親から殴られたことはない。愛情ももらった。それでも、「何かがおかしい」と親子関係に違和感や悩みを抱くことはありませんか。必要なのは、親子関係があなたの心に与えている影響に自覚的になることです。現実の親子関係を変える必要はありません。『毒親グレーゾーン 親の目から自由になれない大人への処方せん』(鈴木裕介著/日経プレミアシリーズ)から抜粋・再構成して、その具体的な方法をお伝えします。第2回は、「親の影響が大人になっても残り続ける理由」についてです。

感情は、過去学習の予測の結晶である

 ここで、感情に関する興味深い理論を一つ紹介しよう。

 私たちは、恐怖という感情がまず存在し、その結果として心拍が速くなったり、身体が震えたりすると考えがちである。しかし、感情と身体の関係は、そこまで一方向ではない。

 心理学者で神経科学者のリサ・フェルドマン・バレットは、感情を、あらかじめ脳内に用意された固定的な反応としてではなく、脳が身体と状況に意味を与えることで構成するものと考えた。これを「構成主義的感情理論」という(*1)。

 脳は、心拍、呼吸、筋肉の緊張、胃腸の動き、体温など、身体内部から届く信号(内受容感覚)を受け取り、その情報をヒントにこれまでの記憶をたどりながら、次に身体へ何が起きるか、それが何を意味するかを絶えず予測している。

 たとえば、胸が高鳴り、手に汗をかいているとする。大切な試合の前なら、それを「興奮」と感じるかもしれない。人前で失敗した経験が多ければ、「不安」と感じるかもしれない。怒鳴る親を待っていた子ども時代の状況に似ていれば、「恐怖」として経験されるかもしれない。

 同じ種類の身体反応であっても、そのときに思い出される過去の経験と現在の文脈によって、予測的に構成される感情は変わりうるのである。

 身体からくる信号、目の前の状況、過去に学習した概念を脳が組み合わせ、「これは今、何が起きている状態なのか」と予測したものが、私たちの感情になる。当然、トラウマに関連する記憶や予測が関与すれば、身体反応は増幅され強い脅威として意味づけられやすくなる。

 たとえば、通常であれば「5」くらいの恐怖として収まるはずの身体反応が、過去の危険予測と結びつくことで、体感としては「100」くらいの恐怖のように感じられることがある。これは実際に恐怖を数値化できるという意味ではなくて、現在の身体反応に、過去の危険の記憶や予測が重なり、感情の強さが大きく見積もられてしまう、という比喩である。

 このように考えると、トラウマに伴う感情調整の難しさは、決して「気にしすぎ」や「大げさな反応」ではなく、身体反応と過去の記憶、現在の状況が結びついて、脳が強い危険を予測している状態として理解できる。

*1 Barrett, L. F. (2017) The theory of constructed emotion: An active inference account of interoception and categorization. Social Cognitive and Affective Neuroscience, 12(1), 1-23.

トラウマに伴う感情調整の難しさは、決して「気にしすぎ」や「大げさな反応」ではない(写真:aijiro/stock.adobe.com)
トラウマに伴う感情調整の難しさは、決して「気にしすぎ」や「大げさな反応」ではない(写真:aijiro/stock.adobe.com)
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予測と現実の違いに着目する

 予測しにくい親のもとで育った子どもは、危険の前触れを早く見つける必要がある。親の怒りが、強い足音や乱暴なドアの閉め方、短い返事、ため息、食器の大きな音などの前触れを伴っていたなら、子どもの脳と身体は、そうした小さな変化に敏感になる必要がある。

 危険がはっきりしてからでは遅いため、できるだけ早く親の状態を読み取り、自分の行動を修正しようとするのである。

 その結果、わずかな声色の変化だけでも心拍が上がり、呼吸が浅くなり、筋肉が緊張する。身体は、次に起こるかもしれない危険へ先回りして備える。

 大人になってからも、似た刺激に触れると、この予測が働くことがある。

 上司の返事が短い、パートナーが黙り込む、電話の相手が少し強い口調になる。現在の相手が実際に怒っているとは限らないが、過去の身体が覚えた学習に基づき、さまざまな緊張が生じる。

 その身体反応と、目の前の状況と過去の経験をもとに解釈し、「親が怒り出す前と同じだ」「自分が何か失敗したに違いない」といった予測が立ち上がり、その状況が「親のような相手への恐怖」として経験されると考えることができる。

 また、身体反応が過去の予測に基づくからといって、本人の恐怖が偽物になるわけではない。身体と脳は、過去に危険が繰り返されたからこそ、現在のわずかな手がかりから、最も起こりそうな未来を予測している。

 複雑な心の働きの一つを説明しているものにすぎないが、それでもこのメカニズムを知ることは有用である。大きく心が揺れたと感じたときに、感情の根拠とされる身体反応を特定し、さまざまなアプローチを試みることができるからである。

 胸のあたりがざわざわし、身体が「昔と同じ危険だ」と予測していても、呼吸や日光浴・イメージワークなどさまざまな介入によって、身体感覚が変容すれば、予測と観測結果が異なることになり、その感情はもはや長続きしない。

 「身体は、過去の経験から危険を予測している。では、現在の状況も本当に同じなのか」、そう問いながら、予測と現実の違いに着目することで、感情に飲み込まれるリスクを減らすことはできる。

親から殴られたことはない。愛情ももらった。それでも「何かがおかしい」と違和感や悩みを抱くなら、それは「毒親グレーゾーン」かもしれない。親を裁くのではなく、親子関係が心に与えた影響と悩みの仕組みをひもとき、自分を取り戻すヒントを得られる一冊です。

鈴木裕介著/日本経済新聞出版/990円(税込み)