「やめる」という言葉には、ネガティブな印象がつきまとう。「あきらめる」「断念する」「失う」。しかし本当にそうだろうか? 多くの人は人生に「埋没(サンク)コスト」を抱えている。それは「せっかく◯◯したのだから」という言葉で表すことができる思考や行動パターンのことだ。今回、 『「やめる」という選択』 の著者で、2020年に日本マイクロソフトを卒業した澤円氏と、 『世界「失敗」製品図鑑 「攻めた失敗」20例でわかる成功への近道』 の著者で、学びデザイン代表取締役社長の荒木博行氏に、「失敗の克服とやめることの関係性」について語ってもらった。前編のテーマは「大企業の新規ビジネスが失敗しやすい本質的な理由」。
「やめられない」ことが、失敗の傷を広く深くする
荒木博行氏(以下、荒木):前著 『世界「倒産」図鑑 波乱万丈25社でわかる失敗の理由』 を書いたとき、「なぜあえて倒産事例を調べたのか?」と聞かれることがよくありました。僕たちはつい、成功事例に目を向けて、そこから学びを吸収しようとしますが、実は失敗のケースは成功よりもある意味で大きな気づきを与えてくれますし、僕たちの行動を変える機会を与えてくれると考えているんです。
澤円(以下、澤):たしかに他人の失敗から学べることって多いですよね。僕はマイクロソフト、荒木さんは住友商事と、どちらもいわゆる「大企業」にいましたが、大企業ならではの失敗ってありますか?
荒木:そうですね、大企業が陥りやすい失敗のパターンに、「一貫性の罠(わな)」があると思います。

株式会社学びデザイン代表取締役社長
住友商事、グロービス(経営大学院副研究科長)を経て、株式会社学びデザインを設立。フライヤー アドバイザー兼エバンジェリスト、武蔵野大学アントレプレナーシップ学部教授、金沢工業大学大学院イノベーションマネジメント研究科客員教授、グロービス講師、絵本ナビ社外取締役、Book Cafe 女川プロデューサー、COAS ホースコーチング プログラムディレクターなどを務める。著書に『藁を手に旅に出よう』(文藝春秋)、『見るだけでわかる! ビジネス書図鑑』シリーズ(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『世界「倒産」図鑑』『世界「失敗」製品図鑑』(日経BP)など多数。
荒木:歴史がある企業ほど、「過去、こういうことを言ってきた」「こういうことを大切にして成功してきた」という蓄積があるんですよ。その施策が作られたときは、環境にフィットしていたから、合理的にその施策が生まれたのですが、代々それが受け継がれていくうちに、環境との整合性がすっかり忘れられて、施策、つまり「やり方」ばかりが残ってしまう。
多くの失敗は、環境が変わっているにもかかわらず、施策ややり方だけが残っているときに起こるんです。
澤:荒木さんの『世界「失敗」製品図鑑』の中でいえば、1957年に発売された米フォード・モーター社の中級車「エドセル」の事例がまさにそうですよね。「俺たちは正しいことをやっている」と罠にはまって思い込んでいて、「正しいのにうまくいかないのはなぜだ」となってしまった。「うまくいくようにするのがビジネスとして正しい」はずなのに、その発想には至らない。
荒木:そうなんです。エドセルの開発は、「最新の顧客情報をベースに、社内的に正しいプロセスに則(のっと)って決められた、正しい意思決定」だったことがかえって災いして、誰も「世の中が変わっているかもしれない」ということに考えが及ばなかったのだと思います。
「マネジメントとはかくあるべし」ということは、皆さん管理職になったときに研修などで教わると思うのですが、「なぜそれが必要なのか」という文脈や、外部環境の前提がごそっと抜け落ちていることがよくあるんです。そのため、誰も理由の分からない「やり方」だけが残ってしまう。それがまさに、失敗への道筋なのかなと思います。
澤:「誰が言った」という部分を重視し過ぎて罠にはまってしまう場合もありますよね。
これは僕が企業研修などでよくする例え話の一つですが、社内のミーティングの最中にその会社のあるお偉方が、封がされた段ボール箱を持ってやってきて、ぽんっとミーティングテーブルの真ん中に置いたとします。そして「この中に生きたキングコブラが入っているから開けないほうがいいよ」と一言だけ言って、立ち去ってしまうんです。
