田舎町の商店から、世界最大の売り上げを誇る小売業へとウォルマートを育てたサム・ウォルトン。ウォルトンは、自社だけではなく他社の店も見て回ることに人生をささげました。自伝『 私のウォルマート商法 すべて小さく考えよ 』(渥美俊一、桜井多恵子監訳/講談社+α文庫)を、コーン・フェリー・ジャパン前会長の高野研一さんが読み解きます。『 ビジネスの名著を読む〔リーダーシップ編〕 』(日本経済新聞出版)から抜粋。

マニアのように店を見て回る

「私の自慢できるただ一つのことは、アメリカ中のどのチェーンのトップよりも、私のほうがより多くの店の実例を見学(ストア・コンパリゾン)していることだ」


 ウォルマートの創業者であるサム・ウォルトンは、根っからの「商人」で、自社および他社の店を見て回ることに人生をささげた人です。「技術屋」本田宗一郎氏が世界中の機械を見て回ったのとよく似ています。時には自家用機で遠隔地まで赴き、時には家族とのキャンプを抜け出しては、マニアのように店を見て回りました。ミネソタ州の2つの町で、はじめて「セルフサービス」が開始されたという新聞記事を見ると、一晩バスに揺られてこれらの店を見に行きました。そして、自分の店にも早速このシステムを採用します。

 ウォルトンの行動範囲は店舗だけに留まりません。他のディスカウントストア・チェーンの本部にも単身乗り込んでいって、おもむろにこう切り出すのです。

「こんにちは。サム・ウォルトンといいます。アーカンソーのベントンビルでいくつか店をやっています。こちらの社長さんにお会いして、ビジネスのお話をうかがいたいのですが」


 多くの場合、相手は好奇心から会ってくれたそうです。そこでウォルトンは価格や物流など、あらゆることについて質問を浴びせかけ、多くのことを学んでいきました。店頭の棚の背後に、顧客の生活スタイルや仕入れ政策、物流システムをイメージできていたということが分かります。

 ウォルトンには、「自分はまったくの素人で無知である」という自覚がありました。そして、ソクラテスではありませんが、それがかえってその後のウォルトンにとって幸運となったのです。なぜなら、当時米国の小売業は、パパママ・ストアから近代的チェーンストアへと大きく構造が変化していく過程にあり、様々な店舗形態がテストされ、新しい技術が導入されていたからです。ウォルトンはその中から多くのことを学び、世界一の小売企業を育てることに成功しました。

集客のために様々な実験を行う

 ウォルトンが最初に事業を始めたのは、ベン・フランクリンというフランチャイザーの傘下にあった小売店を買ったときにさかのぼります。小売業大手のJCペニーで1年半働いた後に、自分で小売業を始めようとしていた矢先に、その小売店の身売り話が持ち込まれたのです。

 そこでは、店を経営するためのノウハウがきわめて効率的に組み立てられていて、ウォルトンはそこから多くのことを学びました。独自の会計システムやマニュアルがあり、商品一覧表、支払勘定書、損益計算書などがありました。前年と今年の営業利益や売上高を日々比較できる台帳もありました。自営業者が店を経営し管理するのに必要な道具一式がそろっていたのです。

 ただ、ウォルトンは最初こそマニュアル通りにやっていましたが、すぐに自分で実験を始めるようになりました。独自の販売計画を立て、メーカーから直接商品を仕入れ始めたのです。メーカーに足を運んで交渉することもやりました。「フランチャイザーを通すと25%も余分に払わなければならないから、直接売ってほしい」と掛け合ったのです。

 また、商品を安く卸してくれる業者を求めて、隣の州まで足を延ばすようになりました。その結果、3足1ドルで売っていたソックスを、4足1ドルで売ることができるようになり、店の宣伝に大いに役立ちました。1足当たりの利益は半分になりましたが、販売数量が3倍になったことで総利益がはるかに大きくなることを学びました。こうした経験を通じて、ウォルトンは薄利多売の原理を知ったのです。

 さらに、ウォルトンは集客のために様々な実験を行いました。ポップコーンの機械を歩道に出してみたところ、爆発的な売れ行きになりました。次の手としてソフトクリームの機械を導入すると、これも大繁盛になりました。もちろん、成功ばかりではありません。ある日、そのアイスクリーム機を掃除し忘れたことがあり、翌日ウォルトンが得意満面で顧客をお店に案内した際、ショーウインドーにハエがびっしりたかっていたこともあったといいます。

 ウォルトンは、集客につながるアイデアや商品を常に探し求めました。フラフープがブームになると、フラフープと同じサイズの管をつくる業者と資金を出し合い、いまでいうプライベート・ブランドのフラフープを製造して店頭に並べました。こうした特売品をトラックいっぱいに積み込み、自ら運転して店を回ったのです。

サム・ウォルトンが創業したウォルマートは世界最大の小売業へと成長した(写真/Shutterstock)
サム・ウォルトンが創業したウォルマートは世界最大の小売業へと成長した(写真/Shutterstock)
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出店政策を決めた「妻のひと言」

 やがてウォルトンは、フランチャイザーの傘下で店を展開することに見切りをつけ、自分のバラエティストア(食品以外の購入頻度の高い家庭用雑貨を幅広くそろえた小売業態)をチェーン展開するようになります。1960年には15店舗で140万ドルの年商になっていました。

 しかし、この時代になると、巨大な店舗を擁したディスカウントストア(日用品・衣料品・食品・家電製品・玩具などを大型店舗で販売し、効率化によって低価格を実現した小売業態)があちらこちらに現れるようになります。バラエティストアは45%の粗利益率を追求します。ところがディスカウントストアは粗利率を30%に下げることで回転を利かせ、売り上げを圧倒的に引き上げていきます。

 ウォルトンは、近い将来ディスカウントストアの波が押し寄せてきて、大打撃を受けると分かっていながらバラエティストアに留まるか、それとも、自らディスカウントストアを始めるのかという選択を迫られました。ここで、ウォルトンはディスカウントストアに参入することを決意します。もちろん多額の借金を抱えるリスクを冒してです。

 ウォルトンはディスカウントストア1号店に「ウォルマート」という名前をつけました。ただ、このリスクの高い出店に対して、出資したがる人はいませんでした。そこで、95%をウォルトン自身が負担することになります。そのために、家も土地も一切合財を抵当に入れました。

 ウォルマートには十分な資金がなかったため、比較的小規模の店舗でも優位性が出せる小さな町に出店しました。ただ、それだけではなく、意外にもウォルトンの妻ヘレンの次のひと言がその後の出店政策を決める上で重要な役割を果たしたといいます。

「サム、私たちは結婚してから二年間に一六回も引っ越したわ。私はあなたの行くところならどこでもついて行くつもりよ、大都市以外ならね。人口一万人以上の町は駄目よ」


 自然環境豊かなところで子供を育てたいという、当時の多くの米国人の母親の心がその背景にありました。こうした経緯から、ウォルマートは家庭的で、地元に密着した店舗運営を追求する会社になっていきました。そして、小さな町を知れば知るほど、ウォルトンはその可能性に気づいたのでした。

アメリカの小さな町には、誰も思いもよらないほど多くのビジネス・チャンスが転がっている。


『私のウォルマート商法』の名言
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