12年働いた中堅システムインテグレーターをやめようと決心していたSEの後藤智彦。緊急トラブルの対応現場で出会ったすご腕の先輩SEの五十嵐優一と共に徹夜でトラブル対応にあたる長い夜。五十嵐に諭された後藤は、自分にとっての仕事の価値を考える。(この物語はフィクションです)

イラスト:冬乃郁也
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「ちなみに、後藤は成功したら、例えば、同級生のように、ITベンチャーの社長や人気予備校講師になったとしたら、何をしたいんだ?」

「成功したらですか……。成功したいとだけ考えて、そんなこと考えてみたこともないです」

「では、質問を変えよう。成功して使いきれないくらいの大金を得たら後藤は何をしたい?」

「うーん。なんだろ」

 本当に思い浮かばない。妻と子を、ディズニーランドに連れて行く? いや、妻は「あなたと一緒ならどこでも楽しい」って言うから、遊園地じゃなくてもよさそうだ。じゃあ、近所の公園で日なたぼっこをする? それも、いいかもしれない。でもそれって、予備校講師とかITベンチャーの社長にならなくてもできるような……。

 ぼくはわからなくなって、春村さんに水を向けてみる。

「ちなみに、春村さんは?」

「そうですねえ。アメリカに行って、本場のメジャーリーグを見たいです」

イラスト:冬乃郁也
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「へえ! 野球が好きなんだ!」

「姉が、野球観戦が好きで、よく甲子園に連れて行ってもらいました。姉は、新婚旅行でアメリカに行って、大谷選手の試合を見てきたって自慢していました」

 なるほど。メジャーの試合で観客が立ち上がって応援するのは楽しそうだ。

 ぼくはゴルフをしないし、最近は旅行にも行かないが、一般論としてまとめてみた。

「一般的な欲望といえば、高級車を買ったり、旅行に行ったり、ゴルフに明け暮れたり……おいしいものを食べたり、ですかね?」

 五十嵐さんはうなずいている。

「まぁ、楽しいだろうな。でも、旅行だって、ゴルフだって、1カ月もすれば飽きる。食事だって、毎日フレンチやら高級和食やらを食べてみろ。必ず飽きる」

「漬物とお味噌汁が食べたくなりそうですね」

「『高級品を買いたい』『おいしいものを食べたい』『どこどこに行きたい』というのは、わかりやすい欲求だ。でもそういう自己満足的なのは、達成してもすぐに飽きるんだ。だから、『お金が欲しい』という欲求を満たしても、本当の意味では満足できない。お金で買えるものにたいした価値はないからだ。『地位が欲しい』『誰かに勝ちたい』なんて欲求も同じ、一過性の満足に過ぎない」

 ぼくが言っている「成功したい」ってのも一過性の満足に過ぎない、つまりそれを得ても満足しないってことなんだろう。

「どれだけやっても飽きないこと、それがぼくにとって一番したいこと、っていう意味ですね」

 やっと五十嵐さんの質問の意図がわかった。

 五十嵐さんは、「わかるようになったじゃないか」と、うれしそうだ。

「でも、本当にしたいことが、見つからないんですよね。そこが駄目なんですけど」

「誰でもそんなもんだと思うけどな」

「五十嵐さんも?」

「そう。だから、たいした成功もしてない」

 そう言って五十嵐さんが大笑いをした。つられてぼくも笑ってしまった。徹夜をすると、ちょっとしたことで大笑いをしてしまう。

「ただ、自分が成長しているって感じたり、誰かに喜んでもらえたりするっていうのは、悪い気がしない。そんなことないか?」

「悪い気持ちがしないどころか、ぼくはすごく好きです」

「だよな。成長を感じることって幸せだし飽きることがない。それに、誰かに喜んでもらうことも、飽きることは決してない。喜んでもらえるというのは、人間にとって、とても幸せなことなんだ。だからSEという技術職のエンジニアは『成長欲求』と『貢献欲求』、この2つを求めているとよく言われる」

「たしかに……」

 五十嵐さんは、指を立てる。

「いいか後藤、だから、自分が成長できる仕事で、そしてそれが顧客に役立つ仕事であれば、こんなに楽しいことはない。オレや後藤が選んだSEという仕事は、この2つを満たせる素晴らしい仕事だ」

「なんだか、すてきですね」

 春村さんが目を輝かせて言った。相変わらず少し眠そうだったけれど、楽しそうに聞いてくれている。

「五十嵐さんにとって、SEは天職なんですね」

「たぶんそうなんだろう。いくらお金を稼いだとしても、何歳になっても、SEという仕事を続けていきたいとは思う。だけど、スパッとやめたい、そう思うときもある」

イラスト:冬乃郁也
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「そうなんですか?」

 五十嵐さんがそんなこと言うなんて、ぼくには信じられなかった。

「だって、仕事ってしんどいじゃん。SEの仕事は、もちろん楽しいし、充実感や達成感もある。だけど、つらいことも多い。だから、後藤は成功した人をうらやましいと思うかもしれないけど、実際にやってみると、つらいだけかもしれない。誰もがうらやむような芸能人だって何人も自殺しているしな」

「テレビでタモリさんとか所ジョージさんを見ていると、楽しそうで、しかも楽そうに見えます」

 そう言ったぼくだったが、「勝手な想像ですが」と小声で付け加えた。

 春村さんが、「そういえば」と言って、読んだ本の話をしてくれた。

「私、広島カープとメジャーで大成功した黒田博樹選手のファンで、彼の著書を読んだんです。そしたら、『中学以来、野球を楽しいと思ったことは本当に一度もない』と書かれていてびっくりしました」

 五十嵐さんは、わかる、わかるとうなずく。

「超一流ともなると、練習が厳しいし、プレッシャーも厳しいということなのだろう。外から見るのと実情は違うってことか」

「成功した人ですし、華やかにしか見えませんけどね」

 春村さんの言う通り、憧れの世界の人だ。

「人生で悩まない人はいない。成功者だって、みんな、悩みがあり、もがきながら生きている」

 そう言って五十嵐さんは「おそらくタモリさんも」と付け加えた。

 他人の芝は青く見える。ぼくがうらやましいと思った同級生だって、本当に幸せかどうかはわからない。それに、同じ立場になったとしても、幸せかどうかは人による。

「わかってきました。自分が就いたSEという仕事を天職と思い、イキイキと仕事をしてみることが大事なんだと」

「後藤、お前、だいぶわかってきたみたいだな」

 五十嵐さんがうれしそうに言う。ぼくもうれしかった。

 自分が成長しているのを実感するとき、人間は幸せな気分になるらしい。

(つづく)

▼本連載は左門至峰氏の小説『ぼく、SEやめて転職したほうがいいですか?』(日経BP、2023年6月19日発行)を著者の許諾の下で転載しています。本文表記は原則、書籍発行時の記述をそのまま掲載しています。

日経クロステック 2023年8月25日付の記事を転載]