データや統計分析に基づいたマーケティングは、日本企業やマーケターの間にどこまで浸透しているのか――。『 文系マーケターのためのゼロからわかる統計分析 』を出版した法政大学の西川英彦教授と、早稲田大学ビジネススクールで教壇に立つ及川直彦客員教授との対談からは、業種や企業文化による大きな差が浮かび上がる。若い世代では統計分析の重要性に対する認識が高まる一方、現場では従来の意思決定とのギャップに悩む声も根強い。さらに生成AIの進化が実務の在り方を変え始めている今日、その可能性とリスクについて考えていく。[日経クロストレンド 2026年7月23日付の記事を転載]

マーケティングのデータ活用を加速する生成AI。しかし、統計分析の基本を理解しないまま、その答えを迷いなく受け入れられるだろうか? (画像/Sachi/stock.adobe.com)
マーケティングのデータ活用を加速する生成AI。しかし、統計分析の基本を理解しないまま、その答えを迷いなく受け入れられるだろうか? (画像/Sachi/stock.adobe.com)
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マーケティングと統計分析の現状

西川先生と及川先生に対談していただいた4年前、2022年時点と比べて、マーケティングにおける統計分析の知識の重要性は増したのでしょうか。

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及川直彦氏(以下、及川) 最近、20代や30代の若いビジネスパーソンとマーケティングについて議論しましたが、割と「統計」の話が出てくる印象はあります。

西川英彦氏(以下、西川) 大学院やビジネススクールに来られる方は、そもそも問題意識の高い人が多い。一方、企業全体で見ると、統計分析に基づく意思決定は、まだ十分に広がっていない印象を受けます。

及川 確かに、問題意識の高い社会人学生も、会社のボスと話すときにはあつれきを感じているようですね。ある伝統的な大手企業では、実務に関して「学術研究で使われる科学的な実験と同じように、施策を実施した場合としなかった場合の差が統計的に有意かどうか、調べてみよう」などと統計分析に基づいて考察するのですが、上司に話をしてもあまり理解してもらえない。「本当は実際のビジネスでもきちんと有意差検定に基づいて意思決定すべきなのに……」と悩んでいました。

 一方、テック系やアプリ開発の企業だと、A/Bテストを行って統計分析するのは当たり前で、1年間に数百とか数千のテストをしている会社もあります。

西川 確かに業種によって違いはありますね。

及川 私が教えている早稲田ビジネススクールでも、新薬開発の治験のように、マーケティングにおいても、仮説、調査と実験、その結果に対する統計分析に基づいて意思決定するプロセスを学ぶことで、それまで自分たちが実務で行ってきた意思決定が、いかにふわっとした情緒的かつ物語的なものであったか、気付いてもらうよう心がけています。

そうすると、何か変わりますか。

及川 「マーケティング企画のプロセスの正当性も、科学的な実験のように統計分析で確かめられる」という問題意識に気付いた人が、いざ自分の会社の意思決定の経緯を振り返って、理想と現実のギャップを感じることも少なくないようです。

 20代、30代の人たちは「自分たちが何とかしなければ」という危機感を持っています。そんな若い世代が企業の上層部に上がって、日本企業の状況が変わることを期待しています。

西川 私も大学で教えるときは、統計分析やデータ活用に積極的な企業が、今後さらに増えていくことを想定して、「日本のマーケティング業界でも、近い将来、最低限の統計分析のスキルが必要になる」と教えています。常日頃から「データを統計的に分析し、客観的な根拠に基づいて判断できるスキルは、企業にとっても個人にとっても有益だ」と伝えています。

西川英彦氏
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西川英彦(にしかわ ひでひこ)氏
法政大学経営学部 兼 大学院経営学研究科 教授
神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課程修了、博士(商学)。ワールド、ムジ・ネット取締役、立命館大学経営学部准教授・教授を経て、2010年から現職。法政大学大学院経営学研究科長、日本マーケティング学会会長、複数社の社外取締役などを歴任。主な著書に『1からのデジタル・マーケティング』(共編著、碩学舎、日本マーケティング本大賞2019大賞受賞)、『1からの商品企画』(共編著、碩学舎)、『ネット・リテラシー:ソーシャルメディア利用の規定因』(共著、白桃書房)、“The Value of Marketing Crowdsourced New Products as Such: Evidence from Two Randomized Field Experiments” (共著、Journal of Marketing Research,54 (4))など。近著に『文系マーケターのためのゼロからわかる統計分析』(日経BP)がある。専門はデジタル・マーケティング、ユーザー・イノベーション

統計分析の知識やスキルを身に付けることは、就職活動においても有利に働くのでしょうか。

西川 文系でも理系でも、就職活動の武器になりますよ。統計分析の知識やスキルは自分の売りになる可能性が高いので、エントリーシートに「統計分析ソフト『R(アール)』を使って分析できます」と書いたら、ピンとくるリクルーターもいるはずです。入社後もそのスキルを評価され、早い段階からマーケティングに近い仕事に就けたり、商品企画など、自分が希望する部署に配属されたりするかもしれない。

