ビジネスリーダーは、重大な選択を迫られた時、危機的な状況に陥った時、人生の岐路に立たされた時、決断を下すのに必要な「自分の軸」を鍛えておかねばなりません。それには人類の英知が詰まった「古典」が役に立ちます。このコラムでは古今の名著200冊の読み解き方を収録した新刊 『読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊』 の著者・堀内勉氏がゲストを迎え、「読むべき古典この1冊」を手掛かりに、「考える力の鍛え方」を探ります。第2回のゲストは独立研究者の山口周氏。「この1冊」は『大衆の反逆』です。

『大衆の反逆』
スペインの哲学者、ホセ・オルテガ・イ・ガセット(1883~1955年)が著した、大衆社会論における代表的な1冊。20世紀になって圧倒的多数となった大衆が社会的権力を持つようになった。その際に、民主制が暴走する「超民主主義」の状況を危惧している。本書では「大衆」の対極にある存在を「貴族」と呼んでいる。
私たちは「慢心した坊ちゃん」になっていないか
堀内勉(以下、堀内):私としては、山口さんが「この1冊」に『大衆の反逆』を選んだのは意外でした。
山口周氏(以下、山口):そう言われるのは意外ではありません(笑)。著者のオルテガは「貴族のいない社会なんて社会ではない。社会である以上は、必ず貴族的な要素があるんだ」と言っています。

独立研究者、著作家、パブリックスピーカー
1970年東京都生まれ。慶応義塾大学大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)、コーン・フェリー・ジャパンなどで戦略策定、文化政策、組織開発などに従事。現在、ライプニッツ代表。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書)、『ビジネスの未来』(プレジデント社)など。
山口:これは、格差がない社会を良しとする僕の考えとは一見、真逆の主張に思われるでしょう。「貴族」というのは一般に、富や権力にとても大きな傾斜がある社会において、大きな既得権を持つ存在と認識されています。対して僕は、著書の中で「格差をなくせ」「税金をたくさん取れ」と言っている。
そんな僕が以前、この『大衆の反逆』の一節を抜粋してツイートしたら、相当な批判が来たんです。
堀内:そうなるのは意外ではありませんね(笑)。いわゆる国民や市民を「大衆」と「貴族」という二分法的に定義する言説に対しては、脊髄反射的に「社会の分断を招く」「けしからん」と捉える人が少なくないでしょう。
山口:そこは、貴族という概念のつかみ方次第だと思うんです。貴族という存在が享受する社会的優遇や権力という側面ではなく、彼らに求められる「心性」を考えると、「公」(おおやけ)――つまりcommonsですね。ここでは、社会システムの維持や発展について内発的な責任感を持ち、それを実現し得る力をも持つ存在として「貴族」を捉えてみる。すると、社会にとっての存在意義は、おのずと高まります。
堀内:『大衆の反逆』の中では、それとは対極的な位置づけで、傍若無人な大衆が「私たちは権利を持っている」と主張することについて言及されています。
山口:この大衆を、オルテガは「慢心した坊ちゃん」と呼んでいますね。例えば昨今、社会問題化しているクレーマーによるトラブルなどは、これに関連するものでしょう。お金を払った以上、自分には客としての権利があると主張する。もちろん相応の対価や権利は発生するとして、それは無限なものなどではあり得ませんが、暴走してしまう…。
こうしたことは、社会におけるcommonsを回復したり維持したりしようとする時に、大きな阻害要因になる。よりよい社会に必要な心性とはどのようなものかを考える時、僕が著書で主張していることとオルテガの考えとは、通底するものを感じるのです。
三島由紀夫と美意識とナチズムと自由と安定と安全と
山口:そう、先日『三島由紀夫vs東大全共闘~50年目の真実~』というドキュメンタリーを見ました。
堀内:私も見ました。とても面白かったですね。
山口:僕は 『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』 という本を出版した時、色々な批判を受けました。でも「こんな批判が来たらうれしいな」「その批判をきっかけに議論を深められたらいいな」と期待したような批判は来なかったんです。
堀内:それはどのような批判ですか?
