ビジネスリーダーは、重大な選択を迫られた時、危機的な状況に陥った時、人生の岐路に立たされた時、決断を下すのに必要な「自分の軸」を鍛えておかねばなりません。それには人類の英知が詰まった「古典」が役に立ちます。このコラムでは古今の名著200冊の読み解き方を収録した新刊 『読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊』 の著者・堀内勉氏がゲストを迎え、「読むべき古典この1冊」を手掛かりに、「考える力の鍛え方」を探ります。第3回のゲストはMistletoe創業者で連続起業家の孫泰蔵氏。「この1冊」は『後世への最大遺物』です。

『後世への最大遺物』
日本のキリスト教思想家である内村鑑三の講演録。後世に残す価値があるものについて論じる。
後世に残せるのは「勇ましい高尚なる生涯」のみ
堀内勉(以下、堀内):孫さんが選んだ「読むべき古典この1冊」は内村鑑三の『後世への最大遺物』。いつごろ読まれたんですか?
孫泰蔵氏(以下、孫):大学生の頃です。講演録ということで、読みやすそうではあるけれど、論考の深まりなどはあまり期待できないかななどと勝手に思いつつ、ちょっと抵抗感を持ちながら読み始めたのですが、これがもうドンドン引き込まれて。「最高だぜ!」と興奮しながら一気に読み切りました。

Mistletoe 創業者
日本の連続起業家、ベンチャー投資家。大学在学中から一貫してインターネットビジネスに従事。その後2009年に「2030年までにアジア版シリコンバレーのスタートアップ生態系をつくる」として、スタートアップのシードアクセラレーターMOVIDA JAPANを創業。そして2013年、単なる出資に留まらない総合的なスタートアップ支援に加え、未来に直面する世界の大きな課題を解決するためMistletoeを設立。その課題解決に寄与するスタートアップを育てることをミッションとしている。
堀内:この本は「後世への最大遺物は金である」というところから始まりますね。
孫:「え、金なの?」と冒頭から大いに戸惑わされます(苦笑)。しかしまあ、お金は大事だよなと思いながら読んでいくと、「金は残せない」と。そうだよな、金が全てではないよな、と読み進めると「事業を残しましょう」となって、さらに読み進めると……。
堀内:事業も残せない、と。
孫:次は「思想や人を残しましょう」。うんうん、いいじゃないか!と共感し始めるものの、読み進めると、これも残せないという。「これじゃ何も残せないじゃないか……」とだんだん暗い気持ちになっていきます。
堀内:分かります。
孫:しかし最後の最後、内村鑑三は、本当の遺物は「勇ましい高尚なる生涯」であるという結論にたどり着きます。
初めて読んだ時、この展開に大きく膝を打ちました。これは講演録ならではで、実直なキリスト教思想家というイメージとはまた違う、ウイットに富んだ人となりが立ち現れます。そして、こうまで修辞を尽くしていることから、彼がこの結論をいかに印象深く、多くの人の心に刻みつけたいのかという内なる強い意志までひしひしと感じられて、もう……。
堀内:最高だぜ!
孫:はい(笑)。
堀内:内村鑑三の言う「勇ましい高尚なる生涯こそ誰にでも残せる最大遺物」。私も本当にそうだと思っています。お金を稼ぐとか、事業を成功させるとか、立派なことをして偉くなる必要はない。ちゃんと生きることは、やろうと思えば誰にでもできます。しかも、人がちゃんと生きている姿は、周りの人に伝播(でんぱ)していきます。
私はかつて自分のことをいわゆるエリートだと思っていて、日本興業銀行(現みずほ銀行)に勤めていた時もエリートコースに乗って「このまま偉くなっていくのかな」と思っていました。でも、いざ銀行を離れてみると、自分には何もないと気づきました。お金があるわけでもないし、組織を離れれば地位も失ってしまう。そうなった時に『後世への最大遺物』を思い出し、ちゃんと生きることは唯一できることだな、と思ったんです。一寸の虫にも五分の魂とでもいいますか、卑屈になる必要はない、と。
孫:人間としての矜持(きょうじ)みたいなものでしょうか。
堀内:そうかもしれません。
孫:私も今やアラフィフとなり、自分自身でそれなりに経験を積み、後世に何を残すのかという課題をリアルに考えられる年代になりました。そうなって改めて『後世への最大遺物』を読み直すと、大学時代に読んだ時とはまた違うように伝わってきます。ああ、本当に「勇ましい高尚なる生涯」を生き切りたい、と。
そして、古典というものの素晴らしさも改めて感じています。古典には、偉大なる先人たちが人生をかけて考え抜いたことが書いてあります。そこからさらに後世の人たちが影響を受けて、積み上げて、また思想を展開していく礎ともなる。そして、そうして我々にもたらされた思想体系が、自分の頭で考える時の「壁打ち」の相手になってくれたり、人との会話をより深める導線になってくれたりします。古典、すごいな、と改めて感じています。
アダム・スミスは経済学の父にして道徳倫理哲学者
孫:読むべき古典の名著がぎっしり詰まった『読書大全』で最初に紹介されているのが、アダム・スミスの著作ですね。
堀内:近代経済学の父、外せません。『道徳感情論』と『国富論』を取り上げました。

