マーケティングコーチ横田伊佐男氏の最新著書『長いコトバは嫌われる』では、たくさんの「伝え方の法則と事例」を紹介している。中でも2021年12月、F1アブダビ・グランプリ(GP)決勝前にホンダが展開した広告事例は、「胸アツコトバ」のお手本として多くの読者の心を捉えた。今回はホンダF1撤退広告のコピーライティングを担当した電通のコピーライター三島邦彦氏を迎え、ライバルへの感謝から始まる同広告の深い思いに横田氏が迫った。
横田伊佐男氏(以下、横田):拙著『長いコトバは嫌われる』の中で、F1撤退直前のホンダが展開した広告のコピーを「胸アツコトバのメカニズム」として10ページほど使って紹介しました。実際にコピーをご担当した三島さんの感想をお聞かせください。
三島邦彦氏(以下、三島):率直に言って、ありがたかったです(笑)。
広告って、一方通行というか発表して広まったらおしまいなので、丁寧に読み込んでいただいた解説を読むと、ちゃんと意図が伝わるんだ、とうれしい気持ちになりました。
横田:実は、あのパートは読者に大反響で、「涙を禁じえません」という感想もいただきました。なぜこれほど読者の胸を熱くさせたのでしょう? 何が要因だと思いますか?
三島:普通、F1最終戦で「ありがとう」を伝えるとしたら、F1ファンの皆さんじゃないですか。それで十分に新聞広告として成立しますしね。
でも、それではあまり面白くない。
ホンダさんがF1を撤退することに興味を持ってもらうには、「一番『ありがとう』を言いにくい相手」つまり「ライバル」に「ありがとう」と言ったらどうか、という発想が浮かび上がってきたのです。
例えば、ホンダさんが「ありがとうトヨタ」って言うのは普通であれば、あり得ませんよね。それをあえて言うことで、最終戦に懸ける思いの強さを感じて共感してもらったのかなと思います。
「ありがとう」を使う広告コピーは多いですが、「新しいありがとうの伝え方」になったのではないでしょうか。
横田:確かに斬新な表現でした。そもそもこの広告はF1最終戦を前にして、ホンダ側から直々に依頼があったのですか?
三島:いや、それが、あの広告は我々電通からの自主提案だったのです。
横田:え? 自主提案!? 通常は、クライアントからの依頼があって仕事を請け負いますよね。こういったことは、よくあるのですか?
三島:いえ、ほとんどありません。レアケースです。F1最終戦の前に、このような広告を打ってみたらどうですかと電通から提案したんです。
そうしましたら、ホンダの皆さんが面白がって動いてくださったのです。
横田:ライバルに感謝を伝えるコピーのアイデアは、ホンダさんとゼロから作られたのですか?
三島:いえ、電通が元となるコピー案を作って、微細な修正をホンダさんに加えていただきました。
こちらが、当初案になります。
横田:へー、本番の広告と比較すると随分スッキリしていますね。本番と比べて「ありがとう」の数が少なく、ライバルの並び順番も違っています。
三島:実際、どこにどの順番で感謝を伝えるかについては、ホンダの皆さんには強い思い入れがありました。歴代のチャンピオンだったり、心からのライバルだったり、そこの選定と順番には相当こだわっていました。

最終的に誰に「ありがとう」を伝えたかったのか?
横田:拙著『最強のコピーライティングバイブル』(ダイヤモンド社)で書いていますが、コピーライティングの世界では、「どう言うかより、何を言うか」が重要です。その「何を言うか」とは「誰に」向けて書くか。つまり、コピーを書く際、「誰に」を決めるのが重要ですよね。
この広告の不思議なところは、一見すると「誰に」向けて発信されたものなのか分からないところです。先ほど、「新しいありがとうの伝え方」になったとおっしゃっていましたが、このコピーで最優先に感謝を伝えたかったのは「誰」だったのでしょう?

三島:うーん、そうですね……。広告のターゲットはF1ファンの皆さんで、ファンの皆さんに、広告を見て「ありがとう」と言っていただきたい。そして、その「ありがとう」という声を一番に届けたかったのは、ホンダでF1に携わった関係者の方々かもしれません。
というのも、「どうしたらホンダでF1に携わった方々が気持ちよく終われるか」を考えていたからです。
そのためには、F1ファンから「ありがとう」と言われることが一番うれしいだろう。だからこそ、ホンダからまずライバルに「ありがとう」を伝えたのです。
横田:なるほど! ちょっと整理しますね。こんな関係性(下図)をめぐって「ありがとう」を連鎖させていたのですね。

最初にバチバチに削りあったライバルに「ありがとう」を伝えるのは、かなり斬新な伝え方ですが、ホンダ社内で反対の声はなかったのですか?
三島:確かにそのような声も上がったようです。純粋にF1ファンに「ありがとう」を伝えればいいのではないか、なぜライバルが最初なんだ、と。
でも、「最初にライバルへ『ありがとう』を伝えることで、ホンダのF1関係者への感謝がより強く伝わる」。
そんな感じで、最終的には意見がまとまりました。
ホンダさんには、「かっこいい」を大事にする社風があります。こちらのほうが、去り際が「かっこいい」という判断を明確にされたのです。
横田:本文コピーに移りますが「ありがとう」が8回書かれています。有名なキング牧師の“I have a dream(私には夢がある)”も約2分半の間に8回ほど、このフレーズを繰り返しています。三島さんの当初案での「ありがとう」は7回、本番広告は8回に落ち着きました。8回の繰り返しにはテクニック的な意味があるのですか?
三島:「テクニック」というより「リズム」ですね。何回繰り返すか、については「読み応え」と「くどくならない」の塩梅(あんばい)を探り、感覚的に整えた感じです。「グッ」と来るために、1語を入れるか、削るか……。
そういった文字の足し引きにこだわります。そこが広告を見た人がどのような気持ちになるのかの「読後感」につながりますから。
横田:ここまでお話を聞いて拙著『長いコトバは嫌われる』と大きく符合することがありました。それはまず「伝える相手を思う」ことです。なぜ、バチバチだったライバルに最初に「ありがとう」を伝えたのか? その先に、もっと「ありがとう」を伝えたいのは誰だったのか、を深くうかがえました。
三島さんから最後に出た「読後感」というフレーズについて、次回、もう少し詳しくお話を聞かせていただきます。
三島:「読後感」については、「最初の1行」と「最後の1行」が最も大事だと思っています。そのあたりをお話ししましょうか。
横田:ぜひ、お願いします。次回は、コピーライターの文章術についてお聞きします。

[日経ビジネス電子版 2022年7月28日付の記事を転載]