ビジネスリーダーは、重大な選択を迫られた時、危機的な状況に陥った時、人生の岐路に立たされた時、決断を下すのに必要な「自分の軸」を鍛えておかねばなりません。それには人類の英知が詰まった「古典」が役に立ちます。このコラムでは古今の名著200冊の読み解き方を収録した新刊 『読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊』 の著者・堀内勉氏がゲストを迎え、「読むべき古典この1冊」を手掛かりに、「考える力の鍛え方」を探ります。第3回のゲストはMistletoe創業者で連続起業家の孫泰蔵氏。「この1冊」は『後世への最大遺物』。その後編です。

『後世への最大遺物』
日本のキリスト教思想家である内村鑑三の講演録。後世に残す価値があるものについて論じる。
<前編から読む>
官公庁のパワポはなぜ文字がぎっしりなのか
孫泰蔵氏(以下、孫):僕は最近、日本の若い哲学者や研究者の方々の本を意識的に読むようにしています。 『人新世の「資本論」』 (集英社新書)が話題の斎藤幸平さん、 『世界は贈与でできている:資本主義の「すきま」を埋める倫理学』 (NewsPicksパブリッシング)で注目を集めた近内悠太さん、 『リハビリの夜』 で第9回新潮ドキュメント賞を受賞以降も多くの本を著している熊谷晋一郎さんなどです。
熊谷さんは、生まれつき身体的な障がいがあって車椅子で生活されている方なんですが、依存先を増やしていくことが「自立」なのだとおっしゃっています。自立とは「自分で何でもできること」だと思いがちですが、むしろ逆なのだ、と。

Mistletoe 創業者
日本の連続起業家、ベンチャー投資家。大学在学中から一貫してインターネットビジネスに従事。その後2009年に「2030年までにアジア版シリコンバレーのスタートアップ生態系をつくる」として、スタートアップのシードアクセラレーターMOVIDA JAPANを創業。そして2013年、単なる出資に留まらない総合的なスタートアップ支援に加え、未来に直面する世界の大きな課題を解決するためMistletoeを設立。その課題解決に寄与するスタートアップを育てることをミッションとしている。
孫:僕はこの考えにとても共感しました。物事の見方を一度ぐるりと変えてみる。対談前編でお話しした「アンラーニング」――持っている知識や価値観をいったん手放して学び直す、的な手法を駆使して、これまで言われてきたこととは違う論説を展開する若い人たちが続々と出てきています。日本って、政治にリーダーシップが足りなかったり、経済が停滞していたり、残念なことは多々ありますが、他方でこうした若い芽がどんどん育って輩出されている。その点において、僕はとてもポジティブに捉えています。
堀内勉(以下、堀内):一般に大学生の学力レベルは下がっていると言われますが、私が付き合っている若者たちを見ると感心してしまう。私が若かった頃よりもずっと広い視野で、変なこだわりを持たないで、世の中のことをちゃんと考えている人がたくさんいるなと思います。
孫:余計なものを持たない分、フラットに物事を見ることができているのでしょう。確かに人生の経験値は僕たちの方がありますが、それを生かせなければ単なる重荷、アンラーニングの対象でしかありません。彼らのフラットさは我々に無い武器といってもいいでしょう。そして、僕たちは若い人たちと話したり、彼らの本を読んだりすることで、旧態依然とした「思考の檻(おり)」から抜け出るヒントをもらえたりもします。
堀内:しかし、いわゆる大組織を見ていると、なかなか難しそうです。
私もかつて組織人として仕事をしていた頃、当たり前と思っていた風景が、いったんそこを離れてみると、全く違って見えてきました。今は丸の内・大手町あたりに行くと「すごい圧迫感だな」と感じます。大きな会社の応接室や役員室もそうですし、サラリーマンが偉い順に並んで歩いている姿とか……。圧迫感がありすぎて、それだけでパワハラじゃないかと思うぐらいです。
孫:本当ですよね。あの、大企業の応接室の椅子の間隔って何であんなに離れているんでしょう? まあ、コロナ禍のソーシャルディスタンスには合っているのかもしれませんが、そもそも話しにくいですよね。
堀内:椅子もテーブルも低くて、お茶を持ってきてくれた女性が膝をつくように置いてくれるのも居心地が悪いし、ソファはふかふかだし、テーブルが遠くてお茶が飲みづらかったり。偉い人ははるか遠くの存在だと思い込ませたいんでしょうかね(苦笑)。話しにくい、お茶が飲みにくい、そうした実用的でないことがあっても、誰も変えようとしない。若い人たちと手軽な喫茶スペースで打ち合わせをしたりする方がよっぽど快適です。
孫:僕が官公庁に関わって不思議に思ったのはパワーポイント。文字がひたすらごちゃーっと詰め込んであって、フローチャートにしても、何だか意味が分からない矢印がたくさんあって……。正確を期しているのかもしれないけれど、まあ分かりにくい。作っている本人だって、それが分かりにくいことは分かっているはずなのに、あれも「前例」にのっとって作っているから変えられないんですかね。あるいは、わざと分からないように作っているんじゃないかと邪推してしまいます(苦笑)。
堀内:自分も年を取ってみて感じるのですが、年を重ねるごとにアンラーニングは難しくなります。そして、今はそんな年を重ねた人が多数を占める超高齢化社会。個人の人生と社会の年齢とはアナロジーですから、社会全体が年を取ってアンラーニングがしにくい状況にあるのが日本にとっての大きな課題ですね。
孫:だからこそ、個人も社会もアンラーニングに意識的に取り組まなければいけない。今以上に「アンラーニング普及活動」を推し進めたいと思っています。
一本一本、苗を植えている
堀内:孫さんのように、若い人を支援して本気で世の中を変えようとしている人はあまりいないですよね。
孫:もちろん僕以外にもいらっしゃいますが、もっともっと増えてほしいと思っています。
堀内:そうした「支援者」が少ない理由を考えると、個人で成功している人が少なくて、自分の裁量で動ける人が少ない、ということに一因があると思います。例えば、現代の社長の平均年齢は、60.1歳です。ちょうど私くらいの年齢で、彼らを見ていると、ことに大きな企業の社長は「自分の裁量」で動けることがほとんどないのです。
孫:本来なら、たくさんの若い人を支援してほしい存在ですが。
堀内:社内からも社外からも強烈なプレッシャーを受けながら、自分はどう振る舞ったらいいのか一生懸命に考え、務めを果たしています。その意味で彼らは「誠実」なのです。彼らの中にも「若い人を支援したい」という気持ちを持つ人は少なからずいるはずですが、複雑な力学の中でコンセンサスをいかに取るか、その危ういバランスの上で自分の地位を保とうとすれば、純粋に「自分で決めている」ことなんてほとんど無いのではないでしょうか。
まさに彼らは枠にとらわれているんですよ。でも結局、それは彼らが歩んできた人生の結果です。たとえば大企業のCEOが「辞めます、明日から自分の手で世の中をよくするために動きます」と言っても、ほとんど誰もついてこないでしょう。会社内の序列だけを重んじて、そこに頼ってきた人は、そこから離れてしまえば「ただの人」というのがリアルな現実です。

