日経BPの技術系メディアの編集長らが選定した、注目すべき技術100件を解説する『日経テクノロジー展望2025 世界を変える100の技術』が発刊。ビジネスパーソン約600人の協力の下、「2030年において重要度が高い」技術のランキングなども掲載している。本コラムでは「日経トレンディ」の澤原昇編集長が「もっと知りたい!」と注目する技術について、記事を執筆した専門記者に話を聞く。「技術の解説? 難しそう…」と尻込みせず、ぜひご一読を。最先端の技術解説も、きっかけは記者の好奇心だったり、日頃の疑問だったり。「100の技術」を身近に感じていただければうれしい。第3回は「火星衛星探査」について。

「月面」から「火星」へ

澤原昇(以下、澤原):『世界を変える100の技術』で取り上げた技術について聞く連載の3回目。これまでの2回では「2030年のテクノロジー期待度ランキング」の1位「完全自動運転」と2位「介護ロボット」を取り上げましたが、今回の「火星衛星探査」はトップ30には入っていません。

内田泰(以下、内田):セレクトいただいて光栄ですが、ラインアップ的に大丈夫ですか(笑)。

澤原:宇宙開発は様々な技術の粋を集めて挑むプロジェクトですから、注目すべきテーマです。そして私は宇宙マンガが大好きで、『100の技術』の目次で「火星衛星探査」というフレーズを目にして、これはぜひ!と心に決めていました(笑)。

 「月に続く新たなフロンティアとなる火星圏を目指す壮大な宇宙探査プロジェクトの計画が始まっている。宇宙航空研究開発機構(JAXA)は2026年度に、火星衛星軌道に向けて衛星探査機を打ち上げる。堆積物や岩石といったサンプルを採取し、地球に持ち帰って分析することで、火星の起源や生命誕生の可能性を解明できる可能性がある」

火星衛星探査ミッション「MMX」のイメージ。火星から高度約6000キロの軌道を周回する衛星「フォボス」に探査機を着陸させ、サンプルを採取する。奥に見えるのは火星(出所:JAXA)
火星衛星探査ミッション「MMX」のイメージ。火星から高度約6000キロの軌道を周回する衛星「フォボス」に探査機を着陸させ、サンプルを採取する。奥に見えるのは火星(出所:JAXA)

 …記事冒頭を読んだだけでワクワクします。が、まずは予備知識のない方にも分かりやすいように、宇宙開発の最近の動向を教えていただけますか。

内田:日本の宇宙開発で最近ホットな話題といえば「月面」、JAXAの「SLIM(Smart Lander for Investigating Moon=スリム)プロジェクト」ですね。小型月着陸実証機SLIMが2023年9月に種子島宇宙センターからH-IIAロケットで打ち上げられたり、2024年1月に日本で初めて月面軟着陸に成功したときのニュースをご記憶の方もいらっしゃるでしょう。SLIMは、月の狙った場所への「ピンポイント着陸」という世界初となるミッションを背負って飛び立ち、成功させました。

 目標点からの誤差±10メートル以下の位置への着陸には「画像照合航法」が力を発揮しました。探査機の航法カメラで地面を撮影し、あらかじめ撮影しておいた画像と情報を照合して正確な位置を割り出すという方法ですが、これは火星の衛星フォボスに着陸する探査ミッションでも使われます。

澤原:月でのミッションは火星につながっているんですね。「ピンポイント着陸」の技術はどんなメリットをもたらすのでしょう。

内田:月の周囲には日本の「かぐや」をはじめ、たくさんの周回衛星があって月面の情報を収集しています。例えば将来、月面に基地をつくろうとする場合、収集した情報を基に好適な建設場所をセレクトしたとして、その近くに着陸ができなかったら、月面で資材を長距離移送したりしなければなりません。狙い通りの位置に着陸できる技術があれば、運搬用の機材や燃料を必要とせず、トラブル発生のリスクを減らすことができます。基地建設はまだずっと先の話ですが、例えば「あのクレーター付近の岩石を調べたい」という場合も、やはりピンポイントで着陸できるメリットは大きい。

