12年働いた中堅システムインテグレーターをやめようと決心していたSEの後藤智彦。緊急トラブルの対応現場で出会ったすご腕の先輩SEの五十嵐優一と共に徹夜でトラブル対応にあたる長い夜。望む「成功」への道がぼんやり見えてきた後藤。しかし五十嵐は「成功者は成功を求めていない」と冷や水を浴びせる。(この物語はフィクションです)

イラスト:冬乃郁也
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 ぼんやりとしていた「成功」への道しるべが、少し見えてきた気がした。出世というものにとらわれず、顧客に向かって真剣に仕事をすることが成長につながる。であれば、今の会社にいたって、もっとできることがある気がする。

 ただ、自分自身の気持ちがわからなくなってきた。一体、ぼくはどんな成功を求めているだろうか。

 考え込むぼくに、五十嵐さんが話しかけてきた。

「後藤は、成功したいって言ってたな」

「はい」

「1つ大事なことを教えてやろう。成功することを目指す人は、成功しない」

「えっ。そうなんですか? だって、成功してる人は大きな成功を夢見てやってるんでしょう? 孫さんだってビル・ゲイツだって、みんな成功を目指していると思います」

イラスト:冬乃郁也
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「ちょっと違うんだ」

「どういうことです?」

「『成功』という、漠然としたものを目指して努力したわけじゃないってことだ。具体的な夢や目標を目指して努力したんだ。世の中の役に立ちたいとか、世界のことを強く願ってね。孫さんも、一番大事なのは『志と理念』と言っている。尋常じゃない努力をしたとしても、成功を目指してやるのか、高い志でやるのか、その差は小さいようで、すごく大きい」

「うーん、どうなんでしょう。ぼくには理解できません」

「ちなみに、後藤の場合、どうしたら成功だと思う?」

「そうなんですよ。ぼくもそれを考えていました」

だから駄目なんだ、きちんと考えろ。五十嵐さんは、そうは言わんばかりの顔をする。

「さっき後藤が同級生の話として語ってくれた、テレビに出るとか、賞を取るとか、そんなことか?」

「ま、一例としては……」

「それは、成功なのか?」

 言葉につまった。たしかに、成功かと言われれば、違う気がする。

「例えば」と、五十嵐さんは話しだした。

「松下幸之助さんは、自分の能力を最大限発揮することが成功だと言っていた。イチロー選手も、似たようなことを言っていた。あれだけの活躍、記録を残せたら、大成功だってことは一目瞭然だ。でも、大成功を手に入れた後でも練習を続け、現役への強いこだわりがあった。『自分への挑戦をしている』ということだよ」

「なるほど……」

「彼らは世界的に驚くような結果を残して、きっと大きな満足感を得たと思う。でもそれは、みんながチヤホヤしてくれるからうれしいっていうことじゃない」

 たしかに、イチロー選手は、女性にチヤホヤされたいなんて思ってなさそうだ。そもそも野球とカレー以外に興味がなさそうでもある。

「後藤は周りを気にし過ぎているんじゃないか? 話を聞いていると、周りの人よりも成功して優越感に浸りたいとか、そんな理由ばっかりに聞こえる」

「でも、お笑い芸人は、女にモテたい、金持ちになりたい、そう思ってこの世界に飛び込んだって聞きます」

「きっかけはそれでもいいと思う。オレの場合も、社会に貢献しようって気持ちより、最初はお金を稼ぎたいなどの邪念のほうが強かった。でも、それだけだと途中で挫折するんだよ」

「なるほど……」

「俳優の佐藤二朗さんが『画家になりたい人は画家になれない。絵を描きたい人が画家になれる』って言葉を紹介していたよ。彼が好きな言葉だそうだ」

「画家になりたい人と、絵を描きたい人ですか?」

 ぼくは五十嵐さんが言っている意味が、ピンとこない。

「画家という職業に憧れたのか、純粋に絵が好きなのか、という違いだ」

「なるほど」

「後藤も夢を持ってIT業界に入ってきたはずだ。システムエンジニアになりたいと」

「ええ、まあ」

「だが、実際に仕事をすると、嫌なこともたくさんある。すると、『思っていたのと違った』『他にやりたいことがある』などと言ってIT業界を去る人間もいる」

 実際、そんな人をたくさん見てきた。突然、「音楽がやりたかったんです」と去った人もいた。

 五十嵐さんはペットボトルのお茶を握りしめながら、話を続けた。

 

「一方、ITの仕事が本当に好きなやつはやめない。嫌なことがあっても、ITの仕事ができることが楽しいのだ。そういうやつが本物になる」

「なんとなくわかります」

 成功なんてのは、目指すものではない。真剣に取り組んだ結果、あとからついてくるものだ。五十嵐さんはぼくにそう言いたいのだろう。

「この前」と、五十嵐さんは言って、ペットボトルのお茶をぐびぐびと二口飲んだ。そして、ぼくを見た。

「喫茶店で、仕事をしていたんだ。すると、近くにいたおじいさん──80歳は超えていたかな──の1人が、言ったんだ。『死んだら負け』って」

「誰と勝負しているんですか?」

 五十嵐さんはフフッと軽く笑った。

「でも、その2人は大きくうなずき合っていたんだ。その2人にとって、長生きするっていうのは、成功ってことなんだと思う。つまり成功の定義は、人それぞれ。他人と比較することでもない」

「そうですよね……」

 本当にそうなんだ。だけど、長生きが成功とは、今の自分には思えない。

「ぼくって、何を求めているんでしょうね」

「多くの人は、答えなんて持ってないさ」

「そんなもんですかね?」

「そう思うぞ」

「ただやはり、人と比べちゃうんです。だから、誰かがすごいって言ってくれるようなわかりやすい成功を求めちゃうっていうか……」

「周りがどうかにとらわれ過ぎると、自分のよさや、やりたいことが見えなくなってしまうぞ」

 ぼくは返す言葉が見つからなかった。

「周りと比べてどうだ、という成功を目指すな、ということですね……」

 口では五十嵐さんの話に同調したものの、だからといって、高い志があるわけでもない。

 五十嵐さんは、そんなぼくに、優しい言葉をかけてくれる。

「いや、世の中に正解はない。だから、後藤が成功をしたいと思うのなら、自分が思う成功に向かって、努力してみたらいいと思う」

成功を目指すなんて本質ではないとわかっていながら、五十嵐さんはぼくの気持ちを理解してくれる。なんて優しい人なんだ。

「ぼくなりに、努力は続けたいです」

「そうだ。ただ、そのとき、ちょっと工夫をしよう。間違っても、成功というものを定義せずに、『周りの人より上』などの中途半端な意識にしてはいけない。それだと、いつまでたっても成功にはならない。なぜなら、ゴールが曖昧だからだ」

(つづく)

▼本連載は左門至峰氏の小説『ぼく、SEやめて転職したほうがいいですか?』(日経BP、2023年6月19日発行)を著者の許諾の下で転載しています。本文表記は原則、書籍発行時の記述をそのまま掲載しています。

日経クロステック 2023年8月24日付の記事を転載]