「科学的根拠なしに、個人的な経験や思い込みや、有名な思想家の言説の引用だけで公に何かを主張することなど、もはや時代遅れも甚だしい」。こう語るのは、教育心理学者として遺伝と教育の研究に取り組み、慶應義塾大学名誉教授でもある安藤寿康さんです。教育と遺伝の関係について研究を続けてきた安藤さんが、『 科学的根拠(エビデンス)が教える 子どもの「すごい読書」 』(猪原敬介著、日経BP)の魅力を紹介します。

 昨年のNHK大河ドラマ「べらぼう」では、江戸の地本問屋、蔦屋重三郎を主人公に、あの時代の庶民の出版文化・読書文化が生き生きと描かれていて、目を見張る面白さだった。ドラマとしての脚色やデフォルメを考慮しても、わが国の本好きの国民性は世界に冠たるものだ。その証拠に、日本ほど文庫・新書といった手軽な形で、ライトノベルから古今の名著、学問の最先端まで廉価で手に入る国はない。

 しかし、それはいったいなぜなのだろうと前から疑問だった。この本の書評としては少し的外れかもしれないが、私はこの本の中にその答えをいくつも見いだすことができたのだ。

 本書では例えば、読書時間は長ければいいというものではなく、せいぜい一日30分から1時間程度が最もご利益があるというエビデンスが取り上げられている。貧しくも勤勉なわが国の庶民は、そもそも有閑階級の人たちのように、本を読むことに長時間を割くことなどできなかったはずだ。そこに江戸時代なら黄表紙、いまなら文庫や新書があり、日々のわずかな時間に、日常を離れ、空想や知識の世界に心を寄せることができたのだ。それは実は最もよい形の読書体験だったというわけだ。2023年にカンヌ映画祭でパルムドール賞を受賞した『Perfect Days』で、公衆トイレ清掃員として簡素で規則正しい生活を送る人物の高潔な生きざまが感動的に描かれていたが、特に印象的なのは、就寝前のひと時に寝床でフォークナーを文庫本で読むシーンだった。

 また「文字の本かマンガかといった『分類』は本質ではなく、実際にどんな内容のものか、読み手がどういった人なのか、といったことが本質です」とエビデンスをふまえて説かれている。ドラマでも大活躍していた恋川春町・山東京伝などが書いた絵入りの黄表紙は、まさにマンガ本だ。それが庶民の古典教養、人生訓、そして社会批判精神をはぐくんでいた。私も一応学者としてムズカシイ本も読むが、それと同程度にインスパイアされるのはマンガで、この春の刊行を予定している新刊では『ドラゴン桜』(三田紀房著、講談社)と『ブルーピリオド』(山口つばさ著、講談社)を取り上げて、教育の生物学的基盤の説明をしようと試みている。まさに誰がどんな内容を読むかがホンシツだと太鼓判を押してもらえた。

 本書では受験や学校の成績への現世利益をはじめ、思いやりやコミュニケーション力、はたまた寿命まで、読書との直接的・間接的因果関係や疑似相関によるさまざまなご利益が見込めることが、科学的根拠とともに説明されている。書名に「科学的根拠」を謳(うた)ったものとして、つい最近も中室牧子氏の『科学的根拠で子育て』(ダイヤモンド社)が話題となり、氏の主張にはかねてよりわが意を得たりと思っていたので、本書もそのタイトルを見た時から、この出版を応援しようと思っていた(私の本も引用してくださっているし)。

 実際、心理学も行動経済学(それは応用心理学である)も、人を対象とした複雑な現象を科学的にとらえたエビデンスを、(医学に100年遅れてと言われながらも)これでもかこれでもかと見いだしている。科学的根拠なしに、個人的な経験や思い込みや、有名な思想家の言説の引用だけで公に何かを主張することなど、もはや時代遅れも甚だしいのだ。だから正直なところ、わざわざ「科学的根拠」というタイトルを売り言葉にしなければならないこと自体、時代はまだその段階かという嘆きすら感じてしまうのだが、少なくともこの本に書かれていることくらい、読書について語るうえでの常識となってほしい。

 と、科学的根拠を目いっぱい賛美したところで、本書の最後に著者が一番願うのが「一番大切なのは、一生ものの本との出会い」と、科学的根拠のない思いで締めくくってくれていることに、ひそかに強く共感している。