ビジネスリーダーは、重大な選択を迫られた時、危機的な状況に陥った時、人生の岐路に立たされた時、決断を下すのに必要な「自分の軸」を鍛えておかねばなりません。それには人類の英知が詰まった「古典」が役に立ちます。このコラムでは古今の名著200冊の読み解き方を収録した新刊 『読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊』 の著者・堀内勉氏がゲストを迎え、「読むべき古典この1冊」を手掛かりに、「考える力の鍛え方」を探ります。第2回のゲストは独立研究者の山口周氏。「この1冊」は『大衆の反逆』。その後編です。

読むべき古典この1冊
『大衆の反逆』

スペインの哲学者、ホセ・オルテガ・イ・ガセット(1883~1955年)が著した、大衆社会論における代表的な1冊。20世紀になって圧倒的多数となった大衆が社会的権力を持つようになった。その際に、民主制が暴走する「超民主主義」の状況を危惧している。本書では「大衆」の対極にある存在を「貴族」と呼んでいる。

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芸術は圧政と暴政の下でしか生まれないのか

山口周氏(以下、山口):僕が子どものころからよく考えていたのが、「モーツァルトやバッハのような音楽はなぜ作られなくなったのだろう」ということです。人類が進化し、発展し続けているなら、18~19世紀に生み出された芸術を凌駕(りょうが)するようなものが生み出されているはずです。でも、この100年、150年といった単位で振り返ってみても、そうしたものは見当たらず、残念ながら「不毛なものしか残せなかった」という時代になってしまうのでは、と思うんです。

<span class="fontBold">山口周(やまぐち・しゅう)氏<br/>独立研究者、著作家、パブリックスピーカー</span><br>1970年東京都生まれ。慶応義塾大学大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)、コーン・フェリー・ジャパンなどで戦略策定、文化政策、組織開発などに従事。現在、ライプニッツ代表。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書)、『ビジネスの未来』(プレジデント社)など。</a>
山口周(やまぐち・しゅう)氏
独立研究者、著作家、パブリックスピーカー

1970年東京都生まれ。慶応義塾大学大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)、コーン・フェリー・ジャパンなどで戦略策定、文化政策、組織開発などに従事。現在、ライプニッツ代表。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書)、『ビジネスの未来』(プレジデント社)など。

堀内勉(以下、堀内) 『FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』 に見られるように、近代以降の人類の科学の発展は素晴らしく、社会は安全で快適になり、乳幼児死亡率が大幅に下がり、教育も普及した。けれども、本当の意味で人類が新たに成し遂げたことはない、と。

山口:そういうことです。例えば将来、宇宙人と出会った時に「あなたたちはどういうものを生み出したのか、デモンストレートしてほしい」となると、20世紀のものはどれくらい入ってくるのか疑問です。

堀内:権力と富が分散されて、皆に選挙権が与えられて、世の中がフラットになったのは素晴らしいことですが、その仕組みが全てを約束するわけではない。

山口:私の考えでは、芸術を生み出すためには、何らかの面で「過剰」でなければならないと思うんです。

堀内:と言うと?

山口:映画『第三の男』に、こんな台詞(せりふ)があります。

 「圧政と暴政の限りを尽くされたルネサンスの時代は、ミケランジェロとレオナルド・ダ・ヴィンチを生んだけれども、200年にわたるスイスの民主主義は何を生み出したかというと、ハト時計だけだ」

 これは圧政に対する強烈な皮肉であると同時に、何か過剰な圧力がかかる中でこそ、人間が備え持つ力が引き出されるというリアルな側面を言い表しています。

堀内:だからといって、もちろん「新たなモーツァルトやダ・ヴィンチを生み出すために、不条理な状況に戻すべきだ」とはならないわけで、自由と規制、解放と隷属など、ある種のトレードオフをどう考えるかという点について、山口さんはどのようにお考えですか?

