世の中には、「努力」し続けられる人と、そうでない人がいます。努力できる人は、目標に向かって着実に歩みを進め、大きなことを成し遂げることができます。一方、努力が苦手で何事も中途半端になってしまう人も少なくありません。努力できる人とできない人の差は、いったいどこにあるのでしょうか。この連載では、人間の行動と心理について長年研究し、行動経済学・ナッジを基に企業へのコンサルティングを行っている経済学者・山根承子さんが、「努力ができる人とできない人はなぜいるのか?」「努力をしておくといいのは本当か?」「正しい努力とは何か?」「どうすれば努力できるのか?」という観点から、「努力」を科学で解明します。今回のテーマは「ナッジ」。人間の意思決定や行動の特性を生かして、望ましい選択を促す方法を考えます。
「サボりたい」は人間本来の欲求か
前回と前々回、「努力を楽しむ」という話をしてきた。より高みを求めようとするのは人間の欲求であるような気もするが、「できる限りサボりたい」のも人間として当然の姿であるように思う。
努力することと何もしないこと、果たしてどちらが自然なことなのだろうか?
筆者が、大阪大学の大竹文雄教授、三菱UFJリサーチ&コンサルティングの小林庸平氏と共同で行った実験を紹介しよう(1)。
この実験は、45~55歳のミドル世代の投資の促進を目的としたものである。この年代は、就職氷河期の影響などで十分な資産形成ができていない人が多く、退職後の生活に向けて対策を講じていくことが急務となっている。そこで我々は、メールで投資を促進するメッセージを送り、実際の口座開設や積み立ての設定金額を測定することで各メッセージの効果を検証した。
用意したメッセージは全部で4種類あり、いずれも投資を始めるに当たってのステップを簡略化することに焦点を当てている。
1つ目は商品購入ページへのリンクが直接張られており、「購入手続き」が実際に簡略化されたものである。
2つ目は「まず始めるならこの投資信託で!」というメッセージとともに1つの商品が強調され、クリックするだけで購入手続きを進めることができるという、「商品選択」を簡略化したものである。
3つ目は「一度始めればあとはほったらかしでも!?」というメッセージで、「今後の行動」が簡略化されることを強調したものとなっている。
4つ目は「口座開設手続き」の簡単さをアピールしたもので、「オンライン3STEPで口座開設が可能」というメッセージが書かれている。
2 「まず始めるならこの投資信託で!」(商品選択の簡単さを強調)
3 「一度始めればあとはほったらかしでも!?」(今後の行動の簡単さを強調)
4 「オンライン3STEPで口座開設が可能」(口座開設手続きの簡単さを強調)
どのメッセージが最も効果的だっただろうか。
配信したメールに張られたリンクのクリック率も、2カ月後の積立設定額も、最も高かったのは「一度始めればあとはほったらかしでも!?」という3つ目のメッセージだった。
今始めれば今後はほったらかしでもいい、つまり、「今少しコストをかけて決めてしまえば、将来の努力から解放される」というメッセージが最も人を引き付けたのである。
「リンクをクリックするだけ」や「商品の選択で悩まなくていい」という短期的な行動の省略ではなく、「今後何もしなくてよい」という長期的な行動の省略が人を動かしたというのは、非常に面白い結果である。
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やっぱり人は、「できれば努力したくない」生き物?
この結果から考えると、人間はできることなら努力したくない生き物だといえるのかもしれない。もしそうであるならば、「楽にしてあげる」介入、つまり選択や行動にかかるコストを最小化してあげるような介入は、効果的に働く可能性がある。
この性質をうまく利用しているのが「デフォルト」を用いた「ナッジ」である。今回紹介した実験のように、選択の余地は残したまま、選択者自身にとって望ましい選択に誘導するという介入の仕方は「ナッジ」と呼ばれている。
ナッジは2017年にリチャード・セイラー教授がノーベル経済学賞を受賞して以降、政府や自治体・企業の取り組みとして注目を集めてきた。新型コロナウイルス感染症対策に関するニュースでも、「ナッジ」の文字を目にしたことがある人も多いだろう。
ナッジは人間の意思決定や行動の特性を生かしながら行動変容させることを目指す。これまで、人間の様々な性質がナッジに取り入れられてきているが、その中でも「初期設定(デフォルト)に従ってしまう」という性質を利用したデフォルト・ナッジは、多くの分野で効果を発揮している。
デフォルトに従うと、選択のコストを省略することができる。与えられた状態のまま過ごすことは、何の努力もしない状態ともいえ、どうやらこれは魅力的に映るようだ。
もしあなたが人を動かす立場であったり、制度や施策を作ったりする側であるのなら、「人はできれば努力したくない生き物」という特性は理解しておくほうがいいかもしれない。
政府や自治体、企業に「ナッジ」が注目されるわけ
セイラー教授がシェロモ・ベナルチ教授と共に発案した貯蓄プログラムSMarT(Save More Tomorrow)も、デフォルトを用いたナッジである。
SMarTでは、給料が上昇すると拠出率も同時に引き上げられる。別途手続きをすれば元の拠出率に戻すことも可能だが、ほとんどの人はわざわざその手続きをしないだろう。「勝手に拠出率が上がっていくというデフォルトに従った」結果、どんどん貯蓄ができていくというわけだ。
通常、デフォルトの力は貯蓄を妨げる。つまり、貯蓄プランに「加入しないまま」になっていたり、入社時に設定した「低い拠出率のまま」だったりする。
SMarTで多くの人が「わざわざ手続きをして拠出率を下げる」ことをしなかったように、「わざわざ手続きをして拠出率を引き上げる」人は多くないのである。SMarTではこの「努力しない」性質を逆手に取って、貯蓄という望ましい状態に「ナッジ」している。
デフォルトの効果は強大で、現在、アメリカでは多くの退職貯蓄プランがSMarT方式を採用している。
他にも、ボツワナではかつて、妊婦検診におけるHIV検査は希望者が追加できるオプションだった。それを「希望者は外すことができる」という設計に変えたところ、HIV検査の受診率はわずか1年で64%から83%に増加した。デフォルトを「HIV検査を受けない」から「HIV検査を受ける」に変更したことで、これだけの変化があったのである。
ジンバブエでも同様の変更が行われ、受診率は65%から99%に増加した。これらの結果を受けて、国連合同エイズ計画(UNAIDS)とWHOは2004年に、AIDSがまん延している国ではHIV検査をデフォルトにすることを推奨している。
所得の低い人の貯金額を、強制せずに増やすことはできるのか?
