世界的なスター経済学者で、2001年にノーベル経済学賞を受賞した米コロンビア大学のジョセフ・E・スティグリッツ教授。書籍『
世界最高峰の経済学教室
』(広野彩子編著)から、インタビューを2回にわたり掲載する。後編の今回は、スティグリッツ氏の世界経済情勢の見方を紹介しよう。主役である米国、欧州、中国それぞれに問題があり、世界は需要不足という問題の他に、格差拡大に見られるように制度的な疲労に直面していると指摘する。(インタビューは2019年に行った)
前編「
スティグリッツ教授 地球と世界を良くするための経済学
」
需要不足の世界経済、何かが間違っている
スティグリッツ氏は現在の世界経済の状況をどう捉えているのか。まず、2019年の視点で、世界経済の趨勢(すうせい)をどう見ていたのか、を紹介しよう。
スティグリッツ氏 世界経済はとても弱いと思う。世界的に需要不足になっている(注:本稿は新型コロナウイルス感染拡大より前のインタビューに基づく)。2008年のリーマン危機以来、世界経済は多くの面で不安定になっている。つまり、世界を見渡すと、3つの主要経済--米国、欧州、そして中国それぞれに問題がある。
多くの人々が、米国経済は強いと言う。3.7%程度という低水準の失業率であり、大成功だと。しかし私は違う見方をしている。米国ではGDP比マイナス4.5%に上る財政赤字を抱えており、累計の財政赤字は1兆ドル(約108兆円)を突破した。
単なる赤字ではない。さんざん景気刺激策をし、ほとんどゼロに近い金利を維持したうえで経済が上向かない。何かが間違っている。
2023年現在までに、新型コロナウイルス禍下、移動の自粛やロックダウンなどにより需要不足が極端に進んだわけだが、それ以前から経済は弱っていたということだ。
スティグリッツ氏 米国で2017年12月に大規模な税制改革を成立させ、10年間で1.5兆ドル(約161兆円)規模の金額を、企業や個人に還元すると決めたことは記憶に新しい。しかし設備投資は依然低調で、賃金もあまり上がらなかった。これは、前回の景気後退から尾を引いているが、健全であるとは到底言えない。
これだけやったのだから、われわれは今ごろ、素晴らしい景気を謳歌できているはずだった。しかし経済は2%前後の成長しか期待できない。弱すぎて、全然素晴らしくない。他国を見渡しても、中国の景気は減速し、ドイツは景気後退に向かっている。欧州全体が良くない。
1943年、米インディアナ州生まれ。1964年、米アマースト大学在学中から米マサチューセッツ工科大学(MIT)で学び始める。のち米シカゴ大学に移り、宇沢弘文氏の指導を受ける。1967年、MITで経済学の博士号(Ph.D.)を取得。エール大学、スタンフォード大学、プリンストン大学などを経て現職。2001年にノーベル経済学賞を受賞。2000年まで世界銀行のチーフエコノミスト兼上級副総裁。米クリントン政権では経済諮問委員会委員長を務めた。2013年から現職。著書に『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』『フリーフォール』(いずれも徳間書店)など多数。
なぜ需要は増えないのか
当時、あまりに長い間金融緩和が続いたため、経済学者の中には、先進国ではこれ以上金利が高くならないのではないかと考えて分析する人も出てきた。そうした動きについて、スティグリッツ氏はどう見ていたか。
スティグリッツ氏 あれほどの大規模な減税で刺激したのにもかかわらず、米国経済はとても弱いし、低金利のままだった。なぜこれほどまでに総需要が増えないのかを考えることが大切だ。
多くの仮説がある。そのうち1つは、不確実性だ。不確実性が高いと、企業や消費者は、投資や消費を手控える。確かに今、(政治情勢含めて)不確実性が高い。
世界に一番悪影響を与えているのは、トランプ大統領(当時)の不確実性だ。ルールに基づいたグローバルなシステムが回らなくなり、SNS(交流サイト)で毎日のように嘘をつく。
一連のことが、不確実性をもたらしている。そしてどこに投資すべきか、次に何が起こるかが誰にも分からなくなっている。この不確実性は、扇動政治が広がる温床になっている。グローバリゼーションに抵抗するグローバルな活動が起こっている。