内田泰(うちだ・やすし)日経クロステック&日経エレクトロニクス編集委員/1990年、日経BP に入社。日経マテリアル、日経パソコン、日経エレクトロニクス、日経電子版などで記者・副編集長を務める。日経クロステックは2018年2月の創刊時から担当し、現在に至る。2001~2003年まで約2年間、米シリコンバレー支局に駐在。現在はドローンや空飛ぶ車、協働ロボット、宇宙、AI 活用、スポーツテックなど主に新規事業領域の取材・執筆に力を入れている。著書に『無人防衛~ディフェンステクノロジーの最前線』(日経BP)がある(写真:尾関祐治)
内田泰(うちだ・やすし)日経クロステック&日経エレクトロニクス編集委員/1990年、日経BP に入社。日経マテリアル、日経パソコン、日経エレクトロニクス、日経電子版などで記者・副編集長を務める。日経クロステックは2018年2月の創刊時から担当し、現在に至る。2001~2003年まで約2年間、米シリコンバレー支局に駐在。現在はドローンや空飛ぶ車、協働ロボット、宇宙、AI 活用、スポーツテックなど主に新規事業領域の取材・執筆に力を入れている。著書に『無人防衛~ディフェンステクノロジーの最前線』(日経BP)がある(写真:尾関祐治)

挑戦を続ける先に

澤原:JAXAでは「はやぶさ2」が小惑星リュウグウに着陸し、サンプルを取得して地球に帰還するというプロジェクトを2020年に成功させていますが、月面への着陸にもその技術が生かされているのですか?

内田:もちろん基本的な技術は過去の積み重ねから様々な要素が生かされていますが、リュウグウと月では環境が異なるので当然、アプローチの方法にもいろいろな違いが出ます。例えばリュウグウへの着陸では、やり直しの可能性なども織り込んだ計画でしたが、比して重力が大きい月ではエンジンを逆噴射したりしながらの制御が必要になり、必要な燃料も多くなる。といって大量の燃料を積む余裕はないので、一発で決める必要があるチャレンジでした。

澤原:着陸位置の特定や重力環境などなど、複雑多様な制約要件の中で綿密な計画を立てての取り組みなのですね。では改めて、火星衛星探査はどんなミッションになるのでしょう?

澤原昇(さわはら・のぼる)日経トレンディ編集長/1984年生まれ、おばあちゃんの原宿こと巣鴨出身。モノ雑誌の編集者、書籍編集者を経て、「日経トレンディ」編集部に在籍。家電や日用品などのモノ系から副業、株などのマネー系、はたまた書籍時代は健康本など幅広いジャンルを担当。「仕事と思えばなんでもできる」というポリシーのもと、突撃取材から徹底テスト記事まで体当たりでこなす。プライベートではひたすら漫画を読むだけの人。2022年1月から現職(写真:尾関祐治)
澤原昇(さわはら・のぼる)日経トレンディ編集長/1984年生まれ、おばあちゃんの原宿こと巣鴨出身。モノ雑誌の編集者、書籍編集者を経て、「日経トレンディ」編集部に在籍。家電や日用品などのモノ系から副業、株などのマネー系、はたまた書籍時代は健康本など幅広いジャンルを担当。「仕事と思えばなんでもできる」というポリシーのもと、突撃取材から徹底テスト記事まで体当たりでこなす。プライベートではひたすら漫画を読むだけの人。2022年1月から現職(写真:尾関祐治)

内田:2026年の探査機打ち上げを目指して準備が進められている「MMX(Martian Moons eXploration)」は、世界で初めて火星の衛星からサンプルを持ち帰るというミッションです。H3ロケットで探査機を打ち上げた後、1年弱をかけて2027年夏ごろに火星周回軌道へ到達。まず火星の衛星フォボスを1年ほど詳細に観測します。その後、ローバーを降ろしてフォボスの表面特性などを計測したうえで着陸し、サンプルを採取します。フォボスから離陸した後に衛星ダイモスを観測して火星圏を離脱。また1年弱をかけて2031年度に地球へ帰還します。サンプルを収納したカプセルは分離され、それをオーストラリアで回収します。

MMX探査機がフォボスを観測している様子。現在、画像照合航法に使えるような高解像度のフォボス表面の画像は存在しない。MMXでは約1年をかけてフォボスをリモート観測し、安全な着陸に必要な情報を取得する(出所:JAXA)
MMX探査機がフォボスを観測している様子。現在、画像照合航法に使えるような高解像度のフォボス表面の画像は存在しない。MMXでは約1年をかけてフォボスをリモート観測し、安全な着陸に必要な情報を取得する(出所:JAXA)

