同じ意味なのに、人を動かせる言葉と、動かせない言葉がある。その違いは何なのか。『 人を追いつめる話し方 心をラクにする話し方 』の著者で、「言葉のプロ」として活躍するひきたよしあきさんに、日経BOOKプラス編集部では、Voicyの日経の本ラジオで公開インタビューを実施。分かりやすい日本語とは、ひきたさんの名前の由来にも通じるのです。(公開インタビューの様子は記事末の「日経の本ラジオ」でお楽しみください)

 私の中で、「ものを分かりやすく伝える」というテーマは常に中心にあります。

 2011年に東日本大震災が起きたとき、たまたま現地で仕事をしていて、こんな話を聞きました。

 あるおばあちゃんが「緊急事態です。緊急事態です。避難してください」というアナウンスが流れたとき、腰が痛いし、面倒だから避難するのはやめようと思っていたそうなんです。でも「逃げろ!」という声が聞こえた瞬間に足が動いた、と。

 同じ意味なのに、「逃げろ」という言葉は人を動かす力を持っているということです。このエピソードを聞いて、「その言葉の違いっていうのは何があるかな」と考えていったときに、行き着いたのが「ひらがな」や「やまとことば」が持つ力でした。

「言葉って不思議ですよね。同じことを伝えようとしているのに、伝わらないものがある。それはなぜなのか、ずっと考えていました」
「言葉って不思議ですよね。同じことを伝えようとしているのに、伝わらないものがある。それはなぜなのか、ずっと考えていました」
画像のクリックで拡大表示

 「ひらがな」や「やまとことば」の奥深さがよく分かるのが、万葉集研究の第一人者である中西進さんの著書 『ひらがなでよめばわかる日本語』(新潮文庫) です。

「何度も読んでいるので付せんだらけです」
「何度も読んでいるので付せんだらけです」
画像のクリックで拡大表示

 例えば、中西さんは「人間の顔の中には植物がある」という説を唱えています。

「め(目)」は「芽」
「は(歯)」は「葉」
「はな(鼻)」は「花」
「みみ(耳)」は「実」

 こんなふうに、人の顔についている器官の名称が、植物の成長段階を示す言葉と音が同じだというのです。

 人間がものを認識にするのに最初に使う五感が「目」であり、植物の成長段階の最初が「芽」です。次に、顔の中央にあって一番目立つ「鼻」がくる。植物も、芽が出たあとに「花」が咲きます。さらに端のほうに「歯(「葉」)」があって、最後に実りの「耳(実)」がくる、と。昔の日本人は顔の中のひとつひとつを植物と結びつけて名前をつけたのではないか、というわけです。

 それから、「ち」という音がつく日本語には、「父」、「血」、「力」、「乳」などがありますよね。何か力が出るもの、みなぎるエネルギーを感じるようなものにはみんな「ち」がついているそうです。

 「ひ」もまた、特別な意味を持つ音です。「陽」も、「火」も、「光」も「ひ」で始まりますよね。何か輝くものはみんな「ひ」という言葉から始まっているのです。昔、お坊さんのことを「ひじり(聖)」を言っていたのは、「日知り」から転じたもので、何か先見性のあることや明るく照らすものを「ひ」という音で表していたのですね。

 このように言葉をひらがなに分解して考えると、我々が普段漢字で意識しているものとはまったく違う、太古の日本人が持っていた言葉の力が見えてきます。

 全部の言葉をひらがなで紐解くと、ひらがなにはそのひとつひとつに意味があることがわかってきます。この本を読み、言葉の音を聞くことによって、今まで使っていた言葉を新しいイメージでとらえられる可能性を感じました。

 私がペンネームを「ひきたよしあき」と、ひらがなにしているのも、実はこの本の影響です。

ペンネームをひらがなにした理由

 「ひ」には光や炎といったパワーを感じさせる力がある、と本には書かれています。その音が頭につくのだから、ひらがなにしてはどうかと思ったわけです。もちろん、「蟇田」という字が難しいからというのも理由ですが、それ以上に、「蟇田吉昭」と「ひきたよしあき」では、受け取る印象が全然違いますよね。

 ひらがなが持つ力によって、自分の名前に違ったイメージがつくれるんじゃないかということで、ペンネームをひらがなにすることに決めました。

「自分のペンネームにも、分かりやすい日本語を使いたいという思いがありました」
「自分のペンネームにも、分かりやすい日本語を使いたいという思いがありました」
画像のクリックで拡大表示

「DX」は時代の方言のようなもの

 本来の日本語であるやまとことばは、我々が今使っている言葉の中では残念ながらあまり意識されていません。

 ビジネスにおいては、「DX(デジタルトランスフォーメーション)」など新しい言葉がどんどん出てきますが、そういうものが本当にみんなの心に残るものかな? と疑問に思います。ビジネスの現場では必要なのかもしれませんが、心から人を動かすかというと、それは違うわけです。「IoT(Internet of Things)」なんて、この間までみんな言っていたのに、今ではあまり聞かなくなっていますよね。こういう言葉はある時代の方言みたいなもので、定着はしないのでしょう。

 人の心を動かしていく言葉は、もう少し深い日本語です。それを教えてくれたのが、私にとってはこの中西先生の本であったり、第1回「 本当に読みやすい文章とは ひきたよしあきが手放せない本 」でお話しした、森本哲郎さんの本であったり。そういうものが好きで、私も言葉に関する本を書いています。

専門用語が伝わらない場で必要なこと

 私が普段、講演や研修で話し方やコミュニケーションの仕方をお伝えしているのは、政治家、僧侶、小学生、保護者の方、大学生、企業のビジネスパーソン、行政の方と、年齢も職業もさまざまです。そこで、それぞれの業界の専門用語で話そうとすると知識が全然足りません。業界ごとの専門家やエキスパートはたくさんいるので、私が求められているのは専門性ではないんですね。すべての業種や年齢を串でつないだような、分かりやすい日本語で話していく必要があります。

 犯罪を犯してしまった青年に対して、法律家がどう言葉を掛けたらいいのか、新しく入ってくる若い檀家さんに対して僧侶がどういう言葉をかけたらいいのか、はたまた、企業にいる今の若者に対してトップがどう声をかけたらいいのか――。

 こんな場面では、相手に業界の専門用語を使っても通じません。共通する言語は何かと探っていくと、やはり分かりやすい日本語になります。そうして誰にでも分かる文章をつくり、伝わる言葉の使い方、通じるコミュニケーションを教えていくのが私の仕事です。

 漢字ではなくひらがなだけで日本語を見ていくと、まったく違う日本語の世界が広がっていて、それがおそらく私たちの血になっている言葉だと思います。

 さまざまな言葉が生まれては消えますが、残っているのは豊かな精神性を感じさせる日本語です。だから私は、これからもなるべくひらがなを使って文章を書いていこうと思っています。

取材・文/杉本透子 写真/鈴木愛子

公開インタビューの様子を音声で聞くなら