メタバースとは何か? 著者は「現実とは少し異なる理(ことわり)で作られ、自分にとって都合がいい快適な世界」と考える。メタバースの利用場面は拡大していくのだろうか? 岡嶋裕史・中央大学国際情報学部教授の著書、『 いまなら間に合うデジタルの常識 』(日経文庫)から抜粋・再構成してお届けする。
定義がぶれているメタバース
メタバースはインターネット上に展開される仮想世界といった説明で、人々の間に浸透してきています。まだ落ち着かないサービスですから、国の会議などでも言葉の定義は確定していません。
人や企業によって意見は異なり、特に企業の場合は自社サービスに有利な定義をしようとしますので、その点は割り引いて考える必要があります。
アバター(仮想世界で自分の分身となるキャラクター)の技術に優位性を持つ企業は「メタバースの核はアバターにある」と言いたいですし、VR(仮想現実)の先進技術を保有している企業は「VRでなければメタバースとはいえない」と主張したいのです。
私自身はメタバースを「現実とは少し異なる理で作られ、自分にとって都合がいい快適な世界」と考えています。仮想世界であることは前提として、その世界が現実と同じなら利用者にとってはあまりメリットがありません。
仮想世界へのアクセス(よく「移住」と表現されます)には手間もお金もかかります。勉強も必要でしょう。それだけの対価を差し出してアクセスするのですから、その世界は現実よりも気持ちよくなければなりません。
現状では、この「気持ちよさ」と「そこに住める可能性」が担保できれば、その仮想世界はメタバースと認識されるでしょう。
「そこに住める可能性」とは何でしょうか。実は、「現実とは少し異なる理で作られ、自分にとって都合がいい快適な世界」だけであれば、今までにもそういうサービスはありました。たとえば、ゲームやSNSです。
私は車のレースが好きで、出場することもありますが、下手の横好きです。お金をかけて、時間を見つけ、苦労して遠くのサーキットに足を運んでもなかなか活躍できず、一つ間違えると怪我をして帰ってきます。
でも、ゲームなら難易度をカスタマイズして、世界に冠絶するトップドライバーのように振る舞うことができますし、時間もお金もかけずにすぐ始めることができます。現実のレースの「楽しい部分だけ」を切り取ったものであるといえます。
アバターの服飾市場は数兆円規模!?
メタバース内での経済活動も活発になっています。利用者はそこが「自分が住んで、時間やお金を使うにふさわしい空間である」と認識すると、コストをかけて生活環境を整え、他者にアピールし始めます。
現実の世界ではあまり服飾や小物を買わなかったのに、メタバースのアバターには湯水のようにお金を投じている人もいます。アバターの服飾市場はすでに数百億ドルに達しているという報道もあり、無視できない数値になっています。
一方で、同じ「仮想世界」でも、なるべく現実に即したものを志向するサービスがあります。これまでに説明した「メタバース」とひっくるめてメタバースと呼ばれることもありますが、区別する場合は現実そっくりという意味を込めてデジタルツインといったり、デジタルツインの中での行為が現実にフィードバックされるようなケースではミラーワールドといったりします。
「現実そっくり」だと、娯楽の点ではインパクトが薄いですが、産業や医療には巨大な貢献があるでしょう。災害のシミュレーションなどは極めて緻密に行えますし、遠隔医療の精度も上げることができます。
現実と仮想世界を融合させるアプローチもあります。たとえば、Tシャツ1枚しか持っていなくても(みんながスマートグラスをかけていれば)、「設定」をスーツに変えることで、みんなのメガネには「スーツを着た私」を映せます。TPOに合わせて洋服を用意する必要がなくなるので、SDGs(持続可能な開発目標)に貢献できるかもしれません。
完全に仮想の世界となるメタバースを作り上げるのは大変そうに見えますが、お金や時間に糸目をつけなければ、良いものを作る技術はゲーム分野などにたくさんの蓄積があります。
一方で、現実そっくりに作ったり、その現実に沿う形でデジタルの情報をまぶしたり上書きしたりする必要があるミラーワールドは実現の難度が高いです。利用に向いている機器もメタバースではVR(その世界に没入する)、ミラーワールドはAR(拡張現実)やMR(複合現実)(現実と折り合いをつけて、より現実を便利に、楽しくする)のように違いが出てきますので、ちょっと注意しておくとよいと思います。
こうした事情があるため、先行して流行しているのはメタバースのほうですが、将来的な市場はデジタルツインやミラーワールドが大きくなるのではないかと考えています。
いまメタバースを楽しんでいる利用者の多くは、「現実よりもこちらのほうがいい」という発想で使っています。ある意味でとても先進的です。しかし、人間が生身の肉体を持つ生きものである以上、現実が好きな人のほうが多数派でしょう。そのため、現実に立脚しつつも、現実をより快適にする方向性のサービスであるミラーワールドのほうが長期的かつ最終的な利用者は多くなると予測します。
岡嶋裕史著/日本経済新聞出版/1100円(税込み)

