日本のビジネス界の表裏を知り尽くした経営学者が、日本企業の新たな飛躍への挑戦を描く『 再興 THE KAISHA 日本のビジネス・リインベンション 』(ウリケ・シェーデ著/渡部典子訳/日本経済新聞出版)。冨山和彦氏(経営共創基盤グループ会長)は本書に解説を寄稿し、「大河ドラマのように日本的経営の勃興と栄枯盛衰を描き、日本企業の潜在力の高さを解き明かす点でJ・アベグレン氏の名著『日本の経営』の現代版だ」と評価する。今回は解説の前半部分を抜粋。
俯瞰的、客観的自己認識が必要
本書の著者であるウリケ・シェーデ教授は、今や少なくなってしまった米国の日本企業研究者のトップを走る気鋭の経営学者である。シェーデ教授は『両利きの経営』の共著者チャールズ・A・オライリー教授とともに、私とは20年来の家族ぐるみの付き合いで、日本企業の課題と再生、再興をめぐって議論を戦わせてきた仲である。またお二人そろって、私がグループ会長を務める経営共創基盤(IGPI)のアドバイザリーボードにも名前を連ねてもらい、さまざまな議論に参加してもらっている。
シェーデ教授は長年にわたり毎年日本に長期滞在し、そこでデータ分析だけでなく頻繁にいろいろな産業、規模、地域の日本企業を訪れ、詳細なインタビューを行い、深い事例研究も多数行ってきた。日本の経営学者でもあれだけ広範で深い知見を日本企業に関して持っている人は少ないのではないか。そんなシェーデ教授が満を持してTHE KAISHA、すなわち日本企業の重要性と復活への課題を世界に問うたのが本書の原書、The Business Reinvention of Japan:How to Make Sense of the New Japan and Why It Matters である。
原書は米国で権威あるビジネス書賞である Axiom Business Book Award(2021年)並びに第37回大平正芳記念賞(同年)を受賞するなど、大きな注目を集めている。米中問題の深刻化、コロナ禍、環境問題の深刻化、サプライチェーンリスクの頻発、デジタル革命とグローバル革命の影の部分が格差や分断という形でDX(デジタル・トランスフォーメーション)勝ち組である米国の経済社会にも暗い影を落とす等々、新たな問題に世界が直面する中で、日本の企業と経済が世界で果たしている役割への認識が米国でもじわじわと高まっている証左なのかもしれない。
私もいろいろなところで強調してきたことだが、日本の経済社会が持っている連続的な技術やノウハウの蓄積力、持続的な改善改良に関する組織能力、集団的なオペレーショナルエクセレンスは、今日のような流動的で不安定な国際情勢やデジタル革命がバーチャル+リアル・フィジカルステージにシフトする中で再びその重要度を増している。しかし、そういったいわば企業間バトルにおける地上戦力の強さだけでDXの時代を生き残れるわけでもない。そこでまさに従来の強みを深化させつつ、新たにサイバー空間におけるイノベーションの力、空中戦力を探索し使いこなす「両利きの経営」力が問われるわけだが、その際、私たちがまずもって踏まえなくてはいけないのは、自分たちがどこからやって来て、どのようにどんな自分に今なっているのか、という俯瞰(ふかん)的、客観的な自己認識である。それなしには「両利きの経営」のゴールへの道筋は描けない。
私たちが一人の人間としてそうであるように、自分の姿を客観的にみることは難しい。だから日常生活では鏡を使ってその片鱗(へんりん)をつかもうとする。スポーツやダンスをやる人は自分の姿を録画してチェックを入れる。主観的自己イメージは、ある時は傲慢に、自信過剰となり、またある時は卑屈に、自己否定的になる。自らがありたい自分に向かって向上する努力を行おうとするとき、客観的な自己観察ツールは極めて重要な役割を果たす。
これは日本経済や日本企業についても同様で、この国で交わされる議論の多くは、「だから日本企業はダメなんだ」系の自虐的で極端な悲観論か、「日本的経営論は今でも世界の最先端だが悪いのは外国と政府と新自由主義だ」、みたいな自信過剰の他責論である。