澤原:5年にわたるプロジェクト、様々な困難がありそうです。

託し託されながら

内田:まず火星圏までは月の数百倍の距離があります。地球から月までの平均距離が約38万4400キロに比して、火星までの距離は最接近時でも6000万キロ弱。これだけの距離を往復するだけでも大変なミッションです。

(写真:Anterovium/stock.adobe.com)
(写真:Anterovium/stock.adobe.com)

 探査機は往路用、復路用、探査用の3つのモジュールで構成されています。まず火星圏に入ったら、往路モジュールを切り離します。周回軌道から観測などを行った後、フォボスに着陸したら、探査モジュールのロボットアームでサンプルを採取。フォボスを離脱した後、探査モジュールのロボットアームから復路モジュールのカプセルにサンプルを移動します。そして、火星周回軌道から離脱する前に探査モジュールを切り離し、復路モジュールのみが地球に帰還します。

澤原:3つのモジュールが後を託し託されながらミッションを遂行するわけですね。

内田:ミッションには多量の燃料が必要で、探査機の打ち上げ質量約4200キロのうち、3分の2は燃料が占めます。使命を全うしたモジュールを切り離していくことで燃料の消費を抑えることができます。

澤原:重力環境も地球や月とはまた異なりますよね。

内田:火星の重力は地球の約3分の1で、それにアジャストして周回軌道に入ったり離脱したりする必要があります。また、着陸するフォボスの重力は地球の約1000分の1で、着地時のスピードが速すぎると地面から跳ね上がってしまうので、超低速で降下できるよう制御する必要がある。そして、通信に片道20分ほどかかります。つまり地上で見ている映像は20分前のものですから、地上から即座のトラブル対応はできません。探査機にはできる限りの自律性が求められます。

(写真:尾関祐治)
(写真:尾関祐治)

澤原:改めて壮大なプロジェクトですね。

平和な火星を目指して

澤原:火星衛星探査を第一歩として、その先には、人類が火星で生活することが想定されているわけですよね。

内田:ずっとずっと先のことになりますが、その可能性を探る取り組みであることは確かです。

澤原:地球より太陽に近い水星や金星は超高温で、火星より外側の木星や土星は超低温。火星も非常に厳しい環境ながら、大気があり、地球の3分の1ほどの重力がある。人類移住の可能性がある唯一の惑星ともいえる。

内田:火星探査の歴史は古く、1971年に旧ソ連の探査船が初めて火星に着陸。1976年には米国の探査船が着陸して様々なデータの測定や探査を行いました。その後も米国や欧州の探査船が水の痕跡を発見したり、地下に水があることを発見したり。そうした知見の重なりの先の新たな取り組みの1つとして、今回のMMXもあるわけです。

澤原:一足飛びの気の早い話になりますが、もし人類が住めるようになったとして、土地の使用権とか所有権とかはどうなるのでしょう?

内田:一気にたくさんの人が住めるようになるわけではなく、まず生活できる空間を確保して、火星の地下にある水を利用できるようにして、自給自足できるようにして…と、あらかじめ綿密に計画された手順で慎重に準備を進めていくことになるでしょう。

 準備段階で万一にも現地でトラブルが起きないように権利関係などはあらかじめ整備されるはずですが、例えば、水利用の権利は誰にあるのか? 最初に発見した国? 利用可能にした国?などなど、様々な駆け引きが生じる可能性はありますね。

(写真:尾関祐治)
(写真:尾関祐治)

民間企業がゴミ収集まで

澤原:宇宙での争いはマンガだけにしてほしいですね…。

内田:宇宙の利用や権利関係についての取り決めとしては1967年に発効した「月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用における国家活動を律する原則に関する条約」、通称「宇宙条約」があります。ここでは天体を含む宇宙空間の探査・利用について一定条件の下、自由に行うことができると定める一方、国家による領有権の主張や天体における一切の軍事利用を禁止しています。

澤原:第2次大戦後の米ソ冷戦時代、有人衛星の打ち上げや月面への着陸を競っていたことが背景にあるのでしょうね。

内田:宇宙の軍事利用に歯止めをかける国際的な取り決めができたことは大きな意義がありますが、例えば各国の領空と宇宙空間の境界や国家以外の領有権、宇宙資源のビジネス利用などについて明確な規定がなく、解釈の違いによる争いが発生する可能性を完全に封じることはできていません。

澤原:宇宙開発のスタイルも以前とは変わっているのでは?

