「やめる」という言葉には、ネガティブな印象がつきまとう。「あきらめる」「断念する」「失う」。しかし本当にそうだろうか? 多くの人は人生に「埋没(サンク)コスト」を抱えている。それは「せっかく◯◯したのだから」という言葉で表すことができる思考や行動パターンのことだ。今回、 『「やめる」という選択』 の著者で、2020年に日本マイクロソフトを卒業した澤円氏と、 『世界「失敗」製品図鑑 「攻めた失敗」20例でわかる成功への近道』 の著者で、学びデザイン代表取締役社長の荒木博行氏に、「失敗の克服とやめることの関係性」について語ってもらった。後編のテーマは「何でもそこそこできる人の問題」。

(前編から読む)

大事なことに意識を集中するための「やめる」選択

荒木博行氏(以下、荒木):仕事をしていると、いろいろなタスクが出てきますけど、本当に大事なことにリソースが集中できなかったために失敗してしまうことって、よくあるんです。真っ先に思いつくのは、セガ(セガ・エンタープライゼス)が1998年に発売した「ドリームキャスト」ですね。これ、テクノロジーはものすごくよかったんですよ。OSはゲーム機に初搭載の「ウィンドウズCE」、CPUは日立製作所の「SH-4」、グラフィックエンジンの半導体は英ビデオロジック社とNECが共同開発した最新の「Power VR2」。その時点で、プレイステーションやニンテンドウ64のスペックを桁違いに上回るハードウエアだったんです。

澤円(以下、澤):前評判も高かったですよね。

荒木:そうなんです。それなのに、実際の年末商戦では目標の半分の50万台しか売れなかったんですよ。

<span class="fontBold">荒木 博行(あらき・ひろゆき)<br> 株式会社学びデザイン代表取締役社長</span><br>住友商事、グロービス(経営大学院副研究科長)を経て、株式会社学びデザインを設立。フライヤー アドバイザー兼エバンジェリスト、武蔵野大学アントレプレナーシップ学部教授、金沢工業大学大学院イノベーションマネジメント研究科客員教授、グロービス講師、絵本ナビ社外取締役、Book Cafe 女川プロデューサー、COAS ホースコーチング プログラムディレクターなどを務める。著書に『藁を手に旅に出よう』(文藝春秋)、『見るだけでわかる! ビジネス書図鑑』シリーズ(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『世界「倒産」図鑑』『世界「失敗」製品図鑑』(日経BP)など多数。</a>
荒木 博行(あらき・ひろゆき)
株式会社学びデザイン代表取締役社長

住友商事、グロービス(経営大学院副研究科長)を経て、株式会社学びデザインを設立。フライヤー アドバイザー兼エバンジェリスト、武蔵野大学アントレプレナーシップ学部教授、金沢工業大学大学院イノベーションマネジメント研究科客員教授、グロービス講師、絵本ナビ社外取締役、Book Cafe 女川プロデューサー、COAS ホースコーチング プログラムディレクターなどを務める。著書に『藁を手に旅に出よう』(文藝春秋)、『見るだけでわかる! ビジネス書図鑑』シリーズ(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『世界「倒産」図鑑』『世界「失敗」製品図鑑』(日経BP)など多数。

:欲しい人はたくさんいたはずなのに。なぜですか?

荒木:これは後日分かったことで『世界「失敗」製品図鑑』にも紹介したのですが、半導体の生産が間に合わなかったのが原因なんです。それで在庫切れを起こしてしまった。ゲーム機って、クリスマスと年末年始商戦を含めた12月と1月に売れないとダメなのに、その時期に在庫切れをしていて、それがゆえに負けてしまった、という商品なんです。

:つまり、セガが半導体の生産ラインをしっかりと押さえていなかったと。

荒木:実際のところはどこまで押さえられていたのか分からないのですが、後日談的に見るとそうなんです。自分たちの仕事もそうですけど、一番大事なところにまず意識やリソースを集中することって、分かっているようでできないんですよね。「すべてのタスクを平等に扱ってはいけない」ということは、すごく大事な論点だなと思います。

