2022年8月に逝去した京セラ創業者の稲盛和夫氏。「どうすれば会社経営がうまくいくのか」という経営の原理原則をまとめた「経営12カ条」を自身の言葉で解説する書籍の発行準備を進めていた。同書の内容を基に、稲盛経営の集大成ともいうべき12の経営の原理原則を一つずつ紹介していく。今回は第8条「燃える闘魂」。

(写真:PIXTA)
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 素晴らしい生き方を示し、素晴らしい人間性で対する。そうすれば、相手も心を打たれ、そういう生き方を返してくれるはずです。経営者として、社員はもちろん、会社を取り巻くすべての人たちを感化し、変えていくというほどに善きことを思い、善きことを行わなければなりません。そうすれば必ずめぐりめぐって自分に返ってくる。それが世の真理なのです。

 しかし、誤解をしてはなりません。心を高めることが大切ですが、単に「きれいな心を持てばよい」という話ではありません。やさしく美しい心だけでは、採算をとる厳しさや不況に立ち向かう気概が不足し、企業を成長発展させていくことができないからです。厳しい不況のなかでも、「何としても売上をあげ、利益を確保していくのだ」という、凄まじい気概がなければなりません。

 これは一企業の経営にとどまらず、閉塞感漂う日本経済の再生に関しても同じです。現在の日本を取り巻く状況を打破し、再び成長軌道に戻ろうとするなら、ひとりひとりの経営者が凄まじいまでの闘争心を持つことが不可欠であると私は考えています。

 このことを理解していただくために、少し昔の私の文章を紹介させていただきます。これは、1991年12月に発行した京セラの社内報の巻頭言です。1991年といえば、京セラも創立32年目を迎え、大企業病が危惧されていたときです。

 「京セラ社員よ、闘争心を持て」と題した巻頭言で私は、社員たちに向かって次のように述べています。


 私は最近、京セラ社内で闘争心が希薄になってきているのではないかと危惧しています。目標に向かってなりふり構わず突き進んでいくガッツが失われてきているように思います。

 経営をしていくうえで闘争心は、才覚やリーダーシップと並んで欠くことのできないものです。土佐犬のように噛みついたら離れないという執念深い闘争心が絶対に必要です。勝敗に執念を燃やすガッツがなかったら、どうにもなりません。

 闘争心は、野放図に出せばよいというものではありません。一方では闘争心をコントロールすることが必要で、それをするのが「魂」です。魂によって、闘争心を出すべきところで出し、そうではないところでは抑えるのです。

 しかし、それをはき違えて、闘争心そのものを失ってしまっては本末転倒です。そんな社員が増えていったら、会社が伸びていくはずがありません。会社のため、部下のために必死で頑張ることが、われわれの本業なのですから。

『経営12カ条 経営者として貫くべきこと』(稲盛和夫著、日経BP 日経新聞出版)
『経営12カ条 経営者として貫くべきこと』(稲盛和夫著、日経BP 日経新聞出版)

 経営というものは「意志」なのです。こうありたい、私はこうするのだと決めたことを貫く強い意志が要るのです。だから、マスタープラン(年間計画)をつくっても、月次の目標を立てても、それをやり遂げられない人はまず、リーダーとしては失格です。

 経営環境は絶えず変化していきます。世界経済も日本経済も、為替レートや受注状況などもどんどん変わります。そのようななかでもわれわれは強い意志によって臨機応変に、自分が立てた目標をやり遂げていかなければなりません。

 さらには、自分だけではなく、その意志を集団にまで浸透させてみんなを引っ張っていく闘志がなければならないのです。

 「一生懸命に頑張っているけれども、もうあかんようになったからしようがないやないか。翌月は頑張ろうや、皆さん」などという調子で、一生懸命にやったのだから仕方がないと言っていたのでは絶対に強くなりません。

 しかるに、現在の京セラは全部そうなってしまっているように思います。

 私は社員に「よし、おまえがやれないのだったら、俺は後ろから機関銃で撃ってやる。どうせ後ろに逃げてきても死ぬんだから、死ぬくらいの気迫で前へ進め!」と言ったことがあります。言われた社員が怖くなるくらいの気迫でした。しかし、リーダーたる者、あるときには、そうしてでも目標を遂行しなければならないのです。

 目標を立てたけれどもダメ、次もダメというようなことを何回か繰り返していたら、もうその部隊はダメです。勝ったことのない、勝つことを知らない集団になってしまいます。

 最近では当社のマスタープランでも、月次の目標でも、みんなで一生懸命にまじめにやっているにもかかわらず、常にそれが果たせない。そしてそれがそのまま通ってしまっている。これは、先ほど言ったように、リーダーに闘争心やガッツ、または強い意志力が欠落しているからです。意志を貫くということはリーダー自身にとってたいへんつらいことですが、部下にとってもつらいことです。そういうつらいものがあるからこそ、闘争心を凄まじいくらいに出さなければ、物事は予定どおりに、願望どおりにはいきません。

人間性を高めることも必要

 しかし、この闘争心や意志力は、諸刃の剣です。誤って限界を超えれば、自分自身や部下、集団をも破滅させてしまう危険があります。だからこそ、人間性を高める、心を高めるということが必要なのです。

(写真:陶山 勉)
(写真:陶山 勉)

 そういうギリギリのこともできずに、「まあ、皆さんも一生懸命に頑張ってくれているのだから、しようがないわ」と言うような人は、集団を破滅させてしまう危険がない代わりに、強い集団をつくることも高い目標を達成することもできません。

 こういう人はまわりに害を及ぼさないので、心を高める必要がないのかもしれません。むしろ、闘争心も意志力もあって、仕事ができ、事業や会社を伸ばしていける人こそ、そのマイナス面が出たときに組織やそこにいる人々を破壊してしまう危険があるので、人間性を高めること、心を高めることが必要です。

 私は皆さんに「聖人君子になれ」と言っているわけではありません。経営をし、事業をする場合には、凄まじい才覚やリーダーシップ、激しい闘争心、強い意志力を持つようにしなければなりません。そういう本能心が必要なのです。しかし、それだけでは、誤った場合、組織にたいへんな害を与えますから、それを制御できるように心を磨かなければならないと言っているのです。


 かつての社内報の巻頭言で、私はこのように述べています。

 もちろん、人を思いやる美しい心は必要です。しかし、それだけでは、企業は市場競争に敗れ、淘汰されてしまいます。時代は大きく変化し、経営環境は急速に変動している。そのような混沌とした状況のなかだからこそ、状況に流されず、環境に負けない「なにくそ」という強い精神、つまり「闘争心」が必要だと私は考えています。

 経営において美しい心の必要性を知り、それを身につけるべく日々努めていれば、たとえ、そのように激しく猛々しい闘争心を持って経営や人生に臨んでも、決して誤った方向には行きません。美しい心が羅針盤となり、まっすぐに正しい方向へと進んでいくことができると私は信じています。

(写真:PIXTA)
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次回は第9条「勇気をもって事に当たる」

日経ビジネス電子版 2022年10月26日付の記事を転載]