開発経済学者・山形辰史さんによるお薦めの本、第4回は、『電車は止まらない』(松本時代著)と『それ行け!! 珍バイク mini』(ハンス・ケンプ著)という2つの写真集です。目がくぎ付けになるような写真ばかりで、アジアの人々のエネルギーが伝わってきます。
移動手段は電車の屋根の上
言葉で説明されるより、写真で見た方が状況や雰囲気をつかみやすいということはよくあります。異国の様子などはその典型でしょう。そこで、発展途上国の一部分を捉えたユニークな写真集を紹介します。見る方によっては、「だから豊かになれないんだ」と批判的な感想を持たれるかもしれません。しかし私は、単純に「すごい」「現地で体験してみたい」「被写体の人と話してみたい」と思うばかりです。
1冊目は『 電車は止まらない 』(松本時代著/芸術新聞社)。舞台はバングラデシュですが、単なる電車の写真集ではありません。電車の屋根の上に乗って移動する“乗客”たちが主人公です。
この行為自体は、いかに現地の人口が多いか、そして厳しい状況に住んでいるかを象徴しています。もちろん危険な行為であり、転落死した人も少なからずいるようです。しかし見方を変えれば、危険を冒してでも移動したい、もしくは移動しなければならないというエネルギーに満ちているわけです。それに何より、楽しそうです。私もできることなら一度、体験してみたかった。高い場所から過ぎゆく景色を眺めたり、強い風を受けたりするのはさぞかし気持ちいいでしょう。
実はバングラデシュでは、2021年から日本の援助によって新たな鉄道が整備されるとともに、こうして屋根に乗る行為が禁止されました。つまり、今ではもうこの光景を見ることはできません。
しかしその直前、世界を放浪しながら被写体を追い続けていた写真家の松本時代さんが、1年半にわたって鉄道の屋根に乗りながら撮影したのがこの写真集です。今となっては、少し前のバングラデシュ人の旺盛なバイタリティーをうかがい知ることができる貴重な資料とも言えるでしょう。
なぜバイクでそれを運ぶのか
もう1冊は、ベトナムのホーチミン市を舞台にした『 それ行け!! 珍バイク mini 』(ハンス・ケンプ著/グラフィック社)。ベトナムが“バイク天国”であることは有名です。ホンダのスーパーカブのような原付きバイクが道路を埋め尽くし、歩道まで当たり前のように走っています。歩行者が道路を横断しようとしても、バイクは止まってくれません。歩行者の側が、バイクが避けて走ってくれることを信じて渡るしかないのです。
この写真集は、そんなバイク天国の一端を切り取っていますが、見る人の想像をはるかに超えてきます。とにかく、バイクで運んでいるモノ、積載量、運び方がすごいのです。
3人乗りや4人乗りは当たり前。今にも崩れそうな容器の山だったり、大量のブタやアヒルだったり、カーブの際には確実に邪魔になりそうな長い竿だったり。いずれも商材なのでしょうが、「どうしてそれをバイクで運ぼうと思ったのか」とツッコミを入れたくなるような、あるいはアートにさえ見えるような写真ばかりです。
もちろんそれぞれの運転手は、別に受けを狙っているわけではありません。日常生活の中で、必要に迫られバイクを駆使しているのでしょう。その姿にたくましさやいとおしさを感じるのは、私だけではないはずです。また俯瞰(ふかん)して見れば、経済成長を続けるベトナムの強さ・熱さを実感できると思います。
ちなみに私がかつて在籍していたアジア経済研究所では、アジア各国それぞれについて、代表的な業界や企業の研究をよく行っていました。例えば日本なら、主な研究対象は自動車産業や鉄鋼産業です。経営学や経済学の見地から、その競争力の源泉を探っていたわけです。
ベトナム研究の場合、その主な対象はバイク業界やバイクメーカーでした。ホンダのカブがなぜこれほど普及したのか、中国企業はどういう原付きバイクをいくらで売っているか、ベトナムのメーカーはどうか、といった具合です。ホーチミン市のバイク需要やバイク利用法の旺盛さを考えれば、これは当然かもしれません。
開発経済学の新しい「教科書」を目指して
最後に拙著の紹介を。2023年3月、私は『 入門 開発経済学 グローバルな貧困削減と途上国が起こすイノベーション 』(中公新書)を上梓しました。今まで開発経済学の教科書を編著や共著という形でいろいろ書いてきましたが、単著としてはこれが初めてです。
開発経済学の大きなテーマの一つは、先進国から発展途上国へ、いかに実効性のある支援を行うかです。それは、過去の支援にどれほどの効果があったかを正しく評価するということでもあります。その方法を巡ってさまざまな議論がありましたが、現在は2019年にノーベル経済学賞を受賞した開発経済学者エステル・デュフロとアビジット・V・バナジーによる「ランダム化比較試験」と呼ばれる手法などが主流になっています。
例えばある支援プロジェクトについて、単純に行った村と行わなかった村を比較するのは意味がないということが出発点で、それはそもそも村を取り巻く環境が違うからです。
そこで、統計的に環境の似通った村のサンプルを集め、その中からプロジェクトを実施した村と実施しなかった村を抽出して比較しようということが一つ。 また大量のサンプルを事後的に、プロジェクトを実施した村の住民と、実施されなかった村の住民にグループ分けし、両グループにどういう差が生じるかで効果を判断しようという方法もあります。いずれも統計学的な手法と言えるでしょう。
ただこれでは、村単位の小さなプロジェクトしか比較できません。「似通った国家」はなかなか存在しないため、国家単位の例えば為替政策や幹線道路の建設などの評価については不向きです。「ランダム化比較試験」は昨今の開発経済学の主流ですが、それだけですべての国際開発課題に対処できるとは思えません。
そこで本書では、こうした学問的な話も紹介しつつ、実務レベルの話を主眼にしました。特に後半、力を注いだのは中国による「対外援助」 です。昨今、その規模は極めて大きくなり、G7による総額と比べても決してひけをとらないほどです。
ところが、その実態はよく分かっていませんでした。近年、アメリカのウィリアム・アンド・メアリー大学のデータ収集によって、1万以上のプロジェクト情報が公開されたので、それまで断片的にしか報じられなかった中国の援助の特徴が、数量的に把握できるようになってきました。中国とOECD加盟国など従来の支援国との調整は、今後の大きな課題です。
そして最後に、日本のODA(政府開発援助)の問題点を挙げています。政府は2023年6月に「開発協力大綱」の改定を行いました(本書の刊行時点では改定作業中)。その内容を見ると、従来以上に経済安全保障の観点から国益重視が強調されています。果たして、それで本当に発展途上国、ひいては世界に資することができるのか、疑問を持たざるを得ません。
「入門」と銘打った以上、発展途上国の現状や支援のあり方、問題点などについて、幅広く扱っています。これまでご紹介してきた本についても、いくつか触れています。豊かな国に生まれ育った日本人として、なぜ途上国への支援が必要なのかを考えるきっかけにしていただければ幸いです。
取材・文/島田栄昭 取材・構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部)



