スタートアップ・エコシステムの研究をしている横浜市立大学商学部の芦澤美智子准教授の原点は、幼少期に父親の背中をみながら、「なぜ、経営に行き詰まり、事業が傾くのか。どうしたら新しい事業を手掛け成長できるのか」と感じたことだったという。公認会計士から民間企業を経て、大学教授への道を歩む芦澤さんに影響を与えた本を紹介する連載第3回。

実家の廃業が原体験となり研究の道へ

 私は父方の実家と母方の実家が対極的な環境の家庭で育ちました。父は、町の工務店の3代目。母方の親戚は高学歴な人が多く、社会的な指導者を何人も輩出していました。子どもの頃からそれぞれの環境のメリット、デメリット、そして両者の摩擦を肌で感じながら育ちました。

 父は一生懸命に仕事をしていましたが、バブルがはじけると商売が傾き、ついには私が高校生のときに廃業しました。

「ときには父に『まじめに努力しているのに、どうしてうまくいかないのか』と率直な疑問をぶつけたことも」と話す芦澤さん
「ときには父に『まじめに努力しているのに、どうしてうまくいかないのか』と率直な疑問をぶつけたことも」と話す芦澤さん
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 現在、私はスタートアップ・エコシステムの研究をしていますが、「なぜ、経営に行き詰まり、事業が傾くのか。どうしたら新しい事業を手掛け成長できるのか」という、この時期の体験が原点となっています。縮小していく市場のなかに身を置くことが、どれだけ大変なことか。なぜ、衰退していく市場に見切りをつけ、新たなビジネスに向かえないのか。ときには父に、「まじめに努力しているのに、どうしてうまくいかないのか」「なぜ、うちはだんだん貧乏になるのか」といった率直な疑問をぶつけたこともありました。

 大学では経済学を学び、卒業後は公認会計士として大手監査法人に就職。資本主義の社会では、お金の勘定はマネジメントの土台です。公認会計士の仕事は、学びが多いものでした。

 20代後半は経営に必要な知識を身に付けるためビジネススクールに通い、MBAを取得。その後は産業再生機構に転職しました。

 産業再生機構の仕事こそ、「なぜ、経営に行き詰まり、事業が傾くのか」という自らの問いに対する答えを見つける毎日でした。父と対峙してきた経験が仕事にも生かせ、「なんとか担当した企業の課題を解決したい」というパッションを持って、仕事に打ち込めました。

おかしいことには迷わず声を上げる

 充実していた20代、30代のキャリアですが、数年前に 『LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲』(シェリル・サンドバーグ著/村井章子訳/日経ビジネス人文庫) を読んで、ふと会計士時代の後悔が湧き起こりました。

 『LEAN IN』はフェイスブックCOO(最高執行責任者)のシェリル・サンドバーグさんが、本が発刊された2013年当時、まだ政府や企業のトップには女性が少ないという現状を踏まえ、「真の男女平等を実現するためには、リーダーとなる女性がもっと増えなければならない」と説いています。さらに、「会社での交渉術」「メンターの見つけ方」「すべてを手に入れる、という発想をやめる」など、女性たちが「次なる一歩」を踏み出すための具体的な方法も示しています。

 日本ではフェミニストというと少し自己主張が激しい人たちとみられることもあると感じていましたが、シェリルさんのように社会的地位のある魅力的な人が、きちんと問題提起したというところに感銘を受けました。

『LEAN IN』を読んで「きちんと問題提起したことに感心した」という芦澤さん
『LEAN IN』を読んで「きちんと問題提起したことに感心した」という芦澤さん
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 私が会計士をしていた「ザ・昭和」の時代は、クライアントの工場に行くと、仕事終わりに懇親会があり、工場長行きつけのスナックに行く、というのが定番でした。そこでは女性会計士として「工場長とカラオケでデュエットを歌うこと」がマスト。私も自分が歌えそうな演歌を探し、練習し、レパートリーを増やしていきました。

 ところが何年かたち、後輩女性がその場に同席するようになったとき、「嫌です。私は芦澤さんみたいにできません」と泣いたんです。

 ショックでした。私も別に喜んでデュエットをしていたわけではなく、「なんだか変だな」と思いながらも、「大人」として「当たり前」だと我慢していただけだったのです。

 でも、私が我慢し続けることで、後輩や次世代に負の遺産が受け継がれていってしまう。社会における悪しき慣習の一端を担ってしまう。『LEAN IN』を読んで、「嫌なものは嫌だ」「おかしいものはおかしい」と声を上げるべきだったと反省しました。

 日本のビジネス界において、長らく「女性であること」というのは「マイノリティー」でした。私自身もマジョリティー(男性)に合わせることが生き残るために必要だと考えてきました。しかし、今や時代は変わりつつあります。多様性や女性リーダーを認める機運が高まり、もっと女性が活躍できる世の中に変わっていくでしょう。

とっさに「挙げた手」を下げてしまった

 『LEAN IN』を読んでから、「おかしいことはおかしい」と発言し、行動するようにしていたのですが、最近ある出来事がありました。キャシー松井さん(元ゴールドマン・サックス証券副会長、MPower Partners共同創業者)をゲストスピーカーに迎えた研究会に参加したところ、他の出席者はほぼ男性、それも高名な研究者の人ばかりでした。

 講演が終わって、キャシーさんが「何か質問はありますか」とおっしゃったのですが、私は周囲を見て、「空気を読み」「忖度(そんたく)して」、一度挙げた手を思わず下ろしてしまったのです。そうしたら、すかさずキャシーさんが「彼女が最初に手を挙げたので、彼女に発言してもらいましょう」とフォローしてくれました。

 その言葉はとてもうれしかったのですが、研究者として自由に発言できる立場にあり、『LEAN IN』を読んでから女性活躍のためには声を上げるべきだと自覚している自分でさえ、「挙げた手を下ろすのか」と情けなくもありました。

 やはり、おかしいことには声を上げなくてはいけない。私はそれをやる側に回らなくてはいけない。自分一人の問題ではなく、次世代の女性たちに良い世の中をつくってもらうためにも、やり抜かなければいけないと気持ちを新たにしています。『LEAN IN』はそんな勇気をもらえる1冊です。

取材・文/三浦香代子 構成/雨宮百子 写真/小野さやか

フェイスブックのCOOが書いた大ベストセラー

あなたのポテンシャルをすべて引き出し、自分の幸せとキャリア上の成功を手に入れるための方法を、著者自身の職業経験と家庭生活、子育てを振り返りながらお教えします。その「一歩」を踏み出せば、仕事と人生はこんなに楽しい。

シェリル・サンドバーグ著/村井章子訳/日本経済新聞出版/935円(税込み)