 逆に、リクルーターがピンとこなければ、その企業がデータ分析やリサーチをどの程度重視しているかを知る手掛かりにもなります。いずれにせよ、「統計分析」は就職活動の“売り”になるスキルだと学生には伝えています。

マーケティングにおける統計分析の扱いに日米の差はありますか。

及川 私がかつて米国のビッグデータ分析会社に所属していたときは、小売企業や外食企業に特化したクライアントに対して、RCT(ランダム化比較対照実験)などのサービスを提供していました。

RCTは、広告やキャンペーンなどの施策の効果を正しく統計分析するために、被験者を「施策を行うグループ」と「行わないグループ」に無作為(ランダム)に分けて比較する実験の手法ですね。

及川 はい。当時は米国の大手トップ100の小売企業の半分以上に、RCTで意思決定するサービスを提供していました。一方、同じ頃の日本でRCTをやる企業はかなり少数でした。ですから、マーケティングにおける統計的な発想と施策の重要性に関しては、今でも日米間で多少の時間差がある気はします。

 一方、日本のテック企業では当然になっていますが、いわゆるトラディショナルな企業ではほとんど実施されていないので、RCTによって意思決定することで競合他社に差をつけられる可能性はあります。

西川 そうですね。

及川 これからAI(人工知能)をマーケティングに導入して、着実に利益を出していこうとするなら、RCTを使いながら意思決定することには伸びしろがあるので、日本の企業にとってチャンスではないかと思っています。

「文系でも分かる統計分析の講義」がベース

大学院やビジネススクールに通っていないマーケターが、RCTなども提案できるレベルの統計分析の知識やスキルを得るために、文系の初学者が独学で学ぶのに適した書籍は、日本でも充実しているのでしょうか。

及川 分かりやすさを優先して概要は説明するけれど、表層的な知識しか得られず、統計分析を実務で実践できない本や、統計分析の中身を学術的に詳しく説明するあまり、初学者にとっては読むのを拒絶されているとしか思えないほど難解な本は、世の中にたくさんあります。

 しかし、今回西川先生と佐保(圭)さんが書かれた『文系マーケターのためのゼロからわかる統計分析』(日経BP)は、初学者でも理解できる分かりやすさもありながら、統計分析の本質もきちんと書かれていて、かつ、実際に自分で「R」を動かすところまで解説されているので、この本を読むこと自体が非常に面白い体験になりました。

及川直彦氏
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及川直彦(おいかわ なおひこ)氏
早稲田大学ビジネススクール客員教授/ネットイヤーグループ シニアフェロー
電通、ネットイヤーグループ(CMO)、マッキンゼー・アンド・カンパニー、電通コンサルティング(代表取締役社長)、アプライド・プレディクティブ・テクノロジーズ(日本代表)、Mastercardデータ&サービス(日本地区責任者)、ゼレンホールディングス(代表取締役社長)などを歴任。早稲田大学ビジネススクールの客員教授として、幅広い業界で実務の最前線に立つ学生に、学術研究の成果を活用した課題解決を支援している

西川 ありがとうございます。そもそも、この本を書くきっかけとなったのは、4年前の及川先生との対談でした。あのときは、「マーケターは、マーケティングに必要な統計分析の基礎知識やスキルを身につけるべきだ」と意見が一致しました。しかし、統計分析を実務で生かしたい文系マーケターに適した参考書を、見つけることができませんでした。

 そこで、私が大学で教えていたカリキュラムをベースにして、ビジネスパーソンに統計分析を分かりやすく講義する特集を、日経クロストレンドでスタートさせました。その記事を基に、内容を全面的に書き直して完成させたのが、この本です。もし、及川先生との議論がなければ、この本は生まれなかったかもしれません(笑)。

及川 そうでしたね(笑)。

西川 あの対談をきっかけに、私たちが日頃あまり意識せずに使っている「p 値」や「t 値」、「相関係数」などの統計用語が、必ずしも正確に理解されているわけではないことに気付かされました。なので、「統計分析を全く知らない人でも理解しやすいか」という点については、かなり意識して書いたつもりです。

 さらにプラスアルファとして、「効果量」「95%信頼区間」「自由度」あるいは「セレクションバイアス」、及川さんが話された「RCT」の話など、実務で役立つ内容に加えて、現在の学術論文で求められる水準を意識した解説も充実させました。そのため、本書をベースに学べば、学生も一定の水準を満たした論文が書けるようになると思います。

及川 「難しいことは理解したくないから、さっさと実務で統計分析を使えるようになりたい」という人にも役立つし、「統計の知識をそのまま学んで使うだけでなく、その裏側にある考え方も深く学びたい」という人にも対応していますね。

 実際のビジネスにおけるマーケティングには、統計分析の知識だけでなく、アイデアを育て、検証していく力が大事です。そのプロセスの中で、それぞれの統計の分析手法が一体何を確かめようとしているのか、その本質がちゃんと書かれていて、文系の初学者にはもちろん、すでに知識やスキルを持っているプロフェッショナルなマーケターが読んでも、改めて深く学べる本だと思います。