これに対し、シェーデ教授はドイツ出身の米国カリフォルニア大学サンディエゴ校の教授として、当然ながら客観的でバイアスなく日本の経済と経営を見つめる視点を持っている。それが、私自身も彼女から多くの刺激、気付きを得ることができた源泉だと考えている。そして現時点における「日本観察」の集大成とも言えるのが本書であり、この日本版については、日本語も堪能なシェーデ教授自らが、日本人読者のために多くの加筆や改訂を行っている。
本書は、日本企業と日本のビジネスパースンにとって最高のタイミングで登場した最良の姿見なのである。
日本的経営の光と影をたどる大河ドラマ
姿見としての本書の特徴は、第2章以降、過去・現在・未来の時間軸を縦糸に、各時代に起きる社会現象、経営現象を横糸に重層的に物語が織り進められていく「大河ドラマ」性にある。それもシェーデ教授の日本社会への深い理解と愛情を基盤にした魅力的な文章によって描かれているので、読む者を惹きつけて飽きさせない。とにかく事実、事例が豊富で、それが立体的に折り重なって日本的経営の勃興と栄枯盛衰の物語が、その構造的な背景解説を伴って臨場感豊かに展開される。少なからずの読者が、分かっていたようで分かっていなかった物語に、はっとすること、「目から鱗(うろこ)」の思いを持つことも度々あるだろう。
もちろん本書は社会科学者の手による本なので、面白おかしく話を盛ったフィクションではない。あくまでもファクトとロジックで、なぜ日本的経営が生まれ、成功し、やがて停滞したのか、またどのような分野でなぜ日本企業が今でも活躍しているのか、さらにはどのように新たな日本的経営モデルの企業が既存企業からも現れつつあるのかを、精緻に分析、論証している。したがって、この大河ドラマは、単に読了して終わりではなく、賢明な読者なら、これを私たち自身の科学的物語として、そこから普遍化、抽象化された法則を見出し、明日の経営へとつないでいく材料とするはずだ。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史から学ぶ」という有名な言葉があるが、本書は賢者が学ぶべき、日本の企業と経営に関する科学的、客観的クロノロジー記述、すなわち歴史書でもある。私たちの多くが個々、さまざまに経験してきたことを、シェーデ教授は歴史として整理、編纂(へんさん)してくれている。この大河ドラマにはまさに私たちが私たちの歴史から学ぶべきエッセンスが詰まっているのである。
現代の若い人にとっての『日本の経営』
私は本書をぜひとも若いビジネスパースンに読んでほしいと思っている。現役のビジネスパースンのほとんどにとって、昭和の高度成長期の物語は、今や時代劇であり、まったく実感のわかない話である。バブル経済でさえ、テレビや映画などのお話として「そんなすごい時代があったのか」という感覚の世代がもはや多数派である。これからの時代を担うデジタルネイティブ世代、いわゆるZ世代にとっては、かつて日本企業と日本的経営が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」として世界を席巻した時代は、明治維新の西郷(隆盛)さんや坂本龍馬の話、さらには戦国時代の信長、秀吉、家康の時代の話と同じくらい遠い過去の時代のお話なのだ。
しかし、すべて現在の姿は過去の沿革を踏まえてそうなっている。これは個人でも会社でも国家でも同じである。今の自分の姿を正しく知る上で、そこにつながっている歴史的背景、大河の流れを知ることは極めて重要な意味を持つ。その意味で、本書の第2章、第3章は特に若い世代にとって重要な章となっている。ナショナリズム的、ノスタルジー的な肯定バイアスもなく、かといって西洋かぶれの日本人にありがちなニッポン否定バイアスもなく、日本的経営、カイシャ(日本的な会社形態モデル)の勃興と繁栄の歴史を冷静に観察、描写している海外の経営研究者による記述は、若い世代にこそ読んでもらいたい。この経緯の正確な認識なくして、その先の停滞の真因は理解できず、そこから脱却するための正しい処方箋も得られない。本書の構成も、この2つの章を起点とし、第4章以降は、新しい時代に新旧の日本企業群が再興するための処方箋に向かって展開されていく。