ミーティングをしている人は邪魔だし「なんでそんなものを持ってくるんだ」と思うんだけど、お偉方が持ってきたものだからどけられない。それでミーティングが終わると「あの◯◯さんが持ってきた箱、中に生きているキングコブラが入っているから開けないほうがいいよ」と他の人に伝える。
荒木:「◯◯さんが持ってきた」という話が伝わっていくんですね。
澤:そうです。それで「◯◯さんが持ってきたんだから、しょうがない」と、その箱がずっとそこに残り続けるわけです。
それからは、その上にパソコンを置いたり、付箋を貼ったりして、段ボール箱の存在が最適化されていくんですよ。そんなふうに、生産性が低い状態の中で工夫を凝らしていると、いつの間にか「これは◯◯さんが持ってきた段ボールだから、意味があるに違いない」と、それに意味を見いだすようにまでなっちゃう。
荒木:中は生きているキングコブラなのに(笑)。
澤:企業研修でこの話をすると、みんな笑った後に、急に真顔になるんです(笑)。思い当たり過ぎちゃって。
荒木:よく分からないまま生き残っているルールって、どの会社にも必ずありますよね。それどころか、自分の家の中とかでもあると思うんですよ。そこに置いてあって景色の中に同化していて、疑うことさえしないものが。冷静に見れば別の場所に置いたほうが便利だったり、そもそもいらないと気づいたりすることもあるんだけど、そういうことを疑うのって実は脳に負荷がかかるので、考えることを避けてしまうんですよね。
だから家であれば、引っ越しとか模様替えって、すごく大事なことだと思うんです。先日、北野唯我さんと話したときに、彼が「小さく壊す」ということの重要性を語っていたのですが、「小さく壊す」ということは前提を疑うきっかけにもなりますよね。
澤:自分の頭できちんと考えるために「小さく壊す」。いいですね。
荒木:この話は、澤さんの『「やめる」という選択』に書いてある「埋没コストの呪縛」にもつながると思います。キャリアもそうですが、いろいろ抱えているものが多いと、考えることさえ面倒くさくなる。せっかく問題点や課題に気づいても、「これを変えるの、面倒だな」「いろいろ問題があるのは分かっているけど、大変そうだなあ」となる。そうこうしているうちに「あ、メールが来た。返信しなきゃ」となって、日常に戻ってしまうんですよね。
誰もが一瞬、「考えるべきじゃない?」と振り返るタイミングってあると思うんです。でも、そのときに立ち止まれず、目の前の小さなタスクに取り組むことで安心を得てしまうということって結構ありますよね。
澤:怒られるのが怖い、ということもあるんだろうなと。結局何かを変えようとすると、誰かに文句を言われるじゃないですか。軋轢(あつれき)が生まれますよね。それを避けるためには現状維持が一番。そういう発想になりやすいのかなって思いますね。
環境の変化に気づくためには、飛び込んでみるしかない
荒木:現状維持ということに関して、 『コア・コンピタンス経営』 というゲイリー・ハメルとC.K.プラハラードという経営学者が1990年代に書いた名著があるんですけど、「4匹の猿」という面白い比喩があるんです。
4匹の猿が、部屋の中に入れられるんですが、部屋の天井から床に向かって棒が延びていて、棒の上のほうにバナナが付いているんです。どの猿も上ってバナナを取ろうとしますが、ある地点まで行くとシャワーから水が出るようになっている。4匹の猿はシャワーを浴びて棒から落ちるという経験をするんですね。
澤:バナナ取れないし、水浸しになる、ということですね。
荒木:はい。そうするとみんな、棒を上らなくなるんですよ。
そういう状態になったら、今度はシャワーのスイッチをオフにして、猿を1匹、入れ替えます。つまり3匹の古い猿が残り、1匹の新人が入ることになります。棒の上にはバナナがありますから、もちろん新人の猿は勇んで上ろうとするんですよ。ところが残りの3匹の猿に止められるんです。「お前、やめとけ」と。それで新人の猿は上らないわけです。
そこからさらに、古い猿を1匹出して新しい猿を入れて、ということを繰り返し、最後は全員がシャワーを知らない猿になるんですけど、それでも誰も上らないんです。
澤:シャワーのスイッチはオフなのに。
