼らにとっての良いデザインとは何か?」ということも考えられるようになると、仕事はどんどん面白くなってきます。
『誰のためのデザイン?』は、そうしたエンジニアとしてレベルの高い考え方を身に付けるための起点となる本だと思います。
(後編に続く)
取材・文:村上タクタ/写真:尾関祐治(人物)、スタジオキャスパー(書籍)/構成:西 倫英=日経BOOKSユニット第2編集部