:タスクを全部やろうとすること自体が、僕なんかは、すごいなって思ってしまいます。僕にはとてもできません。できることのほうが、圧倒的に少ないんですよ。ですから僕はかなり前から、できないことに時間を使うよりも、できることに集中するようにしています。できないことは、頼み込んで他の人にやってもらうか、やらずに済ませて、怒られたときのうまい言い訳を考えるようにしていました。

荒木:澤さんは、できないことは「やめる」という選択を昔からされていたんですね。

:意外と大丈夫なものですよ。他人のことなんて意外とみんな見ていないので。「タスクが等しく重要だ」と思うというのは、僕にとってはありえない話なんです。まして、それを全部自分ができるなんて思うのは、自分に対する思い上がりも甚だしい。「澤円、お前は何もできない人間だぞ!」と言って聞かせないと、人生あっという間に終わってしまいますから。とにかくできるところに集中するという意識を持つようにしていました。

荒木:逆に言うと僕は、どっちかっていうと、何でもやろうとしちゃうタイプの人間だったんです。それがゆえに、会社では苦労してきました。そこそこできちゃうというのが、また僕の問題だったんですね。細かい作業も、全体的な構想も、マネジメントもそこそこ。これが結構致命的だったんです。「荒木さんはこれもこれもできるから、いいですよね」って、よく言われていたんですよ。

:それはきっと、きついですよね。

荒木:ええ。その評価は結構苦しかったです。別にやりたいわけじゃない仕事も、そう言われると、「いいことをしてるのかもな」って思えてきて。だから「AさんとBさんの仲裁をしてください」なんてことにも、僕が駆り出されることもありました。「こういうことやらせたときの僕の偏差値はそんなに高くないと思うんだけどな」って思いながら(笑)。

:僕がもし荒木さんの同期で隣なんかにいたら、すごくうらやましがっていたと思います。「荒木さんは何でもできるのに、なんで俺は何もできないんだろう」って。絶対自分を否定していたと思う。

荒木:実際ね、そういうふうに言われていました。そういう言葉もやがては重荷になっていって、しんどかった。すべての業務を等しく、平均点以上のものを出すのが自分の役割だという呪縛に囚(とら)われていたんです。でも、本当にバリューを発揮しなきゃいけないときに、突き抜けたパフォーマンスをうまく発揮できないことがあって。だんだん上に上がってくると、突き抜けた何かがないと評価されない瞬間って出てくるじゃないですか。

:それで、キャリアを転換される決断をされたんですか?

荒木:はい。その状態から脱却するために、そのゲームを「やめる」という選択をしたんですね。でも、僕みたいな人、結構いっぱいいると思うんですよね。だから澤さんが『「やめる」という選択』という本の中でおっしゃっているのは本当にその通りだと思います。そうではない人生を大半過ごしてきたからこそ、やめられない苦しさ、やめることの大切さはすごくよく分かります。

僕たちは、「自分を騙す」ことに慣れてしまっている

:家で仕事をする人が増えて、仕事と生活の切り替えができないという悩みも出てきているようですね。僕は、それが嫌な仕事じゃなければ、自分のやりたい仕事であれば、没入することはそんなに悪い話ではないと思っています。ただ、睡眠時間と食事には気をつけてと。「田舎のお母さんか!」という感じですが(笑)。

荒木:澤さんは、うまく休みを取ることができているんですね。

:以前は違いましたよ。まだマイクロソフトに勤めていたときのことですが、副業が忙しかった時期があって。かつ、それがやりたくないことだったんですね。幻聴が聞こえるほどに追い込まれてしまったのですが、妻がそれに気づいてくれて年末の休みにサンフランシスコでのんびりする時間を持てたんです。そこでやっと復活できたんですけど。

 だから自分自身としっかり相談する、もしくは人にウオッチしてもらうことが大切だと思います。だから今は僕は、休みを取ると決めたら、しっかり休んでいます。

「しっかり休んで、自分自身としっかり相談することが大切です」(澤)(写真:Yayoi Arimoto)
「しっかり休んで、自分自身としっかり相談することが大切です」(澤)(写真:Yayoi Arimoto)

