東京・大田区にある町工場・ダイヤ精機2代目社長の諏訪貴子さんは、ジリ貧状態にあった同社を再建し、幾度となく訪れた危機を乗り越えて「人が辞めない最強の職人集団」をつくり上げた。自身は常にポジティブ思考が身についているという諏訪さんだが、社員の中には悩んだり苦しんだりする人もいる。連載第3回は、諏訪さんがそんな社員に参考にしてもらおうと手渡す本について聞いた。また想像の世界に浸れてリフレッシュできる1冊も紹介する。

「嫌なことを引きずる社員もいる」と知り…

 私が2代目社長に就いた当時のダイヤ精機は、バブル崩壊後の景気低迷の影響を抜け出すことができず、深刻な経営難に直面していました。

 会社を存続させるため、5人の社員のリストラを敢行し、「3年の改革」と題した経営改革に取り組みました。幸い、取引先のグローバル展開強化という特需が発生したこともあり、業績はV字回復を遂げました。

 ただ、社内で私は社員からの猛反発に遭いました。私が取り組んだことすべてに対して、「どうして、そんなことが必要なのか」「なぜ、やらなくてはいけないのか」という抵抗があり文句が出たのです。私の中では「会社を良くするため、社員を守るためには、絶対にこれが必要なのに」「どうして反発ばかりするのか」という不満や鬱憤がたまるばかりでした。

 そんな時、出合ったのが「世の中には幸も不幸もない。考え方次第だ」というシェークスピアの言葉です。「何事も考えようだ」と霧が晴れたような気分になりました。専業主婦では到底味わえない貴重な経験をたくさん積んでいることも、一緒に頑張っていこうとしている社員に囲まれていることも、実はとてもラッキーだと思うことができました。

 以来、私はネガティブな思考を排除し、何事も前向きに物事を考えることができるようになりました。「まあ、いいか。なんとかなる」と口に出し、悪い思考のスイッチを切る習慣が身についているので、思い悩むこともありません。

 ダイヤ精機で工場長や副工場長らリーダーたちを集めた会議をしていた時のことです。「リーダーの資質って、嫌なことがあってもすぐに忘れられることだよね! 私は一晩寝たら忘れるけど、みんなもそうでしょう?」

 何気なくこう語りかけると、みんな「いや、僕は結構引きずるタイプです」「嫌なことはなかなか忘れられません」と言います。

 ダイヤ精機では2018年に、現場の中核を担っていた幹部社員が心の病気を患い退社してしまうという出来事がありました。私はその社員が抱えていたしんどさ、つらさに気づけなかったことに自責の念を感じ、日本能力開発推進協会のJADP認定上級心理カウンセラーの資格取得を決断しました。

 一見、元気そうに楽しそうにしている社員でも、心の内は見えないものです。私に身についたポジティブな考え方も、社員全員に浸透しているわけではありません。日々悩んだり、苦しんだりする人もいます。自分と同じ基準で考えてはいけないと改めて肝に銘じました。

 自分とは異なる社員をどう導いていくのが良いのか。それを知りたいと読んだのが『 超訳 般若心経 “すべて”の悩みが小さく見えてくる 』(境野勝悟著、知的生きかた文庫)と『 小さなことにくよくよしない88の方法 』(リチャード・カールソン著、和田秀樹訳、王様文庫)です。

「楽しく幸せに生きるヒント」を本で伝える

 「般若心経」は「論語」とともに、以前から読んでみたいと思っていた本です。わずか262文字で構成される般若心経には仏教の神髄が凝縮され、あらゆる悩みを解消する知恵が詰まっています。「超訳」ならば読みやすいのではないかと思い手に取りました。

『超訳 般若心経 “すべて”の悩みが小さく見えてくる』(境野勝悟著、知的生きかた文庫)
『超訳 般若心経 “すべて”の悩みが小さく見えてくる』(境野勝悟著、知的生きかた文庫)

 『小さなことにくよくよしない88の方法』は、人間関係、仕事、家庭などで起きる小さなトラブルにとらわれず、ストレスを減らすための方法が具体的に提案されています。

『小さなことにくよくよしない88の方法』(リチャード・カールソン著、和田秀樹訳、王様文庫)
『小さなことにくよくよしない88の方法』(リチャード・カールソン著、和田秀樹訳、王様文庫)