山口:解としては、セル・オートマトンみたいなものが一つの方向なのかなと。

堀内:セル・オートマトン――セルは「細胞」、オートマトンは「自動機械」といった意味ですね。格子状のセルと単純な規則によるとてもシンプルな計算モデルのことですが、これが数学や物理学など様々な分野の研究で利用され、自然現象の理解や解明において大変役に立っているそうですね。

 対談の前編で、山口さんから「一定のユニット単位に一定のルールと自由度を与える仕組みの方が、均整の取れた振る舞いをする社会システムになるのではないか」というお話がありましたが、セル・オートマトン的な捉え方がベースと考えてよろしいですか。

山口:その通りです。

堀内:この連載で冨山和彦さんと対談した時にも話したのですが、近代以降の人間は理性の力を信じて「世の中こうあるべきだ」と考え、その「こうあるべきだ」という抽象的な概念から、「現実はそれに合っているか」と演繹(えんえき)的に下ろしていく考え方がありますよね。一方で、人間をよく観察して総体として見て、「人間とはこういうものではないか」と人間像や社会像を経験的に想定する帰納的な考え方もあります。この2つのトレンドが行ったり来たりしているイメージを私は持っていて、どちらかに極端になると、バランスが崩れる。

山口:特に、理性主義に行き過ぎると、ナチスのように極端になっていくのでしょうね。「べき論」から滑り落ちた人間は、存在すべきではないというふうになる。

堀内:ビジネスにおいても、例えば「社長の決定に従うことだけが正しい」という現場では、考える時間が必要ないので一見、物事は速くスムーズに進むけれど、新しいチャレンジも創造も起きないし、従わない人はそこから疎外されてしまう。しかし本来は、社長とは別の視点で発想する人こそ、現場をよりよい環境に変えていく原動力になり得るはずです。

 人間というのは理想論だけでは変われないし、自分が変わろうと思わなければ変われない。社会においても、民主主義という仕組みがあるからOKという短絡的な話ではなく、よりよい社会にするにはどうすればいいか、人々がそれぞれに考えて、その多様な考えの相互作用によって変化し続けるというのが健全なのでしょう。

 そのように社会を眺めると、先ほどのトレードオフのようなことが繰り返されています。極端に行き過ぎると人間が縛られて、その縛りから自由になろうとシステムを壊して次のステップに行く。そして、新しいシステムを築いていく。するとまたそれが強力な規制となって、それを壊して……。大きな振り子のような、あるいはらせんのように、似た状況を繰り返しながら変化し続けていくことこそ、やはり健全さの証しなのではないでしょうか。

人間が進化した結果、物事を深く考えなくなった

堀内:先ほど、この100年、150年で人間は何を生み出したのかという話がありました。私は人間の頭脳自体は、ここ数千年は進歩していないと考えています。科学の進歩と人間そのものの進歩はあまり関係がなくて、むしろじっくり物事を考えたり、何かを作ったりできる環境に置かれている方が、優れたものが生まれるのではないでしょうか。ですから、思考や人間性という意味では、現代人はむしろ退化しているのかもしれません。

山口:人間って、トップダウンシステムではなく、体の中のいろんなセンサーが反応して「こういうことが起きたらこう」って動いているのだそうです。つまり「センターレスオーガニゼーション」なんですね。なぜかというと、脳は生物学的には負担の大きい器官で、カロリーを消費してしまい、エネルギー効率が悪くなります。だから実は、いかに考えずに済むようにいられるかというのは、人間の脳の進化のプロセスなんです。

堀内:なるほど。とすると、考えない人が生き残りやすい仕組みになっている(苦笑)。

山口:日本はそうした仕組みに適応したシステムを、この150年ほどで強固に築き上げ、守ってきたのではないかと思うんです。例えば日本の大学って、工学部や法学部などに最初から分かれていますが、ここでは主に既存のシステムを理解したり学んだりしています。一方で、ハーバード大学は工学部も法学部もなく、リベラルアーツだけがある。そして、大学院で法学、経営学、医学などをやるんです。

