シリコンバレーではベンチャーキャピタリストたちが新たなチャンスを探していた。アップルのスティーブ・ジョブズが資金調達に乗り出した当初、彼らはその可能性を大きく見誤ってしまう。だが、ベンチャー投資に関わる人々のネットワークは着実に拡大して、リカバリーショットを放つ。ジョブズの苦闘を、『The Power Law(ザ・パワー・ロー) ベンチャーキャピタルが変える世界』(セバスチャン・マラビー著/村井浩紀訳)から抜粋・再構成してお届けする。
セコイアのドン・バレンタインとの出会い
アップルが資金調達に乗り出したとき、ベンチャーキャピタル業界の花形的な人物たちは好機と受け止めず、最も優秀なベンチャーキャピタリストたちでさえ、大きく間違えてしまう可能性があることを証明した。
トム・パーキンスとユージン・クライナーはスティーブ・ジョブズとの面会を拒否した。サッターヒルのビル・ドレイパーは部下をアップルに行かせたが、ジョブズとウォズニアックに待たされたとの報告を聞いて、2人を傲慢だと一蹴する。ドレイパーとかつて中小企業投資会社(SBIC)で仲間だったピッチ・ジョンソンは、「家庭でコンピューターをどのように使うのだろう。レシピでも取り上げるのだろうか」といぶかった。
繰り返し拒絶されたジョブズは、遠くニューヨークのスタン・ベイトにまで接触した。彼はコンピューター販売店を市内で初めて開いた経営者で、わずか1万ドルの出資でアップルの株式の10%を渡すと持ちかけたが、徒労に終わる。ベイトは「この長髪のヒッピーとその仲間たちを見て内心思った。『私の1万ドルを託す相手として、あなたたちの順番はこの世界で最後だ』」と残念そうに振り返った。
ジョブズは自分をアタリで雇ってくれたことがあるノーラン・ブッシュネルにも提案した。5万ドルでアップルの株式の3分の1を取得できるという内容だった。「私は利口すぎて、ついノーと答えてしまった」とブッシュネルは反語的な言い回しで当時を思い起こす。「あのときのことを考えるのは、それなりに面白い。気分が落ち込んでいないときにはね」
ジョブズとウォズニアックにとって幸運だったのは、1976年にはシリコンバレーのベンチャーキャピタルのネットワークが十分に大きくなっていて、一握りから断られても、絶望的な状況には追い込まれなかったことだ。すぐに2人はセコイアの創設者、ドン・バレンタインのもとへ足を運んだ。
このバレンタインを訪問することになった経緯こそがネットワークが持つ力を示していた。ノーラン・ブッシュネルはアップルへの支援を拒みつつも、そのダメージが致命的なものとならないようにするため、アタリを助けてくれたベンチャーキャピタリストであるバレンタインをジョブズに紹介した。
同時期にジョブズはシリコンバレーでマーケティングの第一人者と目されていたレジス・マッケンナにもアプローチする。ジョブズはマッケンナの会社に広告を含む製品の販促サービスを依頼する対価として20%という相当な比率のアップル株の譲渡を提示した。
しかし、マッケンナは、まだ何もないスタートアップの20%の持ち分を得ても、ほぼ無価値だろうという反応だった。それでもマッケンナはブッシュネルと同様に、別の人物につないで、拒否が大打撃にならないよう手加減した。その人物とは、またもドン・バレンタインだった。
救世主、現る
シリコンバレーのネットワークがジョブズをバレンタインへと導いたのは、当然のなりゆきでもあった。アタリを支援したバレンタインは、奔放な若き創業者たちを制御できる最強の人物として定評があった。しかも、半導体産業のベテランとして、バレンタイン自身がテクノロジーを生かした製品に投資することに誇りを持っていた。
バレンタインはアップルの理想の投資家だった。ビジネスを定着させるリスクより、テクノロジーを確立するリスクのほうを好むクライナーとパーキンスは、ジョブズとの面会を断った。その点、フェアチャイルドとナショナル・セミコンダクターで販売部隊を率いたバレンタインは、消費者に「台所に置くコンピューターが欲しい」と思わせることが最大の課題となるスタートアップにはうってつけだった。
このようにバレンタインはアップルの最初の投資家として申し分のない人物だったが、彼のジョブズとウォズニアックに対する最初の反応は懐疑的なものだった。「ジョブズはカウンターカルチャーを体現しようとしていた」とバレンタインは後に語っている。「細い髭(ひげ)を生やし、とてもやせていて、まるでホー・チ・ミンのようだった」
それでも、バレンタインはブッシュネルとマッケンナからジョブズとウォズニアックという2人のアップルの創業者には会ってみる価値があると聞いていた。バレンタインも自分のネットワークを大切にしていたため、腰を上げて、アップルが何をしようとしているのか尋ねてみることにした。
「市場規模はどのくらいかね」。彼はウォズニアックに質問した。
「ざっと100万台です」とウォズニアックは答えた。
「その根拠は?」
「ええと、アマチュア無線を楽しむ人々が100万人います。コンピューターはこのアマチュア無線より人気です」
ウォズニアックの回答は、アップルが限られたテクノロジー系の愛好家たちの輪を大きく超えようとは考えていないことを示唆していた。また、バレンタインがアタリを訪問した際には、同社のゲーム機は多くの都市に広がっていたのに対し、1976年時点でアップルの製品はまだ販売していないに等しかった。その点にもバレンタインは疑問を感じた。
「言ってください。あなたに資金を提供してもらうために、こちらは何をすればいいのでしょう」とジョブズは強い調子で尋ねた。
「経営やマーケティング、販売チャネルについてある程度分かっている人材を会社に迎えなければならない」
「承知しました」とジョブズは返答した。「(それぞれの専門家を)3人送ってください」
この出会いのあと、バレンタインは面談を勧めたレジス・マッケンナに怒りをぶつけた。「人類の中から、よくもまあ(ろくに事業計画を練ってもいない)あの反逆者たちを私のもとに訪ねさせてくれたな」と抗議した。バレンタインはこのネットワークの中で唯一、アップルを支援できるベンチャーキャピタリストだったが、資金を投じる用意はまだなかった。
それでもバレンタインは単なる拒否で終わらず、ブッシュネルとマッケンナと同じ行動を取った。ジョブズが外部からマーケティングの専門家を起用することに前向きな点を踏まえ、次の人物たちにつないだのである。これはほとんど反射的な対応だった。このときのバレンタインの中心的な役回りは、よそからの紹介を受け入れ、次の相手に紹介することだった。
バレンタインは自分の人脈にあたり、アップルで事業の確立を助ける経験豊富な3人の経営幹部の候補者たちを選んだ。
ジョブズはそのうちの1人を断った。ジョブズはもう1人には会ったが、一緒に働くことを拒んだ。3人目はエンジニアで、バレンタインとはフェアチャイルド時代からの知り合いのマイク・マークラという販売・営業の元幹部だった。マークラはインテルでのストックオプションで豊かになり、33歳で早々と退職・引退し、今後はテニスと家具づくりを楽しむつもりでいた。
退職から1年半がたった1976年の初秋のある月曜日、マークラは金色に塗装したスポーツカーのコルベットを運転してジョブズの郊外のガレージを訪ねた。建物としては質素な部類に入るそのガレージは、後にテクノロジー系のスタートアップをおおいに刺激することになる。マークラは長いもみあげで、レジャースーツという格好だったが、ジョブズとウォズニアックに抱いた第一印象は、彼らは散髪しなければならないということだった。
セバスチャン・マラビー著/村井浩紀訳/日本経済新聞出版/上下巻とも2090円(税込み)