山口:「美意識を極めていくとナチズムを招くのではないか」という批判です。
堀内:なるほど、そこで三島とつながる。
山口:戦後の日本で「美意識を回復しろ」と強烈に主張したのが三島でした。経済的な繁栄にうつつを抜かして精神的には空っぽになっている、日本人としての美意識を取り戻せ、と。そして、その三島はナチズムに対する憧れを表明していました。ナチズムへの憧憬には、もちろん短絡的に同意はできないけれど、だからといって、議論の対象にもしないというのもまた違う。
堀内:なかったことにしてしまうというのも、また別の意味で危険ですね。
山口:以前、アイドルグループがナチス風の衣装を着たことで世界的な炎上事案になりましたね。「ナチスけしからん」という反応は想定できるものでしたが、他方で僕は、あれほど多くの人が反応するのは、「やはり皆、ナチスに関心があるんだ」と思ったんです。
堀内:ナチスの制服とかが持っていたスタイリッシュさ、格好良さといった意味では、あの世界観に憧れる気持ちを持つ人がいること自体は不思議ではありませんね。
山口:ゲルマン的な美意識を前面に押し出して、勇壮なワーグナーの音楽に乗せて、強烈な求心力を生み出していく。自らの考えが確立しておらず、何か「よって立つもの」が欲しい人にとっては、そうした強力なムーブメントに身を委ねて、巻き込まれてしまうことが心の安定につながるのかもしれません。
堀内:ナチズムや独裁などの全体主義との関連で、自由とセキュリティー(安定、安全)の問題もよく議論になりますね。
山口:これも難しい問題です。自由というものを優先すると、そこからゆがみが生じて格差が生まれてしまう。逆に社会の安定と安全、いわゆるセキュリティーというものを優先すると、一定の自由は毀損(きそん)せざるを得ない。自由とセキュリティーの相克をどうするか。アウフヘーベン(止揚)する1つの解は、先ほど触れた貴族的精神にあるのではないかと思います。
堀内:貴族的精神が失われた状態では、自由だけど格差を強要されてしまう社会か、セキュリティーはあるけれど厳しく規制された息苦しい社会になる、と。
山口:人類のこの先のあり方を考えた時、一人ひとりが矜持(きょうじ)を持って公共性にコミットしていく必要がある。オルテガの主張する貴族とは、そういう心性を持つ人たちだとすれば、やはりオルテガへの共感は、僕の普段の主張と矛盾なく併存できるんです。
地獄への道は善意で敷き詰められている
山口:プラトンは「政治には財産を持っていない人が、私利私欲が全くない状態で携わるべきだ」と言っています。こうした観念論に対して、経験論を重視するアリストテレス的な捉え方からすれば「非現実的な理想論」だと一蹴するでしょう。そして、その流れで言えば、オルテガが指す「貴族」「貴族的精神」もまた、ないものねだりなのかもしれません。
堀内:プラトンのいわゆる「哲人政治」について理解するには、やはり通り一遍ではない議論や理解が必要でしょう。プラトンによれば、民主主義が衆愚政治に堕した時、強大な権力を持った者による改革と統治が望まれるが、その為政者が善政を行うとは限らない。そこで哲学を学んだ私心なき者に権力を与えることで、私心なき統治が実現する――。
そういう主張ですが、この哲学というのも、くせ者ですね。自覚を持ったエリートが政治をやれば善政が実現すると言い切ってしまうと、ナチズムや全体主義、一党独裁のようなものにはならないか、といえば、やはりそうなってしまっていて、歴史は逆のことを示している。
山口:「地獄への道は善意で敷き詰められている」という箴言(しんげん)がありますが、まさにそうした状況は歴史の中にいくつも見いだすことができます。例えば、ヒトラーにしても「彼なりの理想的な社会を築こうとしていた」とするなら、後世に悪政で名高いポル・ポトや毛沢東だってそうでしょう。
ヒトラーの人としての振る舞いを見ると、お酒は飲まない、たばこも吸わない、肉もほとんど食べない。その意味では現代的でストイックな人だったそうです。そうした悪行を行わなそうな人間が、彼なりの「公」のあり方を考え抜いて行動していった先が……。
堀内:地獄のような事態を招いてしまったわけですね。
山口:権力が非常に傾斜した社会で、ある種の公益性を極端な形で追求していくと、全体主義に向かっていくという構図の中で、歴史的悲劇は起きました。
ヒトラーと対照的なのが、チャーチルです。大酒飲みで、葉巻をふかして、若い頃はマリフアナや薬物もやっていたそうです。煮ても焼いても食えないようなところがある、ヒトラーが持っていたストイシズムとは真逆の人物です。
堀内:では、そんな「危ういチャーチル」が愚政を行ったかといえば、第2次世界大戦において世界にもたらしたポジティブなインパクトは大きく、危うさとは真逆だったと言ってよいでしょう。
山口:そうしたことを考え重ねていくと、強大な権限を持つ存在が、「世の中はこうあるべきだ」という固定的な考えを持って事を進めていくと、ナチズムのような状態が生じやすくなるという実態に行き着く。
堀内:政治や統治のシステムという形自体には、あるべき答えが見いだしにくい状況ですね。
山口:全体をどういう仕組みにして動かしたらよいかというトップダウンのアルゴリズムに答えを見いだせない中で、僕が可能性を感じているのは、一定のユニット単位で「こういうことを大事にして動きなさい」という一定のルールと自由度を与える仕組みの方が、結果としてユニット間の均整が取れた振る舞いをする社会システムになるのではないか、ということです。
堀内:全体のシステムの振る舞いを統一的に規定する必要はない、と。
山口:これも理想論的ですし、自由度を与えるということ自体が「規定」にもなり得るので、論理的パラドックス(逆説)なんですけどね。
堀内:社会のシステムをよりよくしていくためには、やはりさらなる議論が必要ですね。ナチズム、独裁などについては議論すること自体が危険だと感じる人も少なくないかもしれません。しかし、議論や研究自体を避けていては理解は深まらないし、不幸な状態に陥らないようにするにもまた、その正体を理解することが不可欠です。
自分とは違う考えについて知ることは、とても重要な学びの入り口です。『読書大全』には様々な時代の様々な知見が収められた古典のエッセンスをぎっしり詰め込みました。ぜひ、新たな考え方に出合うきっかけにしてほしいと思います。
(構成:梶塚美帆)
[日経ビジネス電子版 2021年4月19日付の記事を転載]
各界から推薦の声、続々!
ニュートンが、「私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に乗っていたからだ」と語ったように、「人類の知」は、我々のはるか昔の祖先から連綿とつながっています。
そこで本書ではまず、宗教から始まった人類の思索が、哲学という形に移行し、そこから自然科学が分岐し、そして経済学、さらには今日の我々の生活の全てを規定している「資本主義」という大きな物語の誕生に至る、人類の知の進化の過程を見ていきます。
そして、名著といわれる200冊が歴史の中にどう位置づけられ、なぜ著者たちはこのような主張をしているのかを深く理解し、人類の歴史と英知を力に変えていくことを目指します。
そうして得られる真の読書体験は、重大な選択を迫られた時、危機的な状況に陥った時、人生の岐路に立たされた時に、正解のない問いと向き合うための「一筋の光明」となるはずです。