扇動政治家とファシストが台頭し、ネオファシストとでもいうか、民主的でない政府が多くの国に存在するようになった。中国、ロシアだけでなく、インドやブラジル、そして(トランプ大統領の)米国だ。こうした政治をめぐる不確実性が、総需要の停滞につながるという仮説が1つ。
2番目の仮説は、需要部門の構造に変化があったのではないかというものだ。つまり、巨額の投資を必要としない需要が存在する、というものだ。
扇動的な政治が広がる状況は変わらず、2023年現在、ロシアのウクライナ侵攻が長期化している。新型コロナウイルスの大流行も波があるが、完全に鎮圧できたわけではない。SNSは大規模になって、時にメッセージが急激に拡散する一方、細かいコミュニティに分かれて分断が深まっていく方向にあり、世界はますます不確実性が高まっている。需要部門の構造変化には、デジタル化が関係あるのだろうか。
スティグリッツ氏 確かに、消費者にもっと製品やサービスを使ってもらいたいからといって、企業がソーシャルメディアに設備投資をする必要はない。ただ、これはあまりいい議論ではないと思っている。ソーシャルメディア自体、使ってもそれほどお金がかからない。
とはいえ、消費とモノの生産が、構造的に、多くの設備投資を必要としないものに変わったのだとしたらどうだろう。そうなると、どのレベルのGDPであっても、投資水準が弱くなる。資本もあまり必要がなくなる。
マクロ的に有望な投資先が不足するということだろうか。すると、昨今の「人的資本経営」の盛り上がりも、理にかなうものに思える。
政府の失敗:格差の容認、財政支出を抑制
スティグリッツ氏 ここで最も重要なのが、格差が広がりすぎたことだと私は考えている。経済の最上位層にいる人間は、最下位層にいる人間ほどには消費しないからだ。
政府は以前ほど財政支出をしないどころか、財政支出をむしろ削減してきた。しかし経済は、より政府が重要な役割を果たすべき状況にシフトしている。国民が健康や教育によりお金を費やしているとすれば、いずれも政府の役割がより重要なセクターだからだ。
私は、これはそうした公的セクターに固有の問題ではないと思っている。政府は2つの大きな失敗を犯した。格差拡大を容認してしまった。そして、財政支出を抑制しすぎた。ここに注目すれば、なぜ格差がこんなにも拡大したのか、原因が分かる。
独占企業の肥大化を許し、労働組合を弱体化させ、そこにきたグローバル化が悪い方向に社会を破壊する役割を果たしてしまった。政府によるインフラへの投資も決定的に不足している。
すると、構造変化に伴う需要不足と、格差を拡大させる経済システムの制度疲労が相まって、経済の弱さの原因になっているということだろうか。
新しい経済の仕組みが求められている
スティグリッツ氏 そうだ。そしてこれは、政治と経済の相互作用だと思う。より俯瞰(ふかん)して考えてみよう。1980年代に世界は「サプライサイドの経済学」の実験を始めた。レーガン元米大統領やサッチャー元英首相による新自由主義で人気を博した思想だ。
それによって経済成長を加速し、皆が恩恵を受けられるようになることを期待していた。しかし、この40年にわたる世界的な経済実験は、失敗した。誰もが失敗だったことを認めるだろう。全員で繁栄を共有することができなかったのだから、失敗だ。
これが政治的な反動につながった。しかし、この思想に対する幅広い反発があるものの、代わりになるものは何かについてはいまだ合意が得られていない。
そこで私は、本を書いた。タイトルは『People, Power, and Profits: Progressive Capitalism for an Age of Discontent(『 スティグリッツ PROGRESSIVE CAPITALISM(プログレッシブキャピタリズム) 』山田美明訳/東洋経済新報社/2019年12月刊)だ。新自由主義的な資本主義の代わりとなるものを、改めて描こうと試みた。
これからも市場経済は経済の中心であり続けるだろうが、もっと違った形であるべきだ。これを私自身は「プログレッシブキャピタリズム(漸進的資本主義)」と呼んでいる。
ノーベル賞受賞経済学者からその有力候補者まで。『日経ビジネス』経済学担当記者が世界トップクラスの著名経済学者にインタビュー、併せて研究内容・背景を解説。現代経済の課題、その解決を目指す経済学の最前線の動向をビビッドに伝えます。
広野彩子編著/日本経済新聞出版/1980円(税込み)