孫:僕は経済学部の学士は一応取っているので、もちろん『国富論』は知っていたのですが、『道徳感情論』は読んでいませんでした。でも、インドの経済学者であるアマルティア・センが再評価していたり、僕の周りの経済学に明るい人たちが「道徳感情論ヤバい!」などと話したりしていて(笑)、コロナ禍のステイホーム中に読んでみました。
堀内:アダム・スミスの印象は変わりましたか?
孫:僕が思っていたイメージとは真逆と言っていいくらい変わりました。アダム・スミスは経済学の父といわれていますが、僕としては「道徳倫理哲学者」として捉えたいです。
堀内:私が感心したのは、彼が経験主義的に考察して「公平な観察者」という概念を導き出したことです。すなわち、自分を客観的に見るためには、利害への関心を持たない中立的な立場の「公平な観察者」を胸の中に宿すことが必要だ、と。
孫:僕は「共感」というキーワードに引かれました。アダム・スミスがこの本で一番言いたかったのは、人々の中にある共感だと思うんです。
「人に好かれたい」とか「人と共感したい」という思いは誰もが心の中に持っています。そして、多くの人とコミュニケーションを取ることで、共感の感情は磨かれていく。それが人々の間で磨かれていくと、共通して立ち上がってくる感覚があって、それこそが「公平な観察者」であり、その感覚に従うことが公益に資するのだ、と。そして、公平な観察者をきちんと立ち上がらせるためには、『国富論』で言っている自由な市場が必要である、ということなんだと思います。
堀内:まさに『国富論』と『道徳感情論』は車の両輪として捉えなければいけないと考えています。
現在の経済学の前提となっている「合理的経済人」という概念がありますが、私はあれがどうしても腑(ふ)に落ちませんでした。いわゆる経済の数理モデルは一目で分かりやすく、精緻なロジックで成り立っているように思えますが、経済活動の前提となる人間という存在をあまりにも単純化して捉えていて、ここだけが非常に雑だな、と。
もちろん、今は行動経済学のように、人間は必ずしも合理的ではないという議論はありますが、それもまだ端緒についたばかりだなと。
アダム・スミスの出発点にはまず『道徳感情論』があります。孫さんがご指摘のように、人間観察に基づいた共感などについて考察しています。そうして、人間というものの本質を捉えた上で、その先に『国富論』の「神の見えざる手」があるのです。
孫:そのことを知らないと、『国富論』の論ずるところを「マーケットに任せておけば何でもいい」といったふうに読み違えてしまうわけですね。
堀内:私は現代の社会科学が「自然科学的な理論に基づいて全部説明できる」といった方向に大きくブレているのではないかと危惧しています。経済学者もまずは、経済思想を学ぶべきではないでしょうか。経済思想の学びをすっ飛ばして数値モデルを学ぶのは違うんじゃないかというのが、私の考えです。
孫:いまだに経済学部の学生は「IS-LM分析」から学びます。国民所得と利子率を用いて財市場と貨幣市場の均衡を分析するモデルですね。グラフで見ると、曲線2本が中央で交差する形で、非常にシンプルで分かりやすい。でも、本当にそこからでいいの?と思いますね。あまりにも単純化しすぎな気がします。
堀内:現代の経済学は、人間を放っておいて、数値がひとり歩きしている。だから、それに変わる新しいモデルを考えなければいけない。しかし、それはまだできていない――というのが現状でしょう。この問題を解決するには、哲学や思想と経済の世界が歩み寄って結び付くことが必要だと私は考えています。
内村鑑三は「アンラーニング」をしていた
孫:最近、僕たちの周りでよく「アンラーニング」という言葉が使われているんです。
堀内:持っている知識や価値観をいったん捨てて、学び直すことですね。
孫:現状をただ漫然と生きるのではなく、もっと本質的なことにまだ自分は気づいていないのではないかと考えてみる。これまでの延長線上を進むことに安心するのではなく、新たなことに自ら向き合い、考え、深めていく。アンラーニングを「学びほぐし」と翻訳される方もいます。
『後世への最大遺物』の中で、金や事業、思想など多くの人が「大事」と考える物事について思考の俎上(そじょう)に上げ、それを「捨て去る」先に、本当に大事なことを見いだしていく内村鑑三は、アンラーニングを自らの人生に反映させた人と言えるのではないかと思います。
堀内:人間というものは何かの枠組みの中で生きていますよね。例えば、宗教という枠組み、自然科学が与えてくれた枠組み、サラリーマンや役人という枠組み……。その枠組みを鋳型にして自分を当てはめていくことで、精神的・経済的な安定を保っていく人が多いのでしょう。しかし、その枠組みを改めて考え直してみる。それがアンラーニングですよね。
マックス・ウェーバーが官僚制のことを「鉄の檻(おり)」と言っていますが、そこに自分が入っていることには、アンラーニングをしないと気づけません。
孫:僕が考えるアンラーニングとは、新しい探求の旅に出ること。それをリアルに実践していた、あるいは実践している人たちに、本当に深く感銘と共感を覚えます。そして僕自身も、そうありたい!と強く思っています。
(構成:梶塚美帆)
[日経ビジネス電子版 2021年5月11日付の記事を転載]
各界から推薦の声、続々!
ニュートンが、「私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に乗っていたからだ」と語ったように、「人類の知」は、我々のはるか昔の祖先から連綿とつながっています。
そこで本書ではまず、宗教から始まった人類の思索が、哲学という形に移行し、そこから自然科学が分岐し、そして経済学、さらには今日の我々の生活の全てを規定している「資本主義」という大きな物語の誕生に至る、人類の知の進化の過程を見ていきます。
そして、名著といわれる200冊が歴史の中にどう位置づけられ、なぜ著者たちはこのような主張をしているのかを深く理解し、人類の歴史と英知を力に変えていくことを目指します。
そうして得られる真の読書体験は、重大な選択を迫られた時、危機的な状況に陥った時、人生の岐路に立たされた時に、正解のない問いと向き合うための「一筋の光明」となるはずです。