発展途上国や新興国のことを知るには、その国の人が書いた小説やノンフィクションを読んだ方がよい。開発経済学者・山形辰史さんのお薦め本、第3回は『アラーの神にもいわれはない』(アマドゥ・クルマ著)、『あたらしい名前』(ノヴァイオレット・ブラワヨ著)、『現代中国女工哀史』(レスリー・T・チャン著)の3冊です。
小説や映画に学ぶ
これからの世界経済の成長をけん引するのが、途上国・新興国であることは間違いありません。ビジネスチャンスを求める企業も多いと思います。もっとも一般の方にとって、これらの国々はあまりなじみがないかもしれません。
人口やGDP(国内総生産)などは、調べればすぐに分かります。しかし、どういう場所にどういう人々がどんな思いで暮らしているかは、数字では伝わってきません。人々の気持ちにできるだけ近づくには、小説や映画から学ぶのが手っ取り早い。それも西欧などの外国人が手がけたものではなく、その国の人が作った作品を選ぶことが望ましい。これは、私が途上国を研究する際に諸先輩から教わったことであり、今でも実践しています。途上国を描いた小説・ノンフィクションから3冊を紹介します。
西アフリカの少年兵の「強いられた早熟」
最初は『 アラーの神にもいわれはない ある西アフリカ少年兵の物語 』(アマドゥ・クルマ著/真島一郎訳/人文書院)。20世紀末に起きた西アフリカのリベリアとシエラレオネの内戦を舞台にした、限りなくノンフィクションに近い小説です。著者のアマドゥ・クルマはギニア生まれの作家で、2003年に76歳で亡くなりましたが、本書はその少し前に発表されました。主人公は少年兵。その少年の、いかにも少年らしい口調の一人語りで物語は展開します。
タイトルは少し奇妙ですが、その意味は冒頭に書かれています。
これにしよっと。『アラーの神さまだってこの世のことすべてに公平でいらっしゃるいわれはない』。ぼくのとんちき話の完全決定版タイトルは、こんなだよ。さあ、それじゃあ一発、ほら話をおっぱじめるとしようかな。
主人公が嘆いているように、少年を取り巻く環境は過酷そのものです。村に侵入してきたゲリラによって無理やり仲間に引き入れられ、薬物を投与され興奮状態になって戦闘に加わります。それが日常です。ここでは子供が子供のままでいることが許されず、大人の役割を期待されます。こうした「強いられた早熟」が、はた目には活力や元気の象徴のようにも見えてしまう。平和な日本から見れば想像を絶するような世界です。
アマドゥ・クルマがこの作品を書こうと思い立ったのは、東アフリカのジブチにある学校を訪ねた際、隣国のソマリアから逃れてきた多くの子供たちに出会ったからだそうです。彼らに祖国の内戦について書いてほしいと頼まれたものの、ソマリアのことは詳しくない。そこで、よく知っているリベリアとシエラレオネの内戦を取り上げたわけです。冒頭に「ジブチのこどもたちへ…きみたちの求めに応じてこの書物は記された」とあるのはそのためです。
また、物語とともに詳細な訳注が付いています。それから翻訳された真島一郎さんはもともと西アフリカ研究者なので、巻末の解説(訳者解題)も大変充実しています。これらを読むだけでも、著者がどのような思いでこの作品を書いたのか、また当時の内戦がどういう経緯をたどったのかがよく分かります。
ジンバブエの少女がアメリカで見た現実
2冊目は『 あたらしい名前 』(ノヴァイオレット・ブラワヨ著/谷崎由依訳/早川書房)。アフリカ南部の内陸国ジンバブエ出身、1981年生まれの女性作家ノヴァイオレット・ブラワヨのデビュー作です。
この作品も、11歳の少女の目線、少女の口調で書かれています。大きく前半と後半に分かれていて、前半で描かれるのはジンバブエのスラムでの厳しい暮らしぶりです。地域で暴動が起きたり、首都ハラレにある高級住宅地に果物のグァバを盗みに行ったり、大人たちが繰り広げる的外れな選挙運動やNGO(非政府組織)活動を笑ったり、エセ新興宗教の教祖によって友達の11歳の女の子が妊娠させられたり。
