一世を風靡した『負け犬の遠吠え』から約20年。酒井順子さんが焦点を当てたのは、今の社会に存在する「階級問題」。『 消費される階級 』(集英社)は、誰もが触れにくいと感じている部分もあえて光を当てて触れていく、ちくりと刺さるような感覚を覚えるエッセーだ。細かな「差」にとらわれて傷ついてしまう現代社会でどうすれば穏やかに生きていけるのか。「階級」を知る本も挙げてもらった。(聞き手は宮本恵理子)

『消費される階級』(集英社)には、日本特有の「二重まぶた信仰」など、身近かつハッとさせられる視点が満載でした。

 重い話だけでなくライトなテーマも織り交ぜたいなと思い、「まぶた差別と日韓問題」という題でまとめてみました。

 ライトと言いつつ、昨今の若い女性たちの整形ニーズの高まりを考えると、それほど軽い話でもないのかもしれません。私が10代だった頃の「二重まぶたへの憧れ」の象徴的行動といえば「アイプチ」くらいでしたが、今は小学生でも整形手術をすることがあると知って驚愕(きょうがく)しました。

 昔はブス差別がもっと大っぴらで、「ブース!」と言われた側は傷つくのは傷つくけれども、表で泣けましたよね。誤解を恐れずに言えば、みんな今よりもこそこそしないでお互いを傷つけたり、立ち直ったりしていた。

「昔は差別がもっと大っぴらだった。みんな、こそこそせずにお互いを傷つけたり、立ち直ったりしていた」
「昔は差別がもっと大っぴらだった。みんな、こそこそせずにお互いを傷つけたり、立ち直ったりしていた」
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 今は、「ルッキズムにつながることは言っちゃいけない」とタブー視されるから、「ブース!」と女子をからかうバカな男子もいないのでしょう。その結果、「誰からもブスとは言われないけれど、もしかしたらブスと思われているかも…」と負の妄想が膨れ上がって、「そうだ。手術しよう」と思い立ってしまう。そんな構造を感じてしまいます。

つまり、一見、いさかいごとが起きていない“きれい”な世の中に近づいているようで、本質は変わらない。むしろエスカレートしているのでしょうか?

 より「繊細化」しているのかもしれませんね。平等や多様性を重んじる教育が年々浸透して、世の中が平たくなるにつれ、今の若者たちは「ちょっとの違い」をより大きく捉えるようになっている気がしてなりません。

 戦前までの日本には身分制度があって華族制度があったりと、リアルな階級社会だったわけですが、戦後の民主化に伴って「平等化」が進み、より「細かな差」を気にするようになったのだろうと私は見ています。

「なくなるはずもない差をなくそうとすればするほど、繊細化も進んでいくのではないでしょうか」
「なくなるはずもない差をなくそうとすればするほど、繊細化も進んでいくのではないでしょうか」
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若い人ほど繊細化しているということですね。

 10代のめいの話を聞いていても、それは感じますね。一方で、年を取れば解放されるのかといえばそうでもないようです。本書でもとり上げましたが、「超高齢化時代のおばあさん格差」も生まれています。

 書店に「高齢女性が生き方を指南する本」がベストセラーとして棚を埋めている現象からも分かるように、健康で美しく、体力も財力もあり、友人にも恵まれている「すてきなおばあさん」がもてはやされています。

 それができない高齢女性のほうが圧倒的に多いはずなのに、こうしてロールモデルが生まれることで「格差」が可視化されていく。

 先日、「100歳で夢をかなえよう」とうたう本を見つけたときは、「100歳まで夢を追わなければならないのか」と、ゾ~ッとしました。

いつまでも他人との「差」にとらわれて悶々としてしまう私たちが平穏に暮らすために、心の持ち方はどうあるべきでしょうか。

 広い視点で世界を見渡して、自分の意識を客観視してみるといいのではないでしょうか。何かと格差社会だといわれる日本ですが、世界全体で見ればものすごく格差の幅は狭い国ではないかと私は思います。