 この2冊には、私自身は日々当たり前のように実践しつつも、言語化できていなかった「毎日楽しく幸せに生きるためのヒント」が詰まっています。読めば参考になることが多いはずと思い、リーダー層にはより大きな見地に立つ『超訳般若心経』を、一般社員には日々の生活の中ですぐに実践できるアドバイスを収めた『小さなことにくよくよしない88の方法』を読むように勧めています。

 私から社員に対して本の一節を紹介するということはしません。それでは私の押しつけになってしまうからです。

 「1on1」の面談などで「職場の人間関係に問題はない?」と話を出した時に、ちょっとでも悩みのタネがありそうなら、「この本を読んで、自分に合う言葉を見つけてメモしてみて」と言って本をそのまま手渡します。本を読み、自分で悩みを解決する方法を見つけ、それを大事にしてほしいと考えています。

 ある社員は、3日間ぐらいかけて本に出てくる言葉をノートに書き写していましたが、「これをやっているうちに悩みが気にならなくなりました」と言っていました。一人ひとりが自分の心に向き合い、前向きに生きる助けになるのが、この2冊の本なのです。

「一人ひとりが自分の心に向き合い、前向きに生きる助けになる2冊です」
「一人ひとりが自分の心に向き合い、前向きに生きる助けになる2冊です」

 同じく「超訳」で読んだ「論語」とともに、これらの本のエッセンスはリーダー向けの研修の教材にも活用しています。

実際にダイヤ精機で使われているリーダー向け研修教材には『論語』や『般若心経』の教えが詰まっている。
実際にダイヤ精機で使われているリーダー向け研修教材には『論語』や『般若心経』の教えが詰まっている。

現実離れした設定で心をリフレッシュ

 悩むことのない私ですが、心身をリフレッシュすることは常に心がけています。経営者というのは24時間経営者で、常に頭の片隅に仕事のこと、会社のことがあります。それを忘れ、没頭できるものをつくってこそ、また前向きに経営に取り組めるからです。

 読書もリフレッシュの1つの手段です。以前は読書が苦手な私でしたが、哲学書を皮切りに本に触れ、今では小説もよく読みます。

 入り口は刑事モノでした。そこから天才物理学者・湯川学を主人公とする東野圭吾さんのミステリー「ガリレオ」シリーズなどを愛読しました。医療小説も読むようになり、知念実希人さんの「天久鷹央」シリーズなども読破しました。

 その流れで出合ったのが、『 優しい死神の飼い方 』(知念実希人著、光文社文庫)です。主人公は犬の姿を借り、ホスピスに派遣された死神レオ。ホスピスで死に直面する患者たちの未練を解消し、地縛霊になるのを防ごうと、過去の謎を解き明かしていくというストーリーです。一つひとつの謎がホスピスのある洋館で過去に起きた事件にもつながり、どんどん引き込まれていきます。レオと人間との交流も心温かく、最後はとても感動します。

『優しい死神の飼い方』(知念実希人著、光文社文庫)
『優しい死神の飼い方』(知念実希人著、光文社文庫)

 何より、死神、地縛霊など現実離れした設定なのがいいんです(笑)。それまで読んでいた刑事小説や医療小説の生々しさ、リアル感とは全く異なり、完全なファンタジーなので、自分の想像の世界の中で、自由に物語を色づけできます。

 テーマーパークに行っておとぎの国に身を置くのと同じで、現実逃避して心をリフレッシュできます。元気やエネルギーが満ち、イメージや創造力もわいてきます。

 私はダイヤ精機の社長に就いてから、バレエを趣味にしていました。バレエのレッスンを受けている間は、音楽に合わせて手や足をどう動かすか、ポーズをどう決めるかしか考えないので、仕事のこと、会社のことは頭からすっぱり消え、心身のリフレッシュに実に効果があります。

 しかし、コロナ禍では室内で密になることから、バレエのレッスンが中止となってしまいました。全国を飛び回り行っていた講演もなくなり、家で過ごす時間が増えました。そんな時期、現実から離れられる読書が、バレエの代わりに頭をオフにしてリフレッシュできる貴重な時間となりました。

「コロナ禍をきっかけに、現実から離れられる読書が私のリフレッシュの時間になりました」
「コロナ禍をきっかけに、現実から離れられる読書が私のリフレッシュの時間になりました」

 『優しい死神の飼い方』で、別世界をのぞく魅力にはまったのをきっかけに、今ではシンデレラストーリーのあやかしものや呪いもの、いけにえものなどにも手を広げ、どっぷり本の世界に浸っています(笑)。

取材・文/小林佳代 構成/幸田華子(第1編集部) 写真/稲垣純也