「辞めろ」「辞めない」…。7月20日の参院選で大敗してから1カ月以上粘りに粘り、9月7日に退陣を表明した石破茂首相。「責任から逃れず、しかるべき時にきちんと決断する」。そう言いつつ自らの地位を守り続けた石破首相の発言を聞いて、『古典落語』(興津要編)の「居残り佐平次」を思い出した。「落語とは人間の業の肯定である」(立川談志)。建前論が行き交い、窮屈な世の中になっている今こそ、落語で頭を柔らかくしたい。

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“茂”ではなく“ねばる”首相

 7月20日の参院選で大敗してから粘りに粘り、9月7日に退陣を表明した石破茂首相。政治報道という形式からちょっと距離を置いてみれば、そこで繰り広げられたのは、欲と得とメンツがぶつかり合う人間のドラマだった。そう思って耳を傾けると、石破首相の言葉も妙に味わい深い。

 「幾重(いくえ)にもおわびを申し上げなければならない」「地位にしがみつくつもりは全くない」「責任から逃れず、しかるべき時にきちんと決断する」。

 石破首相は9月2日、自民党の両院議員総会で参院選大敗について、こう語った。「しかるべき時」を英訳すれば「at the proper time」となろうか。「間もなく」とか「もうちょっと待ってくれれば」といった感じを抱く言い回しである。だが、石破氏はその傍らで衆議院の解散総選挙による政権の延命を、最後の最後まで狙っていた。石破茂ではなく、石破“ねばる”であった。

 『 古典落語 』(興津要編/講談社学術文庫)に収められている「居残り佐平次」を思い出してしまう。「居残り」とは、遊郭でお代を払えず、代金を働いて返す客のこと。居残りとなった佐平次が長居をするうち、彼に仕事をとられた店の若い衆との摩擦が起きる。その辺の事情を聞き知った店の旦那。佐平次とこんな会話をする。

 旦那「すこしもはやくこの家を出て、どこかへ逃げてもらうわけにはいかないかい?」
 佐平次「先立つものは金でございます」
 旦那「ここに三十円の金がある」
 佐平次「おそれいりますが、旦那のお着物をひとついただきたいもので…」

明治~昭和の速記本をもとに21編を収録した『古典落語』(興津要編/講談社学術文庫)。このほか講談社学術文庫には『古典落語 続』『古典落語 選』がある。画像クリックで『古典落語』のAmazonページ
明治~昭和の速記本をもとに21編を収録した『古典落語』(興津要編/講談社学術文庫)。このほか講談社学術文庫には『古典落語 続』『古典落語 選』がある。画像クリックで『古典落語』のAmazonページ

あちこちに「佐平次」の分身

 元はと言えば、佐平次は代金未払いの客。店の方が優位なはずなのに、「居残り」の状態を解消したいばかりに、店と客の関係が逆転してしまう。今の日本では、客ならぬ組織のトップが「居残り」を決め込むことによって、落語の世界が現実の姿そのものとなっていたのだ。

 県知事や市長にもその例は事欠かない。経済界はどうだろう。サプリメント入手にからんで警察の捜査を受けた新浪剛史氏は9月1日、サントリーホールディングスの会長を辞任した。食品会社として自社もサプリを扱っており、「非常に大事な商材にかかわる疑義が生じた」と認めたうえで、社外のポストについては自ら進んで辞めることを否定してみせた。

 経済3団体のひとつ、経済同友会の代表幹事については、活動を自粛するとしつつ、進退は同友会に委ねるという。判断を委ねられた同友会はどう判断するか。そして同友会代表幹事の立場で委員を務める、政府の経済財政諮問会議の活動はどうするのか。げたを預けられた政府。おっと諮問会議の議長は石破首相だった。これまた落語の世界が現実となっている。

 「居残り」をめぐる騒動でモノをいうのは、世論と称する世間の風潮である。その戯画については『 古典落語 選 』(興津要編/講談社学術文庫)に収められた「巌流島」をみるのがよい。

 町人たちの多く乗る船の上で騒動が起こる。いささか態度の悪い若侍に威圧されていた乗客たちは、若侍が向こう岸に置いてけぼりにされた途端に手のひらを返す。「いのこりざむれえめ。やいやい、みんなはやしたれ」。やがて若侍は小刀をくわえてざぶんと飛び込む。

 すると船の乗客たちの空気は一変する。侍が「町人風情にからかわれて、遺恨骨髄に徹し、恨み心頭に燃えおこる」というわけで、「船の底へ穴をあけて、この船を沈めちまおうというんだ」。「だれがまた、そんな若ざむれえにからかったんだい?」「おめえがからかったんじゃあねえか」――。江戸時代に民主主義はなかったはずだが、この光景は令和の今である。

「業の肯定」で世の中をくすぐる

 人のこころや世間とのやり取りは、それほど変化しようもない。立川談志師匠は落語の世界を人間の持つ「業の肯定」と喝破した。業とは捨てきれぬ欲であり、拭(ぬぐ)い去れない煩悩である。そして落語は街を行く人たちの本音に基づいて、窮屈な世の中をくすぐってみせる。

 一知半解の知ったかぶりが犯す失敗、いかにも世間知らずな殿さまの言動、その殿を取り巻く家老たちの形式主義が、次々と俎上(そじょう)に載せられ笑いを誘う。「千早振る」のこじつけぶり、「目黒のさんま」の殿さまの騒動などは、テンポのよい言葉遊びの世界でもある。そして作品の持つ想像の世界も何とも言えない魅力である。

 行き倒れの死骸を長屋の隣人と間違え、その隣人に死骸を担がせる「そこつ長屋」。「おい熊、いいから抱いちまえ。じぶんの死骸を持ってくのに、だれに遠慮がいるもんか」。熊は何だか分からなくなり、「抱かれているのはたしかにおれだけど、抱いているおれは、いったいどこのだれなんだろう」。これなどは自意識の曖昧さに思い致せる哲学的な作品だろう。

 落語に接する際に現代の立場から悩ましいのは、いわゆる「差別表現」の問題である。『古典落語』シリーズの巻末などにも、「元になった落語が語られた時代背景」「編者(故人)が差別助長の意図で使用していないこと」「大衆芸能として親しまれてきた歴史」などを考慮して、「原本発表時のまま」とする旨のお断りが添えられている。

 その通りであるが、いかにもこわばったディスクレーマー(免責条項)に思えてならない。立川談志は『 新釈落語咄 』(中公文庫)で言う。「同情の量の厚さを親切と称して、差別をなくそう、埋めよう、としているところに無理が生じる」。談志の言い回しは極論のようでいて、不都合な現実から目をそらそうとする意識の高い建前論の矛盾を鋭く突いている。

 ポリティカル・コレクトネス(政治的公正)に由来する禁止用語の氾濫(はんらん)で、私たちの社会はますます身動きが取れなくなっている。そんな時こそ落語が提供する笑いは、建前を揺さぶる、いや、くすぐる解毒剤なのではあるまいか。

写真/スタジオキャスパー

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