堀内:かつての日本では、朱子学や論語がある種のリベラルアーツ的な役割を担っていて、それが同時に、日本という島国で社会の秩序を形成するためのソフトウエアとして非常に優秀だったのだと思います。でも、国を開いて、世界の中で日本をどう位置づけるかとなった時に、世界という全体との整合性がうまく取れなかったのかもしれません。そのせいで、この150年間は迷走している気がします。

山口:急速な文明化、西欧化を推し進めるために、とにかく効率化のみに適応した仕組みを作って、それを強固にしてきた。それは目先の問題への対応には適しているけれど、もっと「距離の遠い問題」をどう考えるかというのが、リベラルアーツです。この150年ほどの日本は、社会的にそのプライオリティー(優先順位)が下がっていたと思います。

 日本の大学の話でいうと、いわゆる学歴エリートは試験でえり抜かれますよね。その受験勉強のテキストや問題って無意味というか学ぶ価値がないというか……。

堀内:はい、無意味の塊ですね(苦笑)。

山口:例えば、偏差値70というのは、出現率でいうと異常です。与えられた無意味なものにどれだけ没頭できるかという、異常な人たちがえり抜かれてエリート予備軍になっているわけです。知性というのは因果関係の距離を推し量る能力ですが、試験というものは、距離の短い因果関係を推し量る訓練です。今も150年前と同じような人の育て方をしているので、そのアップデートが必須だと思います。

堀内:ここでもやはり、既存のシステムがあり、それが大きな枠組みとして存続することが前提になっていますよね。そこに自分がどう適合していくかということ以外は一切考えていない。システムの外に何があるのか想像ができていない。ビジネスパーソンも、自分を取り巻いているシステムが何で、どこに限界があるのかを、きちんと理解しなければならないと思います。

100年前よりもいい社会をつくっていくために、本を読む

山口:人間は進歩していないかもしれませんが、19世紀と21世紀の人間を比べた時に何が違うかというと、今の私たちは、全体主義がもたらす悲劇を知っています。これはひとつの希望だと思います。進歩はしていないけれど、学ぶ、読むということを通じて、同じ過ちを繰り返さないようにできる。100年前よりもいい社会をつくっていくための突破口は、そこにしかないと思います。

堀内:学ぶ材料はいくらでもありますからね。

山口:過去において何が行われたのか、その時代の当事者は何を考えて書いてきたのか。この知的財産に私たちはアクセスできます。オルテガの言うところの「貴族」に課せられた責任でもあると思います。

堀内:歴史を学ぶ、本を読むことは、絶対に必要なことです。入試の問題を解くための勉強ではなく、本質的なことをじっくり学ぶことが大事です。だけど今は、あまりにも情報過多になってしまっていて、何が本質的なことかがとても分かりにくくなっているので、私は『読書大全』に収めるこの200冊を選書したのです。

山口:このリスト自体が宝です。

堀内:いろいろな教育機関で、選書のリストというのは作っています。例えば東京大学のエグゼクティブ・マネジメント・プログラムは、選書リスト自体に価値があるとして、それを門外不出にしています。でも、私はやっぱり皆さんにいい本を読んでもらいたいと思って、リストを作って公開しました。ですから、この200冊を読めば、人類の積み上げてきたものが一通りは理解できると思います。

(写真:Shutterstock)
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(構成:梶塚美帆)

日経ビジネス電子版 2021年4月20日付の記事を転載]

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 ニュートンが、「私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に乗っていたからだ」と語ったように、「人類の知」は、我々のはるか昔の祖先から連綿とつながっています。
 そこで本書ではまず、宗教から始まった人類の思索が、哲学という形に移行し、そこから自然科学が分岐し、そして経済学、さらには今日の我々の生活の全てを規定している「資本主義」という大きな物語の誕生に至る、人類の知の進化の過程を見ていきます。
 そして、名著といわれる200冊が歴史の中にどう位置づけられ、なぜ著者たちはこのような主張をしているのかを深く理解し、人類の歴史と英知を力に変えていくことを目指します。
 そうして得られる真の読書体験は、重大な選択を迫られた時、危機的な状況に陥った時、人生の岐路に立たされた時に、正解のない問いと向き合うための「一筋の光明」となるはずです。