「努力しなくてもいい」「そのままでいい」というささやきに身を委ねてしまう性質を利用したデフォルト・ナッジだが、実は効きやすい人とそうでない人がいることが分かっている。
いくつかの確定拠出年金(401k)の研究で明らかになっているのは、「所得の低い人ほどデフォルトに従いがち」という結果だ。
この結果が生まれる理由は2つ考えられる。1つは、所得の低い人ほど「デフォルトを変更しないという特性を持っている」という可能性だ。もう1つは、デフォルトの拠出率が、彼らがもともと設定しようと思っていた拠出率に近く、「わざわざ変更する必要がない」という可能性だ。
もし前者であるならば、デフォルトの拠出率を高くしていけば、素直な彼らはもっと貯蓄していくことができる。しかし後者であるならば、デフォルトを上昇させても「高過ぎるのでやめよう」と拠出率を変更する人が増えるだけで、貯蓄の増加にはつながらない。貯蓄を促す施策を行うためには、原因がどちらであるのかを確認する必要がある。
大企業10社のデータを用いてこれを検証した研究(2)の結果は、「所得の低い人はデフォルトに従いやすい特性を持つ」ことを示している。
また、この研究で対象とした会社のうちの2社では、調査期間中にデフォルトの拠出率が変更された。このタイミングで社員がどのように振る舞ったかを確認すると、所得の低い人は新しいデフォルトに従って拠出率を上げていた。つまり、デフォルトに従う傾向が強かった。
この連載で何度か見てきたように、努力が得意な人と不得意な人という個人差は存在する。今回の結果も、「努力をサボりがちな人の特性」をあぶり出したといえるだろう。
「努力が苦手」という自覚のある人は、自分がデフォルト・ナッジの効果を受けやすいことを肝に銘じておくべきだ。デフォルトに従うことは、本当にあなたにとって「最もいい選択」になっているだろうか? 用意されたデフォルトに流されることなく、一度立ち止まって考えてみてほしい。
デフォルトを用いたナッジは、「努力したくない」という気持ちをくすぐるため、非常に大きな効果を持っている。
人が「努力をしたくない」と思っている場面に適切なデフォルトを設けてあげると、それは特に高く評価されるだろう。努力したくないと思うところや、努力を続けることが難しい場面で「そっと後押しする」のがうれしいナッジであり、いいナッジと受け入れられるものになるはずだ。
(1)小林庸平(2022)「ミドル世代の資産形成を促進するナッジメッセージ-実証実験を踏まえた検証-」、「すべての人に世界の成長を届ける研究会」2021報告書「2041年、資産形成をすべての人に けん引役は団塊ジュニア世代~8つのActionsと12のアイデア~」
(2) Beshears, J. J., Choi, J., Laibson, D., Madrian, B. C. and Wang, S. (2016) "Who Is Easier to Nudge?" NBER Working Paper.
- 人は「努力しなくてもいい」「そのままでいい」という甘いささやきに流されやすいもの。まずはその自覚を持つこと。
- 人が持つ「できればサボりたい」欲求をうまく生かせば、努力を最低限に抑えて成果を得られる。
- 政府や自治体、企業が「ナッジ」に注目するのは、強制ともいえないちょっとした介入だけで、人々の「望ましい選択」を促すことができるから。
「今度こそ、頑張ろう!」と決意したはずなのに、いつの間にか忘れてしまっていた…そんなことはありませんか? 実は、努力は行動経済学や心理学の観点から捉え直すことで、才能や性格に関係なく、仕組み化することができます。「英語などの勉強で成果を出したい」「資格を取得したい」「子どもに勉強をさせたい」「部下を頑張らせたい」「ダイエット・運動を頑張りたい」「健康的な食事を続けたい」「5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)を徹底したい」「夏休みの宿題を計画的に終わらせたい」…。本書はこのような悩みに効果を発揮する1冊です。
山根承子著/日経BP/1870円(税込み)