荒木:人生にイニシアチブを持てているかが、すべてですよね。やらされているとか、やりたくないことをやっているのが危険なわけで。ただ、結構きついときに「あなたはやりたいことをやっていますか?」と聞かれたら、僕は「やっている」と答えていたと思うんです。これは結構怖い話で、自分を騙(だま)すすべを覚えてしまうんですよね。

 「やりたいことをやっているから、土日休みがなくても全然問題ない」って、当時の僕も言っていたと思うんですよ。つまり、本当の自分と対話ができていないんですね。だから今の時代のコミュニケーション力で一番大事なのは、他者とのコミュニケーション力じゃなくて、自分とのコミュニケーション力だと思うんです。「内省」とか、いろいろな言い方がありますけど。

緩やかにつながって「やめる必要」のない友達作りのすすめ

:僕がしょっちゅう「Being」という言葉を使うのは、「在りたい自分でいますか?」ということを自分に問いかけましょう、ということなんですよ。そこから目を背けていると、本当に逃げ場がなくなってしまいますから。僕はね、そのためにも今必要なのは、友達だと思っているんです。

荒木:友達ですか。

:ええ。大人になってから友達を作ろうよ、ということですね。少なくとも僕は、荒木さんのことを友達だと思っている。荒木さんがどう思っているかは知らないけど(笑)。大丈夫?

荒木:はい。力強くうなずいておきます(笑)。

:ただ、これまでと同じ友達ではなくて、「緩やかなつながり」を持つ友達です。

 「ウィーク・タイズ(Weak Ties)」といわれるんですが。

荒木:マーク・グラノヴェッター(米国の社会学者)ですね。

:そうです。荒木さんと毎日飲み歩いているわけではないけれど、友達だといえる関係性を作っておく。こういう関係性の人を増やすことがめちゃくちゃ大事なんです。この対談に登場していただいた楠木建さん山口周さんも、僕はそんな友達だと思っているんです。

 緩やかなつながりが大人になってからできると、「壁打ち相手」になってもらったり、情報交換をしたり、学びが得られたり、悩みを相談したりできるんですね。緩やかなつながりなので、いい意味で無責任にアドバイスもできるし。利害関係がない状態というのがいいんです。こういう関係を作るように時間を使っていくというのは、特に現代人には求められているんじゃないかと思います。

荒木:本当にその通りですね。

:それに緩やかなつながりなので、万が一のときもやめるまでもないんですよ。がっつり付き合うと、やめるのって大変じゃないですか。そういう悩みがない状態でつながりができると、人生が豊かになるし、何か起きたときに違う視点をもらえたりするので、これは絶対あったほうがいいと思います。

荒木:ウィーク・タイズの友達、いいですね。大事なところにちゃんと集中するためにも、本当の自分とのコミュニケーションにも助けとなってくれそうです。

自分らしさを失わないために何が大事か、改めて考えみよう(写真:All kind of people/Shutterstock.com)
自分らしさを失わないために何が大事か、改めて考えみよう(写真:All kind of people/Shutterstock.com)

(構成:黒坂真由子)

日経ビジネス電子版 2021年10月15日付の記事を転載]

人生を自由にデザインするために

本当はやりたくないし、実はやる必要もないのに、自分自身がそれに気づかず、
「せっかく○○したから」
「これまで○○してきたから」
という理由だけで続けていること。
それが、人生の「埋没(サンク)コスト」です。

「発言しないけれど、出なきゃいけない会議」
「本当は気乗りがしない人脈構築のための会合」
「買ったけど、全然着ていない服。使っていないもの」
「いつの間にか“固執”してしまっている夢や目標」…… こうした、無意識のうちに人生の重荷となっている「埋没コスト」に目を向けて、
「やめる」という選択肢を持つこと。
それが、これからを自分らしく生きていくための「自己中」戦略であり、
「自分の人生を生きる」ということです。

本書で“コスト化”したヒト・モノ・コトとの関係性を見直して、
人生を自由にデザインしていきましょう。