「風変わりな迷信や、素朴な神話や、奇怪な呪術のずっと根底に、民族の魂ともいえる強力な精神がこんこんと脈打っている」――。『新編 日本の面影』は、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンと妻セツによる19世紀末の日本旅行記。「微笑」に代表される日本人の感情表現は、100年以上たった今もあまり違いがないように見える。外国人排斥ムードの高まる今、インバウンドの先駆け、ハーンが当時の日本人に見いだした心の機微を味わってみたい。
「怪談話」の原型
全編を読んだ後ではしがきに戻ると、味わいが一層増す。小泉八雲ことラフカディオ・ハーン(1850~1904年)の『 新編 日本の面影 』(池田雅之訳/角川ソフィア文庫)もそんな一冊である。「もっとも大衆になじんだ迷信とは、希望や恐怖や善悪の体験、いうなら霊界の謎を解こうとする素朴な努力の、紙に書かれていない文学の断片」である。ハーンの作品はそれらをそっとすくい出した。
1891年8月、ハーンは妻セツと鳥取県の日本海側を旅して回った。2人は浜村温泉に泊まり、宿の仲居から身の上話を聞く。漁に出た夫と弟を嵐で失った話である。「浜から顔が見て取れるほど、浜の近くまで泳いで来たのです」。必死の形相で「助けて!」と叫ぶも、ついに海の中へと消えていった。「主人が沈む前に、私ははっきりとその顔を見たんです」
来日する前、20代、30代には米国で新聞記者だった。そんなハーンらしい聞き書きである。連れであるセツが、仲居の心をほぐそうと、話題を変える。夫は古い風習や言い伝えに興味がありまして…。そこで聞かされたのが「鳥取の布団」という説話だ。
「あにさん、寒かろう」「おまえ、寒かろう」。旅人が泊まるたびに、宿の布団からそんな声が聞こえてくる。実はその布団は、身寄りのない貧しい兄弟から取り上げられたもので、寒さのなか二人は戸外で身を寄せ合い深い眠りについた。由来を聞いた宿の主人は、小さな魂が成仏するよう、お経をあげてもらった。それから布団が声を発することはなくなった。
ひとつの伝説は別の伝説を呼び、セツが急に出雲の伝説を思い出す。ある貧しい百姓は、生まれたばかりの赤ん坊を川に投げ捨てては、死産と偽った。やがて暮らし向きが上向き、7番目の赤ん坊が生まれ、5カ月たった。すると月夜の晩、赤ん坊は大人の口調でこうつぶやいた。「わしをしまいに捨てさしたときも、ちょうど今夜のような月夜だったね」。その百姓は僧侶になった――というのだ。
いずれも後にハーンが怪談として紡(つむ)ぎ出すお話の原型である。生活の悲哀あふれる物語ではあるが、最後は深い反省と魂の救済という余韻を残す。「迷信の中には、不幸な人への親切や、動物愛などをすすめるものも多くあり、それらは、喜ばしい道徳観を生み出している」。ハーンが日本の庶民に見いだしたのは、善良さ、辛抱強さ、いんぎんさ、察しのよさである。
神道は日本人の心の中にある
自らの目で確かめ、足を踏み入れた経験に基づいて、話を進めていく。「杵築(きづき)――日本最古の神社」と題した出雲大社の訪問記は、本殿に入るのを許された初の外国人の貴重な記録である。ハーンは「今でも息づく神道の中心地を見る」ことを通じて、「脈々と打ち続けている古代信仰の脈拍を肌身で感じ取る」。
「神道の神髄は、書物の中にあるのでもなければ、儀式や戒律の中にあるのでもない。むしろ国民の心の中に生きている」。すなわち「風変わりな迷信や、素朴な神話や、奇怪な呪術のずっと根底に、民族の魂ともいえる強力な精神がこんこんと脈打っているのである」。このあたりが彼の日本理解のエッセンスである。
その指摘はまるまる当てはまるとはいくまいが、例えば「日本人の微笑」と題した観察は、100年以上たった今日にも十分通じるように思える。理不尽な叱責を受けた場合や、愛する人を失った場合にさえ微笑を浮かべる。悲しみ、憤るところなのに、なぜ微笑なのか。
微笑は作り笑いではない
その微笑に接する外国人は、「常に心の仮面として身につけている作り笑い」と誤解しがちである。しばしばそこから行き違いが生まれる。ハーンが紹介するのは外国人居留地だった横浜で英国商人Tが雇った老サムライの話だ。
2人は気心を通じ合ったが、商人はある日いらいらしていたのだろう。サムライに怒りをぶつけてしまう。サムライは商人の激怒に対し微笑を浮かべ、甘んじた。その態度は商人をさらに激高させ、サムライを殴ってしまう。その時である。「Tは急に恐怖を感じた。あのサムライの長い刀が瞬間、鞘(さや)を離れたと思うや、Tの頭上で空を切ったからである」
寸止めである。「次の瞬間、老サムライは見事な早技で刀を鞘に戻すと、踵(きびす)を返して立ち去った」。商人は冷静に自らの振る舞いを振り返り、機会があれば謝ってもよいと考えた。ところがその機会は、ついに訪れなかった。その夜、老サムライは切腹してしまったからだ。
「かつて借金の形(かた)にした刀を用いて、まさにその金を貸してくれた相手を傷つけるなどということは、出来ない相談だった。…残された道は、名誉の切腹を選ぶことしかなかった」。ならば誤解の元になった「日本人の微笑」とは何か。悲しみや憤りに直面する場面でも、「自己を押し殺しても礼節を守ろうとする、ぎりぎりの表現」なのである。
「日本人が一見おとなしそうなのは、主に道徳の観念に照らして、そうしているのである。遊び半分に日本人を叩(たた)いたりする外国人は、自分が深刻な誤りを犯したと思い知るだろう。…そんな愚挙に出ては、あたら命を落としてしまった外国人が何人もいるのである」
これは初めて本格的に外国人に接した明治時代だけの話とは思えない。意思疎通の難しい外国人にともかくも「微笑」をもって接していた人たちが、我慢の臨界点を越えたとたんに不満と怒りをあらわにする。ハーンによる微妙な感情と社会の仕組みの読み解きは、現在の外国人問題を考えるひとつの手掛かりになるように思われる。
写真/スタジオキャスパー
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