難しい言葉が並ぶと、読みづらい。読み進められない。そんなふうに感じたことはないだろうか。『 人を追いつめる話し方 心をラクにする話し方 』の著者で、言葉のプロとして活躍しているひきたよしあきさんも、そうだった。でも、簡単な言葉を使っているのに、思想や哲学など、本質的なことが伝わる文章もあるという。その違いとは――。(公開インタビューの様子は記事末の「日経の本ラジオ」でお楽しみください)

 私は仕事柄、常に記事や書籍の執筆をしています。朝起きてからずっと書いていることもあるほど、起きている間は基本的に文章を書いている、そんな感覚です。それでも、執筆で行き詰まることもある。流れるように書けなくなる、そんなとき、「読みやすい文体とは何か」を自分に取り戻すために読むのが、『ゆたかさへの旅―日曜日・午後二時の思索』(森本哲郎著、角川文庫/品切れ・重版未定。古書店、インターネット書店、図書館などで入手することができます)という本です。

「ちょっとびっくりするほど年季入っているでしょう。表紙も取れてしまって。それくらい読み込んできた、大事な本なんです」
「ちょっとびっくりするほど年季入っているでしょう。表紙も取れてしまって。それくらい読み込んできた、大事な本なんです」
画像のクリックで拡大表示

 評論家の森本哲郎さんがインド旅行記を小説風のスタイルで書いたもので、今はもう絶版になっていますが、私は高校生のときに買った文庫を今でも持っていて、繰り返し読んでいます。

 この本のテーマであるインドに出張で行くことが決まったときは、「これを持って行って現地で読める!」とうれしかったですね。インド以外にも、ロスやパリなど海外へ行くときは必ず持って行き、旅先で読むことを楽しみとしてきました。

「2011年1月11日~19日。インド出張に連れて行ったときの記録もこの本にメモとして残してあります」
「2011年1月11日~19日。インド出張に連れて行ったときの記録もこの本にメモとして残してあります」
画像のクリックで拡大表示

 もう表紙も剥がれてボロボロですが、棺桶に入るまで手放すことはないでしょうね。「自分がどういう文体で書く夢を持っていたか」を思い出させてくれる、私にとって原点といえる本です。

難解な本が流行した時代に異質だった

 この本に出合ったのは高校1年生のときです。中学生くらいから親に反抗して、学校に行くのが嫌になり、当時は不登校ぎみでした。

 小説家になりたいと夢を抱いていたのですが、この頃は「本は難しければ難しいほどいい」という時代。太宰治でさえ「なんだ、あんな女言葉」などと言われていました。周りで支持されていたのは安部公房や吉本隆明、埴谷雄高、高橋和巳といった面々で、どれも難解なものばかりです。私も挑戦してみてそれなりに身になった部分があったものの、難しい本が苦手なのがコンプレックスになっていました。

「難しいことが本当にいいことなのか? 読みやすいほうがいいんじゃないかと疑問に思ったものです」
「難しいことが本当にいいことなのか? 読みやすいほうがいいんじゃないかと疑問に思ったものです」
画像のクリックで拡大表示

 そんなとき、授業をサボって行った書店で、森本哲郎さんの『ゆたかさへの旅』に出合いました。冒頭を読むなり、「これだ!」と思いましたね。

 「日曜日の午後二時。西にまわる日ざしをながめて、あなたはなんとなく憂鬱になることはありませんか? こんな風に。やれやれ、もう休みは終わってしまうのか」

 ですます調の、おそろしく分かりやすい文体。さらに、ここに描かれた日曜日の日が暮れる感じというのが、鬱屈した高校1年生だった自分の感情とぴったりだったんです。

知識量は多いのに、なぜ読みやすいのか

「この冒頭文でやられました」
「この冒頭文でやられました」
画像のクリックで拡大表示

 読み進めると、プラトンやインド哲学、宗教、文明批評など一見難しそうなテーマがたっぷり出てくるのに、面白くて面白くて、あっという間に読み終わってしまいました。分かりやすいのに、読んだ後にものすごい量の思想や哲学の知識が頭に入っていたんです。

 「こんな口調で、自分も文章を書きたい」と思いました。

文章も語りもこの本がフォーマットに

 内容ももちろんですが、感銘を受けたのは文体です。今は語るようなSNS文体は普通ですが、格調高い文章がよしとされていた70年代においては非常に新鮮なものでした。

 この読書体験を経て、「分かりやすい文章を書く」というのが私の一貫したテーマとなりました。

 純文学が無理なら……とコピーライターへの道を進み、50歳を過ぎて、『朝日小学生新聞』で子ども向けに文章を書く機会をいただきました。子どもに哲学を教えるために、どう分かりやすく書けばいいかは森本さんの本から習ったことです。

 森本さんの本は、出版されている限りのものを読んでいます。 『ことばへの旅』(森本哲郎著、PHP文庫) (紙版は品切れ・重版未定。古書店、インターネット書店、図書館などで入手することができます)という本も愛読書のひとつです。

 実は、私が2021年からVoicyで放送している「言葉のお守り」は、この本のフォーマットに倣いました。

難しいことをやさしく伝える人でいたい

 最初に誰かの珠玉の名言を掲げ、それに対し自分の体験談を踏まえて語っていく。高校生の頃から憧れていたこのスタイルを、自分の音声メディアで取り入れさせてもらいました。

 『ことばへの旅』で取り上げられた言葉で印象に残っているのが、「言葉はこころの使い」という日本のことわざです。

 心の中にあるものは、自然と言葉にあらわれる、ということが森本さんの名随筆とともにつづられます。多感な高校生のときにこんな文章を読むと、「こういうものなのか!」と感じ入るわけです。

「森本さんの本には、私にとって本当に言葉を好きになるきっかけをもらいました」
「森本さんの本には、私にとって本当に言葉を好きになるきっかけをもらいました」
画像のクリックで拡大表示

 「なんでも易しくしていくのは間違いだ」という人もいます。それはそれでひとつの考えでしょう。でも、そことは違う層に自分はいたいと思っています。

 例えば、日本では大学の哲学科に行かない限りほとんど哲学を習う機会がありません。ところがフランスへ行くと、小学生が普段の授業でヘーゲルの弁証法を習っています。「遠足に何を買いに行きますか?」という話の中で、ヘーゲルの話題がさらっと出てきたりする。だからフランスでは哲学は日常生活の中で息づいているんです。私はなるべくそういうものを多く吸収して、日本でも実践したいと思っています。

 また、親鸞(しんらん)も難しい仏教を文字の読めない民に分かりやすく教えた人です。

 難しいけれど人生に大事なことを、分かりやすい言葉で伝えてきた先人がたくさんいる。私もそちら側の立場でいたいと思っています。

取材・文/杉本透子 写真/鈴木愛子

公開インタビューの様子を音声で聞くなら