 貧しい人が増えてきたといっても、世界の中ではまだまだ豊かな国。それでも「格差」といわれるのは、日本全体が繊細化して、細かな部分までクローズアップされることが多くなったからではないでしょうか。ですから、もう少し広い視点に立って、自分の“常識”とは違う世界を知るだけで、幾分か解消される悩みもあるのではないかなと。

 例えば、先ほどお話しした「まぶた」の問題にしても、「一重まぶたが美しい」と礼賛される社会もあると知るだけで、整形手術をするかしまいか夜も眠れぬほど悩んでいた女の子の日常は穏やかになるでしょう。だいたい、年を取ればそんなこと気にしなくなりますし。

 別にお金をかけて海外留学をしなくとも、いつもと違う場所へ行って、新鮮なコミュニティーに入ってみるだけで、「私がこだわっていたのは、どうでもいいことだったわ」と気が付いて、心が軽くなる可能性は結構あると思いますよ。

『消費される階級』の目次に並ぶ多種多様な「階級意識」を読むことも、「世の中にはこんなことを気にしている人もいるんだな」と俯瞰(ふかん)の視点を得るきっかけになりそうです。

 確かに、私が書いたのは「階級の宇宙」かもしれませんね。そんな宇宙、嫌ですけど(笑)。

まぶた問題に、親ガチャ・子ガチャ、東大礼賛と低学歴信仰、反ルッキズム時代の容姿磨き…「確かに、階級の宇宙…かもしれませんね(笑)」
まぶた問題に、親ガチャ・子ガチャ、東大礼賛と低学歴信仰、反ルッキズム時代の容姿磨き…「確かに、階級の宇宙…かもしれませんね(笑)」
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 きょうは、「階級」を知り、味わう本としてお薦めの3冊を選んでみました。

 まず、階級社会がオフィシャルなものだった大正初期が舞台の物語として、三島由紀夫の 『春の雪』(新潮文庫)

『春の雪』(三島由紀夫著、新潮文庫)
『春の雪』(三島由紀夫著、新潮文庫)

 皇族の許嫁に恋をした華族男性の悲恋を描いた小説で、かつて日本に存在した階級社会を知るによし。そして、階級を乗り越えようとする男女の葛藤や駆け引きに、うっとり感も味わえる、言わずと知れた著者の遺作です。

 2冊目に挙げたいのは、水上勉が1963年に発表した社会派推理小説、 『飢餓海峡』(新潮文庫) です。

『飢餓海峡』(水上勉著、新潮文庫)
『飢餓海峡』(水上勉著、新潮文庫)

 ある事件に巻き込まれて激動の人生を歩む男性が主人公の推理小説なのですが、貧しい集落に生まれ、成功を手にするために都会に出ていかなければならなかった運命に、時代の背景を感じます。

 水上勉自身も、主人公に通じる生い立ちをある意味利用して世に出た作家なので、エリート家庭で育った三島由紀夫との違いも味わえるのではないかと思います。

 大正、昭和と来て、現代の階級を知るのに適した作品はと考え、すぐに浮かんだ3冊目が、 『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』(集英社)

『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』(麻布競馬場著、集英社文庫)
『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』(麻布競馬場著、集英社文庫)

 令和時代の繊細化した階級社会を描く小説家といえばこの人、麻布競馬場さんです。慶応生の中でも内部進学かどうか、タワーマンションの何階に住んでいるかどうかで「差」を測っては思い悩む「タワマン文学」は、まさに現代社会を表す作品。

 外から見るとささいな差でも、当人たちにとっては真剣な悩みを生むシビアな差。

 ああ、きっと私がとらわれているあの「差」も、外から見たらわずかな差なのかもしれないと気づかせてくれます。差の悩みは尽きず、きっと永遠になくなるものではないのでしょう。

 その事実を知るだけで、むしろ楽になるのではないでしょうか。

取材・文/宮本恵理子 構成/長野洋子(日経BOOKプラス編集部) 写真/稲垣純也、本写真/スタジオキャスパー