世界的なスター経済学者で、2001年にノーベル経済学賞を受賞した米コロンビア大学のジョセフ・E・スティグリッツ教授。欠点が指摘されている国内総生産(GDP)のつくり直しに長年取り組み、地球の未来を案じ続けてきた。書籍『 世界最高峰の経済学教室 』(広野彩子編著)から、日本にとって必要なイノベーションの進め方や、スティグリッツ氏が「GDP」見直しに取り組んできた背景、新しい資本主義のあり方について語ったインタビューを2回にわたり掲載する。今回は前編。(インタビューは2019年に行った)
生き方を変えなければ地球はもたない
スティグリッツ氏は、社会全体が生産性を高めることにより生活が向上してきた、と著書『 スティグリッツのラーニング・ソサイエティ 』(ブルース・C・グリーンウォルドとの共著/藪下史郎監訳/岩本千晴訳/東洋経済新報社)に書いている。だが今、日本は生産性において世界で見劣りし、経済も長らく停滞しており、もう成長はできないのではないかとさえ感じる。日本にもまだ成長のチャンスはあるだろうか。
スティグリッツ氏 はじめに、経済とライフスタイルは、地球の限界と地続きにあるということを理解することが大事だ。地球に無理はさせられない。そうした文脈における成長のチャンスはない。今後どうやって生きていくのか考え、ライフスタイルを整えていく必要がある。今から、遅くとも20年以内に暮らし方を変えたほうがいい。
生活水準の向上を考える時、より重要なことは(モノではなく)「どう生きるか」だ。より二酸化炭素排出量を減らすためにどう生きるか、食べ物をどう改善し、どう生活するか、エネルギーをどう節約するか、どうやって移動し、公共交通をどう整備するか。公共交通機関がきちんと整備されていれば、車を所有する必要はない。
社会で本当に大事なのは適切な食事であり、老後の安定であり、子供たちの教育であり、医療福祉へのアクセスであり、手ごろな住まいだ。「住みやすい都市(Livable city)」に生きることである。住みやすい都市では、家の近くに公園があり、夜でも安心して散歩できて、比較的安全である。こうした環境に置かれることこそが幸せな生活水準と言えるのだが、これはGDPで計測することはできない。
私は、物質的な成長を続ける必要はもうないと思っている。米国ではこれが大問題だが、日本ではそうでもないかもしれない。というのも米国では、多くの人がそれなりの生活水準を保っている一方、そうでない人が大勢いるからだ。
社会の最下層にいて人並みの生活水準を維持できていない人々をどう引き上げるかだ。そこにこそ注力すべきだ。皆を上へ上へと高めていく努力ではなく。われわれが生き方を変えていかなければ、地球はもうもたない。
1943年、米インディアナ州生まれ。1964年、米アマースト大学在学中から米マサチューセッツ工科大学(MIT)で学び始める。のち米シカゴ大学に移り、宇沢弘文氏の指導を受ける。1967年、MITで経済学の博士号(Ph.D.)を取得。エール大学、スタンフォード大学、プリンストン大学などを経て現職。2001年にノーベル経済学賞を受賞。2000年まで世界銀行のチーフエコノミスト兼上級副総裁。米クリントン政権では経済諮問委員会委員長を務めた。2013年から現職。著書に『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』『フリーフォール』(いずれも徳間書店)など多数。
2008年のインタビューで「地球がもたない」と発言していたスティグリッツ氏。米国では格差拡大が深刻になっており、ソーシャルメディアの普及によって多様な人々の日々の生活や言説が見えるようになった。格差にあえぐ人々の苦境に火に油を注ぐ機能を果たしてしまい、ソーシャルメディアは当人たちの知らない場所でヘイトが充満する空間となっている。
モノを追い求める価値観を修正すべきなのだろうか。昨今、先進国ではシェアリングエコノミーが伸びており、モノを物質的に所有することへの執着が少しずつ薄れてきている。となれば、所有に対する意識を変えるべきではないだろうか。
スティグリッツ氏 例えば、車を所有する必要はない。公共交通で自在に移動できるなら、それでいい。これからは最先端の技術も使える。AI(人工知能)も、自動運転で例えば公共交通などの役に立ちそうだ。AIは暮らしの効率を高めるだろう。もっと資源を有効活用できるようになる。より少ない二酸化炭素排出量で、同じ生活水準を維持できるだろう。
ビヨンドGDP:GDPだけで経済は測れない
計測可能なモノやサービスの取引が相対的に不活発になれば、より良い経済生活かどうかはますますGDPでは測れないということになる。スティグリッツ氏はGDPに代わる新たな経済指標の開発プロジェクトに携わっていた。
スティグリッツ氏 経済協力開発機構(OECD)が主導し、GDPよりも包括的に経済と幸福度を測る取り組みに関わっている。われわれは「Beyond GDP(ビヨンドGDP)」と呼んできた。1つの数字だけでなく、複数のデータを整理して見せるダッシュボード形式の指標をつくる試みだ。ダッシュボードの項目としては持続可能性、格差、幸福度、脆弱性、安全性、健康、平均余命などを入れたいと思っている。
