SF界の巨匠、筒井康隆が1960年代に記したショートショート『にぎやかな未来』には、様々なジャンルの作品を手掛けた鬼才のエッセンスがギュッと詰まっている。広告だらけの社会、デジタル不老不死、機械に仕事を奪われた人間──。SFという形を取りながらも、人間の業をブラックユーモアで包んだ初期作品集を今こそ味わいたい。
広告だらけになった社会
ネット動画を楽しんでいると、ちょうどよいところで広告が邪魔をする。スマホには次々と広告が飛び込んできて、そのたびに通知音が気に障る。メールの受信トレーはメルマガの山となり、肝心の要件が埋もれてしまう。あなたにも経験があるはずだ。
SF界の巨匠、筒井康隆(1934年~)が1960年代に記したショートショート「にぎやかな未来」(『 にぎやかな未来 』角川文庫所収)。この短編はネット社会の今を軽妙なタッチで切り取っているかのようだ。人々を悩ますのは「コマーシャル放送」である。
公共放送をスポンサーのCMでまかなう社会。「CMがうるさいからといって放送の途中でラジオのスイッチを切ると、罰せられます」。もちろん「町中はのべつまくなしのコマーシャル放送で、歩いていてさえ頭がいたくなるくらいである」。ラジオは今ならさしずめスマホだ。
その未来社会で価値を持つのは「静寂」である。その静寂を手に入れるために、主人公が訪れる先は……。ストンとうまく落とすところが、SF小説の名手らしい。広告なしの動画配信を見るためには、料金を払ってプレミアム会員にならなければならない。そんな現代への皮肉が込められているようで、思わず苦笑してしまう。
「IQ140以上の人だけにわかるポスター」
作家は処女作に向かって回帰する。様々なジャンルの作品を手掛けた巨匠のエッセンスは、この初期作品集にギュッと詰まっている。大衆消費社会のダイナモ(発電機)である広告を俎上(そじょう)に載せた「地下鉄の笑い」。地下鉄に化粧品の中刷り広告がぶら下がっている。
乗客のひとりがくすくす笑い始める。その笑いは他の乗客たちに広がっていく。どこが面白いのか、実はたいがいの乗客は分からない。すると「ナンセンスのユーモアというのは、……説明することは、ぜったいできない」と、有名な社会心理学者がもっともらしく説明し始める。
「IQ140以上の人だけにわかるポスター」。新聞の夕刊にはさっそく見出しが躍る。翌朝の通勤客。「大半は、むりやりにやにや笑いをしようと努めている乗客ばかりだった」。そんななかで、ひとりの男が車内の様子を不審に思い尋ねた。
「あのポスターの、どこがそんなにおもしろいのですか」。さて、アンデルセンの『裸の王様』に出てくる少年のような、その男の正体は? 広告と消費者、消費社会のカラクリを明るみに出すお話である。
「デジタル不老不死」を先取りした作品が「疑似人間」である。2235年──300歳。「巨大な電子頭脳に、自己の記憶と感情に関するデータを洩れなくあたえていたのだ。そしてその電子頭脳をコンパクトにし頭蓋骨へ埋め込んだのだ。判断力や理解力は、人間は機械に劣る。だから彼はついに世界最高の知性を持つことになったのである」。
神経科学の第一人者、渡辺正峰・東京大学大学院准教授の意欲作『 意識の脳科学 「デジタル不老不死」の扉を開く 』(講談社現代新書)。その本に出てくる「意識の解明」と「不老不死の実現」の一石二鳥の妙案を、半世紀以上も前に先取りしているではないか。
AI(人工知能)が人による事務作業を奪っていく。そんな社会はどんな姿に行き着くのか。「ベルト・ウェーの女」や「遊民の街」は、一つの物語として描いている。
「事務の機械化はより高度になり、人間たちはただ、生活の目的を見失わないためにだけ、過去の、通勤という習慣を続けていた」。ベルトつまり動く歩道で通勤するさなかに見かけた魅力的な女性。どんな人なのかを知りたくて、人口8000万人の都市の個人情報のデータベースを検索し、遺伝情報をみてみると……。
新知識を身につける教育期間が長くなり、43歳で初めて職に就いた僕。せっかく就職したのに、直後にリストラの憂き目に合う。後任は10歳の少年。「彼はたしかに頭がよく、のみ込みも早かった」。その未来社会では天才同士の結婚が奨励され、生まれた子どもには「大脳に直接知識を植えつけようとする催眠教育を実施した」からだ。
前者は「ベルト・ウェーの女」、後者は「遊民の街」。陰鬱(いんうつ)なディストピア(暗黒世界)小説となりかねないところを、軽妙な筆さばきで救っている。SFという形を取りながらも、人間の業をブラックユーモアで包んでいる。しかも人間の本音を隠そうとしないので、図星を指されたような読後感となる。筒井作品が読み継がれるのはそれゆえだ。
演劇に通じるリズム感
多彩な才能の持ち主である。高校時代に演劇部で芝居に目覚め、同志社大学時代は関西の劇団「青猫座」に入る。公演の評判は上々で「西の筒井康隆」と評された。「わが得意満面の若き日の絶頂期である」と、91歳のいま『 筒井康隆自伝 』(文藝春秋)で振り返る。確かに筒井小説のリズム感には舞台芸術と切っても切れない関係がある。
「日本文学はユーモアやギャグとは相容れないらしい」。しかつめらしい作品が多いなかで、ユーモアやギャグを絶やさないからこそ、読者から絶え間ない支持を受けている。例えば1990年にベストセラーとなった『 文学部唯野教授 』(岩波現代文庫)は、パロディ小説としてバブルというハレの時代を描き切っている。
大学という象牙の塔で演じられる神聖喜劇。教授たちの演じる、人間的な、あまりに人間的な舞台風景。そして劇中劇として唯野教授が講じる文芸理論は、そんじょそこらの学術書を軽くしのいでいる。フッサールからハイデガーに至るドイツ哲学者の理論と人間模様、とりわけ愛弟子ハイデガーに離反された師フッサールの寂寥感などは、それだけで筒井ワールドのテーマとなる。
前衛的で挑戦的な小説を次々と発表した作家の武器庫が、惜しげもなくさらされている。しかも唯野教授の講義はかみ砕いた調子なので、読者は難解な原典を読んだつもりになれる。実のところ、筒井には『 誰にもわかるハイデガー 文学部唯野教授・最終講義 』(河出文庫)という著作もある。物事の深淵をのぞきつつ、ユーモアにくるんで差し出す。季節の変わり目にそんな作品に触れるのもいいだろう。
写真/スタジオキャスパー
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