荒木:ええ。棒を上ると嫌なことが起きるというのが、叩(たた)き込まれているんですよね。ですから、上のバナナを眺めるだけ。ここでの示唆はいろいろあると思うんですけど、一つ挙げるとすれば、「誰も理由が分からないのに、やめろと言われ続けると実験しなくなる」ということなんです。「ちょっとやってみようか」という、澤さんみたいなお猿さんがいない(笑)。
澤:僕みたいな猿、必要ですね(笑)。僕はこの話に出てくる猿たちの思考を、「かもしれない思考」と呼んでいます。「こうなるかもしれないから、やめておこう」という考え方ですね。
荒木:環境は変化しているんです。シャワーのスイッチはオフになっている。環境の変化はあるけど、「上るな」というアクションだけが残る。
ただ我々は、環境の変化を事前に知ることはできないんですよ。だから、それを知るためには、上るしかないんです。「上ったらやっぱりシャワーを浴びた」みたいな失敗ももちろんあります。
澤:『世界「失敗」製品図鑑』に出てくるものはまさに、上ってみたらシャワーを浴びちゃったという事例ですよね。
荒木:はい。ただ僕は、「上ればいいじゃん」と思います。欲しいなと眺めているよりも、よっぽどいい。我々は果敢にチャレンジして、やっと環境の本質というのが分かる、というふうに言えるのかもしれないですね。
澤:さっき僕が言った「かもしれない思考」も、「うまくいくかもしれないから、やってみよう」とポジティブに使えるといいですね。現状維持が一番という発想は、実際のところ変化し続けている環境に対する思考の放棄でしかないわけですから。

環境は想像よりはるかに移ろいやすいからこそ、試し続ける意味がある
澤:「競争環境が変化している」というのは当たり前のように聞く言葉ですが、大企業の新規ビジネスで失敗するパターンの多くは、まさにこの環境変化に対する認識にあるのではないかと思っています。環境の変化を正しく受け止められていないというか、自分の会社ならば対応できるはずだと思い込んでいるというか。
荒木:なるほど。
澤:これはここ数年、いろいろな企業に入らせてもらって、社長付きとか、トップクラスの役員付きの仕事をしてくる中で感じていることなのですが、大企業の既存のビジネスはスノーボード型で、新規事業とかスタートアップはサーフィン型なのに、足元にきちんと目を向けていないから気づかなくて失敗しているのではないかと。
荒木:サーフィンとスノーボードですか。
澤:サーフィンをやっている人がスノーボードをやると、うまくなるスピードがものすごく速いんです。なぜかといえば、表面が動かないからです。横乗りの姿勢はもともとできているわけですから、サーファーは滑走のスピードに慣れるだけでいい。でも、スノーボードがうまい人がサーフィンもできるかというと、そうじゃないらしいんです。
荒木:へえ、面白い。不安定さがあるからか。
澤:はい、「立つ」ことがまずできないそうです。ですから、ファーストステップのハードルの高さが、全然違うんですよ。それでスノーボードからサーフィンのほうが、圧倒的に難易度が高いらしいんです。僕はスキー指導員の免許を持っているんですが、水上スキーができるかといったら、多分できないです。立てないから。立つということ自体にハードルがあるんですね。
荒木:安定的な形で計画的にビジネスを行ってきた、足元が安定していた大企業にとって、急に不安定なところに行こうとすると、立ち上がることさえ難しいと。
澤:ええ。経営層を見ていると、業務改善のレベルというのはスノーボードみたいなものなんです。既存の事業があって、その上で改善していくわけですから。足元は安定しているんですね。でも新規事業というのは、足元は「水」なので、立つのが大変。だけど経営者って、首から上しか見ていないんですよ。だから担当者に、「お前なんで立てないの?」って言っちゃうんですね。
荒木:ああ、面白い比喩ですね。首から上しか見ていないって。
澤:担当者からすれば、「いや、足元を見てくださいよ」ということですよね。視座が高いことにはいい面も悪い面もあるけど、視座が高すぎる経営者は上のほうしか見ないんです。足元まで見ないんですよね。
荒木:なるほどね。足元がどれだけ不安定なのかというのが、目に入ってこないわけですね。
ユニクロの「野菜販売の失敗」と、そこからの学び
澤:荒木さんから見て、大企業の失敗の中でも足元の不安定さに敏感だったり、やめ方が見事だったりした事例はありますか?