幅広い複数の指標を使うのがポイントだ。韓国の仁川で2018年11月に会合があり、世界中から3000人も集まった。世界的なムーブメントになっているし、OECDはかなり熱心に取り組んでいる。関連する本も2冊、同じく2018年11月にOECDから出版した(『Beyond GDP: Measuring What Counts for Economic and Social Performance』、『For Good Measure: Advancing Research on Well-being Metrics Beyond GDP』)。
この指標は将来、GDPに取って代わる主要な指標になるだろうか。
スティグリッツ氏 ビヨンドGDPのダッシュボードはGDPも活用する。GDPは数字の1つで、ほかの多くの指標もちゃんと見ようという話である。社会の複雑さを理解するには、1つの数字だけでは不十分だ。
開発者クズネッツが指摘していたGDPの欠点が、ようやく補完されようとしているというわけだ。ダッシュボードの項目はすなわち社会資本(インフラ)である。社会資本にとっては、災害や疫病などをもたらし得る気候変動は確実にマイナスになる。世界的に気候変動が苛烈になるのに加え、海洋プラスチック廃棄物など環境汚染の問題なども起こっている。企業は環境問題とどう向き合っていくべきだろうか。ESG投資が発展しており、投資家からの要請が厳しくなっている。
公正な競争を促すには「良い規制」が必要
スティグリッツ氏 ESG投資も役に立つが、それだけでなく政府の規制も必要となる。企業の中には常に、自己中心的な悪だくみを考えるものもある。一方で正しいことをしようとしている企業にペナルティーを与えたくはない。
もし汚染物質を使ったほうが安上がりなら、使おうとする企業が出てくるだろう。そして、(コストがかかっても)正しいことをしようとする企業が不利になってしまう。公正な競争環境を創出する唯一の方法が、良い規制だ。少し前に、米国の自動車メーカーが、トランプ(前大統領)が提案した規制よりも強い自動車排ガス規制にしてほしいと表明した理由だ。
自動車メーカーはカリフォルニア州で、トランプ政権の提案よりも厳しい規制に合意した(注:のちに当時のトランプ大統領が、カリフォルニア州が独自に環境・自動車排ガス規制を導入できる権限の撤廃を表明し、同州と係争した)。自動車メーカーは、もしもっと効率的に公害を減らす車があれば、それが全体にとっても良いと分かっているのだろう。
政府による厳しい規制が存在しなければ、緩い規制に合わせて大気を汚染する車を売り続ける企業がなくならず、結局は米国人が大気汚染を悪化させる車を買い続けることになる。それを放置するのがフェアではないからこそ、規制に合意したのだ。
企業が自ら厳しい規制に合意するような動きはほかにもある。
スティグリッツ氏 より厳しい規制に企業が前向きになる様子は、公害以外の分野でも見られる。米国の清涼飲料が、子供の糖尿病を引き起こしている。ある企業のCEOがそれに大変憤っていた。そしてCEOは、当社が糖分をカットすれば、子供は、競合他社がつくる糖分たっぷりの飲み物を選んで飲んでしまう、だからそれをやめさせる唯一の方法は、規制することだと言った。
適切な規制で「悪貨が良貨を駆逐」を防ぐ
つまり悪貨が良貨を駆逐することのないよう、社会にバランスをもたらす適切な規制が不足しているということだろうか。
スティグリッツ氏 まさにその通りだ。とりわけ社会規範が弱い米国のような国では、トランプ大統領(当時)のような人や会社が、自分が利用するためだけの大学をつくったりしてしまうのが問題なのだ。もし人からお金を盗んだりだまし取ったりしてはいけないという法律がなければ、簡単に他人を欺くものもいることだろう。
米国のように、強い社会規範がないうえにきわめて物質主義的な社会では、規制がより重要になるのだ。しっかりした社会的規範があれば、そもそも規制など必要ないわけだ。米国人は今、自分たちの社会規範が弱まっていたことを自覚し始めている。
国として社会規範が弱いからこそ、明文化された、より厳しい規制が必要になってくるというわけである。例えば、米国には、政府高官や大統領は、その地位をお金もうけに利用してはならないという行動倫理基準があるが、それもそのためか。
スティグリッツ氏 なぜなら、皆が、大統領はそんなことをしてはならないと思っているからだ。しかし見てほしい、いまやそれを平気でやる人が大統領になってしまった。だから社会的な規範だけではダメで、規制が必要だということを米国人は肌で感じている。社会には強い規範が必要だ。しかしそれがないなら、法律や規制で何とかするしかない。
(後編へ続く)
ノーベル賞受賞経済学者からその有力候補者まで。『日経ビジネス』経済学担当記者が世界トップクラスの著名経済学者にインタビュー、併せて研究内容・背景を解説。現代経済の課題、その解決を目指す経済学の最前線の動向をビビッドに伝えます。
広野彩子編著/日本経済新聞出版/1980円(税込み)