西川 さすがにプロの方にはどうでしょうか。

及川 いや、統計を教えている大学教員でさえ、p 値や統計的有意性の意味を正しく説明できなかった、という調査結果があるくらいです。ある社会科学の分野の研究者や統計の指導者を対象にした調査では、8~9割が誤った説明をしたという報告もあります。研究者も意外と分からないまま統計分析を使っているケースも珍しくありません。

西川 確かに、統計学を専門としない研究者の中には、統計分析にそれほど詳しくない方もいらっしゃいます。私自身も、自分では統計分析を理解して使っているつもりですが、いざ学生に説明しようとなると言葉につまってしまうことがあります。複雑な数式や行列が使えれば簡単なのですが、高度な数学の知識を前提とした説明だと、文系の学生には理解しにくくなってしまいます。

及川 文系の学生やマーケターに統計分析を教えるためには、数式や行列が理解できる理系に教える場合とは別の言語が必要になりますね。

西川 ですから、例えば「重回帰分析における多重共線性の問題」についても、本書では事例に沿って説明しています。専門的には、行列を使って数式で説明する本が多いのですが、本書では高度な数学の知識がない人でも理解できるように、「10個あるデータのうち1個を除いて9個にするだけで、導き出される回帰式の係数の符号まで変わり、その要因が結果に正の影響を与えるのか、負の影響を与えるのかという解釈まで逆転してしまう」といった事例を示して、多重共線性があると回帰係数が不安定になることを説明しています。

及川 なるほど、それはいい。

西川 実は何度も試しながら、1個のデータの有無で、回帰係数の符号がきれいにマイナスからプラスへ変わる架空のデータを作るのは、かなり大変でした(笑)。でも、文系の学生にも「こんなに変わるって、おかしい!」と直感的に理解してもらえる説明にできたのには満足しています。

及川 確かに文系の人にとっては、行列を使った数式で説明されるより、直感的に捉えられますね。数学的な頭の人は数式で理解するけど、それってどういう意味なのか、もう一歩踏みこんで、かみ砕いて説明しているところがとてもありがたい。

西川 大学の講義で統計分析について説明して、学生がポカンとしていたら、「この説明方法では伝わっていないな」と気付いて、修正して、次の講義では別の角度から説明して、また学生の反応を見る……その繰り返しでした。時間はかかりましたが、学生からのフィードバックで説明の“分かりやすさ”が磨かれました。統計分析が苦手な学生たちのおかげですね(笑)。

生成AIでマーケティングが大きく変わる

前回、及川先生と西川先生が「統計分析」について対談されたときには「AI」についての言及がありませんでした。4年後の現在、マーケティングにAIを活用するのが当たり前になっています。なぜ、これほど急激に状況が変わったのでしょうか。

及川 生成AIは元来、数式を厳密に解くような数学的な処理はあまり得意ではなかったんです。チャットベースのAIは、統計的な意思決定というより、データや統計を使いながらアイデアを深めるときに便利なツールでした。ところが、現在は生成AIのコード生成能力がかなり進化しています。

 例えば「R」や「Python(パイソン)」も簡単に書けるようになりました。これこそが、AI企業の米アンソロピックが開発者向けに提供している「Claude Code(クロードコード)」のすごいところです。ある業務を切り出して、その業務を実行するタスクや要件を定義して、それに基づいてちょっとしたアプリやシステムを簡単に開発できるようになりました。

 アイデアやプランのつくり方も同様です。以前はチャットでアイデアの壁打ちをする程度でしたが、今では市場調査を担当するエージェントや、オペレーション計画を検証するエージェント、財務シミュレーションを行うエージェントなどをそれぞれ立ち上げて、多角的に検証させることができるようになりました。

西川 そうですね。

及川 しかし、その生成AIで書いたアイデアやプランが、本当に数億円の投資に関わる意思決定を行うに足るものなのかというと、そうとも言い切れません。

どうしてですか?

及川 生成AIを使うと、マーケティングのシナリオが簡単につくれますし、作業スピードも速くなります。そのシナリオをより多くの人に分かりやすくしたものを何バージョンもつくって、フィードバックで改善することを繰り返しやっていくと、説得力のある指標やプランができます。

 ところが、それを統計の知識やスキルのない人がひたすらやり続けると、妙に説得力はあるけれど、非常に“怪しげ”なものができてしまうリスクもあるのです。

“怪しげ”なものができてしまう?

(次回へ続く)

法政大学経営学部の西川英彦教授(写真左)と、早稲田大学ビジネススクールの及川直彦客員教授(同右)
法政大学経営学部の西川英彦教授(写真左)と、早稲田大学ビジネススクールの及川直彦客員教授(同右)
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(文・構成/佐保 圭、写真/志田彩香)

本書は統計や数式に苦手意識を持つ文系マーケターに向けて、データを正しく読み解き、意思決定に生かすための統計分析の基礎を、ゼロからやさしく解説した入門書です。本文は軽妙な対話形式で、難解な数式の理解に偏ることなく「なぜその分析をするのか」「どのように結果を解釈するのか」という実務での活用を念頭に置き、統計分析の本質にフォーカスしています。

西川英彦、佐保圭(著)、日経BP、2420円(税込み)