本書のタイトルは、この女の子の日に日に大きくなるおなかをなんとかしようと、主人公と友人たちが集まってアメリカのテレビドラマ「ER(緊急救命室)」のまねごとをすることに由来します。それぞれに医者を名乗り、その「あたらしい名前」で呼び合うわけです。大変危なっかしい場面ですが、要するに彼女たちには、現状を忘れさせてくれるような変身願望があったのでしょう。
後半になると一転、ある意味で願望がかなってアメリカに渡り、雪に覆われたデトロイトの叔母さんの元に身を寄せます。ところがアメリカも、彼女にとって理想郷ではありません。もがき苦しみながら生きる移民の姿を目の当たりにします。面白くない日々の中で、逃げてきたはずの故郷に帰りたい、自分はいったい何をやっているのかと悩むわけです。
しかし終始一貫しているのは、とにかく元気で明るいこと。なかなか悲惨な状況からは抜け出せませんが、いかにも子供らしく大人の社会を皮肉を込めて評論したり、絶妙な比喩を使ったり。だからけっこう笑える作品でもあります。
本書もフィクションで、主人公は著者より20歳近く年下です。しかし経歴は著者と似ているので、実体験を参照したことは間違いないでしょう。
中国の工場で働く若い女性のたくましさ
そして3冊目は『現代中国女工哀史』(レスリー・T・チャン著/栗原泉訳/白水社)。原題は「Factory Girls」。著者レスリー・T・チャンはアメリカ生まれ、アメリカ育ちの中国人女性ジャーナリスト。広東省の工業都市・東莞で、地方から出てきて縫製工場や電子製品工場などで働く10~20代の女性たちに取材したノンフィクションです。
彼女たちは、毎年2月の春節(いわゆる旧正月)のたびに工場との年間契約が切れます。そこでいったん故郷に帰り、春節開けにまた同じ工場で働くか、より良い条件を求めて違う工場と契約を結ぶかを決めます。雇用の流動性はかなり高くなっています。
ですから、著者が現地を訪れると、以前会えた子に会えたり会えなかったりします。会えなくなった子の行方を追ってみると、別の工場で働いていたり、独立して店を開いていたりしていました。
本書から伝わってくるのは、彼女たち一人一人のたくましさです。過酷な環境でありながら決して下を向かず、どうすればはい上がれるか、もっと良い暮らしができるかを模索し続けています。その観点から見ると、「女工哀史」というタイトルにはやや違和感があります。
取材を行ったのは2004年から2006年頃なので、現時点の中国とは状況が違うかもしれません。しかし、市井(しせい)の労働者のたくましさやしたたかさは、当時も今もさほど変わらない気がします。
本書にはもう一つ、大きな軸があります。著者自身のルーツをたどる旅の記録でもあることです。著者の両親は中国東北部の吉林省の出身で、国民党支持だったため、1949年の中華人民共和国成立に伴い台湾へ逃れ、その後アメリカに渡ります。だから著者は中国人でありながら、中国大陸のことをよく知りません。
そこで初めて吉林省に行き、親戚などを訪ね歩きながら、一族が経験した生々しい歴史を明らかにしていきます。その経緯は、中国の現代史そのものです。本書は、アメリカ人の視点を持ちながら、中国の歴史と現在の先端都市の様子を、あくまでも市井の人々に寄り添いながら浮き彫りにしていきます。特異なキャリアを持つ著者ならではの作品です。
以上の3冊に共通するのは、それぞれ必死に生きる人々のバイタリティーやダイナミズムです。いずれも日本では「過酷・悲惨」というイメージで語られることが多いテーマを扱っていますが、人々は決して悲嘆に暮れているわけではありません。むしろ笑い飛ばすような活力に満ちています。研究者ならずとも、大いに学ぶべき点があると思います。
取材・文/島田栄昭 取材・構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/小野さやか