かつて日本が敗戦の痛手から本格的に立ち直ろうとしていた1958年、のちにボストン コンサルティング グループ(BCG)の設立メンバーの一人となるジェームズ・アベグレン博士が、経営学史に輝く名著『日本の経営』を出している。戦時には米軍の兵士としてガダルカナル島や硫黄島で日本軍と戦い、戦後は米軍の戦略爆撃調査団、さらにはフォード財団で日本の経済と経営を研究したアベグレン博士は、当時、成立しつつあった「終身雇用制」や「企業別組合」など、濃密な共同体型の企業体として日本のカイシャが持つ潜在力の高さを理論的に提示したのである。
欧米から見た1950年代の日本経済のイメージは、安い労働力と保護貿易で、安かろう悪かろう製品を世界に売りまくって経済復興を図ろうとする新興国的な姿である。もし日本経済の競争力の源泉が本当に低賃金と貿易障壁であれば、経済が成長して賃金水準が上がり、さらには関税などの貿易障壁がなくなっていけば、日本経済と日本企業の成長は止まるはずである。しかし、アベグレン博士の論は、日本的経営は単なる要素コストの高低を乗り越えるコンピタンスを有しており、その躍進は持続的なものになる、というものであり、まさに30年後のジャパン・アズ・ナンバーワン時代の到来を予言していた。
やがて1960年代に入り、彼の考えは、要素コストはもちろん、規模の経済性でも説明できない、あるいはそれを凌駕(りょうが)しうるコスト競争力に関する理論である経験曲線理論として、BCGの設立と飛躍の源泉となる経営理論へとつながっていく。すなわち賃金水準が上がり貿易障壁を失ったら、大半の日本企業は圧倒的な規模差のある米国の自動車メーカーや電機メーカーにいとも簡単に踏みつぶされるであろうという、大方の見方を否定していたのがBCGの創立メンバーたちであり、それが同社初の海外オフィスが欧州ではなく日本に設立された背景となっている。
私が1985年にBCGに入社した頃、アベグレン博士はまだぎりぎり現役で東京オフィスにおられたので、幸運にもわずかながらその謦咳(けいがい)に接することができたが、当時は日米貿易摩擦が真っ盛りの頃で、いわゆる日本の経済的成功や日本企業の世界的成功は不公平な貿易プラクティスによるものだ、という論調が盛んだった。この議論が間違いであったことは歴史が証明しているが、そこからさらに30年近く遡った1950年代、日本の経済人がまだ失意の底にあった時代に、当時、試行錯誤的に形成されつつあった日本的経営システムの持つ潜在的優位性を理論化、抽象化、普遍化してくれたのがアベグレン博士だったのである。このことが日本の経営者や経営学者、経済学者、そして政策関係者に与えたインパクトは大きい。ちなみに「終身雇用制」という日本語は、アベグレン博士の“life-time commitment”の訳語である。
そして私たちがデジタル敗戦、グローバリゼーション敗戦から立ち直ろうとしている今、アベグレン博士と同じような仕事をしているのが、ほかならぬシェーデ教授なのである。繰り返すが、日本人が日本について考えるとき、語るとき、どうしてもそこには主観バイアスが入るし、ましてや個々の経営者は個々の経験でしか経営を語れない。かかる変化の時代において、主観的なフィルターのかかった個別具体論が持つ効力には限界がある。再び私たちは、私たち自身の強みと課題を理解するために普遍性を持った優秀な鏡を必要としているのだ。
本書はまさにその鏡であり、アベグレン博士の『日本の経営』と同じ価値を持って、現代のこの国の企業と経営の未来をエンカレッジしてくれている。その意味でこれから日本企業のビジネスや経営を担っていく若い世代にこそ、21世紀版の『日本の経営』とも言うべき本書を読んでもらい、それぞれに私たちはどこからどう今の時代にやってきたのかを理解してもらい、これからどこにどう向かっていくべきかを考える基盤としてもらいたいのである。
日本で学び、現在、カリフォルニア大学で日本の経営、ビジネス、科学技術を研究するドイツ人研究者が、21世紀以降の日本企業の行動を分析し、その変革力を考察。日本企業の「再興」=リインベンションへの取り組みを通じて、バブル崩壊以降広がった日本悲観論・軽視論を退ける。
ウリケ・シェーデ著/渡部典子訳/日本経済新聞出版/2750円(税込み)