荒木:『世界「失敗」製品図鑑』で紹介した中で話として参考になるのは、ファーストリテイリングの野菜事業です。
ユニクロの製造から小売販売まで行う「SPA(specialist retailer of private label apparel)」というビジネスモデルを、野菜に展開したんですよね。当時のアパレルは、いろいろな商社などが間に入って、結果的に販売コストが高くなっているという現実があったわけです。ユニクロは、それを全部リスクテイクして、製造から販売まで一貫して行うことで成功したわけです。同じように品質をもっと高められる余地がある一方でコスト高になっているビジネスはなんだといったときに、そこに野菜というビジネスがあったわけです。その発想は抽象化であり、横展開で、むちゃくちゃ面白いと思います。
澤:「なるべく遠いものを結合させて考える」というのがイノベーションの源泉だと考えると、野菜と衣料を組み合わせようとしたのは、大いに評価されるべきだと、僕は思いますね。
荒木:はい。ただ、この事業は失敗ということになって、発案者であり社長を務めた柚木治さんは柳井さんに辞表を出すわけです。「もう僕はここにはいられない」と。それを柳井さんが引き留めるんですね。「お前、これだけ穴を開けて辞める気か」と。その後、柚木さんはジーユー(GU)の社長を務め、失敗経験からの学びを生かしてGUを成功に導くわけです。美しいストーリーだし、事業のやめ方のタイミングもよかった。
澤:いいタイミングでやめるには、足元の不安定さに敏感であることが大切ということですね。
荒木:その通りです。さらにいえば、「いつやめるか」というのも大事なのですが、短い、長いという話があるだけで、結局ビジネスというのはいつかはやめるわけです。そのときに大事なのは、それを次に、つまり次世代や次のビジネスにつなげられるか、という話なんですよね。ファーストリテイリングは、野菜事業の失敗をGUの成功につなげたわけです。
澤:失敗を生かすことができるかどうか、そこから何を学べるか。
荒木:はい。成功するかどうかは、まさにその時々の足元の潮流もあれば、サプライヤーとの相性や、テクノロジーの違いもあります。そしてもちろん、運と縁みたいなものもありますね。だからこそ大事なのは、それをどう総括するかということだと思うんです。
ファーストリテイリングは失敗を経営者がちゃんと総括した上で、「そこから我々はこういうことを学んだ」ということを公表している。こういう企業って、実はなかなかないんですよ。やはり企業の「恥」の部分になってしまうので。
澤:すごくいいですね。データ分析ばかりして、「うーん、あれはよくない」という話を延々としているよりは、「やってみましたけど、衣料と野菜は違いました」って。やっぱり、ネガティブな「かもしれない思考」を乗り越えて飛び込んで、ちゃんと総括するからこそ、次の成功につなげられるということですね。
(構成:黒坂真由子)
(後編に続く)
[日経ビジネス電子版 2021年10月14日付の記事を転載]
人生を自由にデザインするために
本当はやりたくないし、実はやる必要もないのに、自分自身がそれに気づかず、
「せっかく○○したから」
「これまで○○してきたから」
という理由だけで続けていること。
それが、人生の「埋没(サンク)コスト」です。
「発言しないけれど、出なきゃいけない会議」
「本当は気乗りがしない人脈構築のための会合」
「買ったけど、全然着ていない服。使っていないもの」
「いつの間にか“固執”してしまっている夢や目標」……
こうした、無意識のうちに人生の重荷となっている「埋没コスト」に目を向けて、
「やめる」という選択肢を持つこと。
それが、これからを自分らしく生きていくための「自己中」戦略であり、
「自分の人生を生きる」ということです。
本書で“コスト化”したヒト・モノ・コトとの関係性を見直して、
人生を自由にデザインしていきましょう。