なぜ人間は合理的なつもりで、不合理になってしまうのでしょうか。米デューク大学のダン・アリエリー教授が、行動経済学をもとにその理由を分かりやすく解説した名著 『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』 (熊谷淳子訳/ハヤカワ・ノンフィクション文庫)を、慶応義塾大学大学院経営管理研究科の清水勝彦教授が読み解きます。 『ビジネスの名著を読む〔戦略・マーケティング編〕』 から抜粋。

人間の不合理性をよく知ることが重要

 『予想どおりに不合理』は米デューク大学のダン・アリエリー教授が行動経済学をもとに人間の行動に潜む不合理さに分かりやすく光をあてた1冊です。

 現実には「人間は不合理だ」と言っても驚く人はあまりいないでしょう。自分の会社を見れば、不合理、理不尽だと思われることはたくさんあるからです。しかし、経営や組織マネジメントを考えるということになると、急に「合理的」であることを前提に考えます。その最たるものが、従来の経済学の「人間の決断は全ての情報を勘案した上での合理的なものである」という仮定です。そもそも行動経済学が注目されるのは、いかにそうした仮定が現実と乖離(かいり)していたかの証拠かもしれません。

 なぜ、合理的なつもりで、不合理になってしまうのでしょうか。アリエリーはまず、我々の多くが「自分が下す決断も自分が進む人生の進路も、最終的に自分でコントロールしていると考える」と説明します。そう感じるのは「現実というより願望──自分をどんな人間だと思いたいか──によるところが大きい」と指摘します。つまり、目の錯覚のように「決断の錯覚」によって「自分がなんの力で動かされているかほとんどわかっていない」と結論づけるのです。

 実は「不合理」であることは必ずしも悪いことではありません。「合理的」であることは「確実なことしかやらない」につながり、効率ばかりを重視することになりがちです。合理的でないこと、例えば「リスクをかけて新しいことをやる」から楽しいのであり、「できないこと」を達成するから成長があるのです。

 その意味で、人間の不合理性をただ「悪」あるいは「未熟」として忌み嫌うのではなく、よりよく知ることが必要です。それは経営においても、マーケティングにおいても、あるいは個人の生き方においてもそうでしょう。人間は愚かである分、可能性にあふれてもいるのです。

人間の不合理性を忌み嫌うのではなく、よりよく知ることが必要(写真/shutterstock)
人間の不合理性を忌み嫌うのではなく、よりよく知ることが必要(写真/shutterstock)
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何万もの人が困っていたら、助けるか

 米国では心理学、行動経済学、経営学などの様々な分野で、人間の意思決定や行動に関わる「不合理」「非合理」の研究が進んでおり、ダン・アリエリーの『予想どおりに不合理』以外にも毎年読みやすい書籍が次々と出版されています。日本語に訳され、売れる本は限られているらしいですが、人間の面白さを知るのは何も小説だけではありません。もっとこうした本が訳され、読まれればよいと思います。

 様々な不合理については、次回以降も触れていきますが、今回は著者の続編 『不合理だからすべてがうまくいく 行動経済学で「人を動かす」』 (櫻井祐子訳/早川書房)にもある「感情と共感について」つまり「なぜ私たちは困っている1人は助けるのに、おおぜいを助けようとしないのか」という点を考えてみます。

 時々ニュースでも、例えば生まれながらにして重い疾患を患う○○ちゃんの米国での手術のために、いくらいくらが寄付として集まったというような話が報道されます。一方で、同じニュースで、アフリカで栄養失調の子供が何万人もいるといった話が出ますが、それに対して大金が集まったという話はあまり聞きません(実際にはいろいろな寄付活動が行われているとは思いますが)。

 こうしたことを言われると、改めて考えてしまう人は多いのではないでしょうか。そうした身近な例を指摘しながら、「1人の死は悲劇だ。しかし100万人の死は、統計上の数字にすぎない」というスターリンの言葉、さらには「顔のない集団を前にしても、私は行動を起こさないでしょう。1人ひとりが相手だからこそ、行動できるのです」というマザー・テレサの言葉をアリエリーは紹介しています。

 アリエリーはこれを「顔のある犠牲者効果」と呼び、実験でも「顔があるかないか」で、寄付金の集まり方が大きく差がついたという結果を示します。なぜでしょうか。

「顔のある犠牲者効果」の根本にあるもの

 この根本にあるのは「感情移入」です。つまり、より身近で親近感があるかどうか、ビビッドで心に訴えかけるかどうか、そして自分の行動が助けになるかどうか(逆に、おおぜいの時はあまり助けにならないため「焼け石に水」と思ってしまう)によって、行動が変わるのです。正しいかどうか、合理的かどうかとは関係なく。

 少し違いますが、今から約500年も昔にマキャベリは『政略論』で「人は大局の判断を迫られた場合は誤りを犯しやすいが、個々のこととなると、意外に正確な判断を下すものである」、したがって「大局的な事柄の判断を民衆に求める場合、総論を展開するのではなく、個々の身近な事柄に分解して説得すればよい」と指摘しています。

 これは主に「理解」の問題で、「感情移入」とはちょっと違うかもしれません。ただ、どんなに正しいこと、合理的なことを言っても、「分かってもらえなければ」「伝わらなければ」なんの意味もないということでは同じです。逆に言えば、メッセージは受け手の「想像力」を刺激することがなければ、人は動かないのです。どんなに理屈で正しくても、受け手に受け入れられなければ何も起こらないのです。「理屈では分かるけれど……」と相手に言われたら負けです。

 それは「感情では分からない」という拒絶の言葉だからです。

「合理性」だけを前提とする組織の末路

 政治家や経営者が「正論」を一生懸命説いているのに、なかなか国民に、地元民に、あるいは社員に分かってもらえないということがよくあります。だから国民は、社員は、意識が低いのだということはあるかもしれません。

 しかし、おそらくは、そうした「正論」には「顔」がないのです。それによって、何がどうなるか、自分たちの生活、会社、あるいは将来がどのようになるか「想像」がつかないから、動けないのです。数字で客観的な証拠があるとしても、感情移入できないのです。「正論」だけでは人は動かない、動けないのです。

 それは、おそらく「不合理的」でしょう。だから「合理的になれ」というのは、人が空を飛べないのに「飛べ」と言っていることと同じです。そうした「不合理」が人間にあること、あるいはそうした「不合理」があるからこそ人間であることを知って、それを「前提」とした施策をとることが上に立つ者の義務だろうと思います。

 人間は理性の生き物であると同時に感情の生き物です。それはプライベートであろうが、公の場であろうが変わりません。それを忘れて「合理性」だけを求めて、あるいは「合理性」だけを前提としたとき、組織は軋(きし)んでいくのです。「仕事がつまらない」という声は、実はそんなところから出ているのです。

『予想どおりに不合理』の名言
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