京セラの創業者・稲盛和夫氏が編み出した「アメーバ経営」は、多様な部門の専門家を束ねて企業価値を生み出す経営者を育成する方法論にもなっています。稲盛氏の名著『 アメーバ経営 ひとりひとりの社員が主役 』(日経ビジネス人文庫)を、コーン・フェリー・ジャパン前会長の高野研一氏が読み解きます。『 ビジネスの名著を読む〔リーダーシップ編〕 』(日本経済新聞出版)から抜粋。

アメーバ経営で経営者が育つ理由

 多くの企業では、製造部門が製造原価を算出し、それに一定の利益率を乗せて販売価格を決定します。つまりプッシュ型の行動原理になっています。このため、市場価格が急落したときに、営業部門にはすぐにそれが伝わりますが、製造部門側では原価構造を再構築するのに時間がかかり、その間に大きなロスを生み出してしまうことがあります。

 これに対してアメーバ経営では、先に市場価格を設定し、それに合った原価構造を製造部門側が日々検討するプル型の行動原理になります。使用している部材を半値で買えないかなどと、安く調達する方法を常に検討します。それがダメなら、今度は設計や製造方法そのものを見直し、利益が出せる設計や製造プロセスにつくり変えていきます。

 こうした行動原理が日々の仕事の中に織り込まれているため、市場価格の急激な変動にも適応しやすくなります。また、将来の価格下落を先取りし、将来の原価構造を下げるために、いまから能力向上に取り組むといった動きも取れるようになります。稲盛氏はこれを「能力を未来進行形で捉える」と表現します。京セラのように、需要の読みにくい新製品を絶えず投入し、価格の引き下げを定期的に要求される業界で活動する企業においては、社員ひとりひとりが参加し、最適な原価構造のあり方を日々考えていく経営スタイルの方が適しているということです。

 稲盛氏にとってアメーバ経営とは、経営者を育成するための方法論にもなっています。昨今多くの企業では、次世代の経営人材が不足しているといわれています。各部門の専門家は比較的容易に育てられるのですが、多様な部門の専門家を束ねて企業価値を生み出せる経営者となると、なかなか人材が出てこないのです。

多様な部門の専門家を束ねて企業価値を生み出せる経営者はなかなか出てこない(写真/shutterstock)
多様な部門の専門家を束ねて企業価値を生み出せる経営者はなかなか出てこない(写真/shutterstock)
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 それではここで、アメーバ経営がなぜ経営者の育成につながるのかについて考えてもらいましょう。

多くの企業では、各部門の専門家は大勢育っていても、経営者が育たないことが問題になっています。それはなぜでしょうか? また、アメーバ経営では、なぜ経営者が育つのかについて考えてみてください。

 企業社会の中で、経験や人柄よりも専門性が重視されるようになって以来、多くの企業では社内の人材のローテーションが減り、特定の専門分野しか経験したことのない人が増えてきています。その結果、専門家は時間がたてば育ちますが、逆にすべての専門分野を横断的に束ねることが求められる経営者は、育ちにくくなっています。

 専門家は自分の担当領域にしか目が向かないため、専門分野内に収まる小さな問題を解いている間は力を発揮しますが、経営全体を視野に入れた問題を解こうとすると、途端に間違ったゴール設定をしてしまうことが多くなります。

 例えば製造部門のみに視野が閉ざされている人は、本来顧客はリードタイムの短縮や原価構造の抜本的見直しを求めているにもかかわらず、生産性の向上やカイゼン活動といった、既存の延長線上のゴールを掲げてしまうことがよくあります。専門家には、自分の専門分野の中でコントロールできないことは問題の定義から外してしまい、自分にできることの中から解を探そうとする行動パターンがあるからです。しかし、その結果、努力をしている割には顧客のニーズを満たせず、付加価値の増加につながらないという状況に陥ります。

 アメーバ経営の下では、与えられた原価目標や生産計画を達成することではなく、何をすれば付加価値が最大になるのかが問われます。つまり、製造部門だから製造のことだけを考えていればいいということではなく、顧客のニーズや市場における需給、製品設計、事業特有の収益構造にまで視野を広げることが求められるのです。アメーバ経営には、専門家を心地よいホームグラウンドから引っ張り出し、経営者の視座に立って付加価値全体を考えさせる効果があります。だから経営者が育つのです。