内田:例えば現在、米国の航空宇宙局(NASA)が主導している「アルテミス計画」は有人の月面着陸プロジェクトですが、世界各国の宇宙開発機関も参加していて、JAXAもその一員。計画では日本人宇宙飛行士も月面着陸に参加する予定です。また米国内外の民間宇宙事業会社も参加しており、月着陸船の開発・運用はスペースXなどが担当しています。

澤原:民間企業が宇宙開発の主役になっていくのでしょうか。

内田:国の支援を受けたり連携したりしながら、民間企業が活躍の場を広げていくのは間違いないでしょう。日本にも世界をリードする技術力を持つベンチャー企業がいくつも育っていますし、すでに米国のスペースXは宇宙との行き来に関して大きな存在感を示しています。

 その一方で、今年6月に月の裏側から初めてサンプルを持ち帰ることに成功した中国やロシア、インドなどの取り組みからは国家的な野心が見て取れます。

 こうして開発のスタイルは多様化していくとして、その範囲は「月で完了」とはならない。アルテミス計画の長期的な目標は有人火星探査にあり、その前段階として月面での持続的な駐留などを実現しようとしています。

澤原:平和的な活用がどんどん進むことは素晴らしいと思うのですが、ひとつ気になっているのは、宇宙のゴミのことで…。

内田:いわゆる宇宙デブリですね。内閣府によると2022年に世界で打ち上げられた人工衛星の数は2368機。近年、急激に増加しており、累計では1万3000機以上。様々な役割を担っていて、例えば地球観測衛星は気象予報に、航行衛星はスマホのGPS機能に。企業単位でも、例えばユニリーバは自社で利用するパーム油のサプライチェーンにおける森林伐採を未然に防ぐために宇宙から監視する体制を取っていますし、石油タンクの浮き蓋の高さを宇宙から観測して貯蔵量を推定し、景気動向を分析したりするところなども。

 こうして広範囲で活躍する人工衛星も時を経てその役目を終えることになりますが、宇宙空間での回収は難しい。そんな中で、同じミッションを引き継ぐための衛星や新たなミッションを担う衛星が打ち上げられ続けており、またロケットの残骸なども含め、デブリは増加する一方。JAXAによれば、宇宙空間に存在する大きさ10センチ以上のゴミは約2万個で、小さいものを合わせると1億個以上。スペースXのスターリンク衛星が、他の衛星やデブリとの衝突を回避する行動は、昨年は10分間に1回だったのが、今は5分間に1回となっているそうです。

澤原:私の好きな宇宙マンガに『プラネテス』という作品がありまして、これは2070年代、人間が地球圏を月面にまで押し広げた頃という設定で、主人公が宇宙デブリの回収船に乗っているんです。宇宙デブリの回収、とても重要なミッションだと思うのですが、現実はどのような状況でしょうか。

内田:この分野で世界のトップを走っているのは日本発のベンチャー、アストロスケールです。今年2月に開始した実証衛星「ADRAS-J(Active Debris Removal by Astroscale-Japan=アドラスジェイ)」では観測対象のデブリと一定の距離を保ちながら周りを飛行するなど高度な技術を実証、着実な成果を上げています。デブリ除去のミッションは早ければ2025年度に始まります。同社の提携先は日本のJAXAのみならず、英国宇宙庁(UKSA)など多岐にわたっています。

澤原:地上では各地で争いが起き続けていますが、宇宙では国の単位を超えて活用が平和的に進む、そんな動きが広がっていってほしいなと思います。

(写真:尾関祐治)
(写真:尾関祐治)

(構成:坂巻正伸=日経BOOKプラス編集部)

日経の専門誌編集長やラボ所長が「世界を変えていく技術」を100件選び、分かりやすく解説。例えば、完全自動運転、介護ロボット、産業メタバース、AIエージェント、火星衛星探査、ペロブスカイト太陽電池、海洋デジタルツイン、ギガキャスト、ダイヤモンド半導体、代理親魚技法、ドローン医薬品配送…。「5年後」に備えて、ぜひご一読を。ビジネスパーソン600人が選ぶ「2030年のテクノロジー期待度ランキング」も掲載。

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