そしてこれまで日本社会は、ホリエモンに見られるように、個人の起業家を徹底的に潰してきてしまった。例えば大企業の中で育った若い芽が外に伸びるのを拒んで企業内に閉じ込めたり、外で育った若い芽を企業の中に飲み込んでしまったり。
そんな中で、孫兄弟はそれぞれ身一つで起業してサバイブしているわけですから素晴らしいですよ。
孫:様々なプレッシャーに気づかず、空気を読まず、面の皮が厚いだけかもしれません……(笑)。
僕にとって若い人たちを支援することは、一本一本、苗を植えているという感覚です。『後世への最大遺物』の中でも、水道などのインフラ整備は後世への遺物だという話が出てきます。誰にも相手にされずに何十年もノミでこつこつトンネルを掘っていたら貫通して、水道が整備されてみんなに喜ばれたというエピソードが載っていますが、僕としてはそれと同じことをやっている気持ちなんです。
これまでたくさんの方のお世話になってきたので、僕もペイ・フォワードでバトンを渡していけば、バトンを受けた若者たちがまた次の世代の人にバトンをつないでくれるはず。それがいつか大きな流れになってくれると思ってやっています。
「大丈夫」「いける」「やっていいんだよ」
堀内:その活動の原体験は一体、何なのでしょう。
孫:自分が何者でもないペーペーの頃に背中を押してくれた方が何人かいらっしゃって、彼らに救われたことですね。
堀内:孫さんは大学時代、Yahoo! JAPANの立ち上げに参画していますが、その頃のことですか?
孫:そうです。当時は逆風だらけだったんですよ。まず、起業のために大学を休学したいと申し出たら、却下されました。経営学科の学びとしてはかなりいいチャレンジだと思うんですが……。授業料を払わないと退学させると言われたので、親にお金を借りて授業料を払い、1日も行かずに事業に取り組んでいました。
堀内:そんなことがあったんですか。
孫:今では驚かれるようなことが色々ありました。論文の参考文献にインターネットのウェブサイトを示したら、専門書じゃないとダメだ、ネットなんて当てにならない、と言われたり、「うちのゼミ生がわけの分からないベンチャーに就職するなんて許さん」と怒られたり。
そんな中でも背中を押してくれる方がいたんですよね。お金などのリソースを割いてくれたというより、「大丈夫」「いける」「やっていいんだよ」と言ってくれたことが後押しになりました。
堀内:若い頃は特に不安だらけですしね。
孫:そんな僕が数年前、何と母校で起業論という講座をやらせてもらいました。「起業なんてけしからん!」と言われて苦労した身からすると隔世の感があります(苦笑)。まあ、人生色々ありますが、よく見れば、よい変化も色々あります。
この前たまたまお会いした起業家の方が、僕の講義をきっかけに起業して、先日IPO(新規株式公開)したという話を聞きました。少しでも背中を押せたならよかったなと思いました。こんな小さなことの一つひとつが僕の小さな「遺物」になるのかもしれませんね。
堀内:私もこの『読書大全』は、若い起業家やリーダーの方に薦めたい本をまとめています。本を読んで自分で考える力を養えば、逆境に立ち向かう時にも役に立つはずですから。
(構成:梶塚美帆)
[日経ビジネス電子版 2021年5月12日付の記事を転載]
各界から推薦の声、続々!
ニュートンが、「私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に乗っていたからだ」と語ったように、「人類の知」は、我々のはるか昔の祖先から連綿とつながっています。
そこで本書ではまず、宗教から始まった人類の思索が、哲学という形に移行し、そこから自然科学が分岐し、そして経済学、さらには今日の我々の生活の全てを規定している「資本主義」という大きな物語の誕生に至る、人類の知の進化の過程を見ていきます。
そして、名著といわれる200冊が歴史の中にどう位置づけられ、なぜ著者たちはこのような主張をしているのかを深く理解し、人類の歴史と英知を力に変えていくことを目指します。
そうして得られる真の読書体験は、重大な選択を迫られた時、危機的な状況に陥った時、人生の岐路に立たされた時に、正解のない問いと向き合うための「一筋の光明」となるはずです。