高い目標の実現に向けて全力を尽くす

 もちろん、優れた仕組みがあるだけで、経営者がすぐに育つということではありません。アメーバのリーダーが市場構造・事業構造・収益構造の全体像を視野に入れた上で、「こうありたい」という願望を持つことが重要だといいます。稲盛氏は「潜在意識にまで透徹する強く持続した願望を持つ」という言葉でそれを表現しています。

 リーダーが燃えるような強い願望と使命感を持ち、その思いを繰り返しメンバーに訴えることによって、計画が真に共有された目標になるといいます。そして、その実現に向けて自分の持つすべてのエネルギーを注ぎ込むことによって、経営者が育っていくのです。

 京セラでは、こうした願望を共有する場として、コンパが活用されています。「今年、私はこういうふうに経営していきたいと思う。売り上げはこういうふうに伸ばしていきたい。経費や時間はこれぐらいかかるだろうが、時間当たり利益率はここまで伸ばしていきたい。そのため、これだけ受注を増やさねばならないが、私は営業と一緒に客先を訪れ、受注を増やすようにがんばる。君たちは工場を守ってくれ」。

 こうした形で、実現すべき状態をイメージだけでなく、具体的な数字や役割分担で表現し、伝えることが求められるのです。理念だけでは実行にはつながらず、実行が伴わなければ採算の改善も経営者の育成もないからです。

 また、稲盛氏自身も経営者の育成には相当な時間を投入していました。経営会議の場では、時間当たり採算表をベースに、前月の実績と当月の予算を各部門のリーダーが発表します。このとき、議論を通じて、そのリーダーの考え方や仕事に対する姿勢を厳しく指導していたのです。

 稲盛氏は、「リーダーはあらゆる可能性を追求して、詳細なシミュレーションを繰り返し、高い目標の実現に向けて全力を尽くすべきである。あらゆる困難を、何ものにも屈しない強固な意志と誰にも負けない努力により、乗り越えていかねばならない。そうした試練を繰り返すことによって、リーダーは経営者としてふさわしい能力や考え方を自然と身につけていくことになる」と語っています。

「ひとりひとりの社員が主役」

 最後に『アメーバ経営』のあとがきの中で、稲盛氏は「このアメーバ経営の管理会計システムが、会計分野での新境地を切り開くものではないかと考えている」と述べています。管理会計は、企業で働く多くの人たちのモノの見方を、知らず知らずのうちに規定しています。しかし、そうした重要なものであるにもかかわらず、管理会計のあるべき姿についての議論はあまりされていないのが現状です。稲盛氏は、そこに着目し、そこを変えることで、多くの社員の行動や、経営のあり方を、より意味のある方向に変えることができると考えたのです。

 各アメーバが採算を考える仕組みに変えることで、社員の経営に対する参画意識が高まり、付加価値を増やすための知恵が生まれるようになります。また、市場のダイナミズムが、社内の隅々にまでダイレクトに伝えられることで、各アメーバが運命共同体として機能するようになり、会社全体が市場の変化に即応できるようになります。

 そして、アメーバ間の利害対立を克服する中で、「人間として何が正しいのか」、公平、公正、正義、勇気、誠実、忍耐、努力、親切、思いやり、謙虚、博愛といった価値観について理解が深まっていきます。さらに、そうした経験を通じて、リーダーや経営者が育っていきます。こうした一連の活動が結集した結果として、「ひとりひとりの社員が主役」という理念が実現されるのです。

 管理会計を変えることで、経営が大きく変わる。こうした着眼点から出発し、稲盛氏は新しい経営のあり方を創り出した人といえるでしょう。

『アメーバ経営』の名言
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京セラ創業者・稲盛和夫氏の名著

組織を「アメーバ」と呼ばれる小集団に分け、独立採算にすることで、ひとりひとりが採算を考える、市場に柔軟な戦う組織をつくる。これまでの常識を覆す独創的経営管理手法を詳解。組織づくりに悩んでいるマネジャー、リーダーを目指す人、必読!

稲盛和夫(著)/日本経済新聞出版/713円(税込み)