「経営戦略」と聞くと、自分には関係ない、難しそうと思うかもしれません。しかし、経営戦略は私たちの日常にも深く関わっており、知らず知らずのうちに触れているものです。『経営戦略がわかる』(内田大輔著/日経文庫)は、身近な企業の例を挙げながら、経営戦略の基本を分かりやすく解説しています。そんな本書から「企業の成長に欠かせない『6つの経済性』」について抜粋・再構成してご紹介します。前回はそのうち「規模」「密度」「ネットワーク」の経済性を説明しましたが、今回は残りの「深さ」「組織」「範囲」の経済性を取り上げます。

「本質的に大切なこと」に注目

 深さの経済性とは、事業活動を通じた経営資源の蓄積から生じる経済性のことです。

 これはビジネスの経験を積む中で、そのビジネスに関わる知識やノウハウ、ブランド、ケイパビリティといった経営資源が社内に蓄積されるために生じます。深さの経済性は、生産・販売の拡大に伴う経時的な経営資源の蓄積に注目している点で、一時点の生産・販売の多寡に注目する規模の経済性とは異なります。

 たとえば、新商品の生産を始める工場では当初、従業員が業務にあまり慣れていないために組み立てに時間がかかったり、完成品の品質にばらつきがあったりします。しかし、通常、業務の経験を積んでいくにつれ、従業員が業務のコツをつかんだり、その商品の生産に適するように設備が改良されたりするために、組み立て時間が短くなるだけでなく完成品の品質も上がり、効率性は向上していきます。

 このような累積生産・販売量の増加に伴う効率性の向上、特に単位あたりコストが減少する現象は経験効果として知られ、製造業からサービス業までさまざまな業界で確認されています。

 経験効果は、縦軸に単位あたりコスト、横軸に累積生産・販売量をとって図示すると、図1のような曲線になるため、経験曲線効果と呼ばれることもあります。

図1 経験曲線効果
(出所)日経文庫『経営戦略がわかる』
(出所)日経文庫『経営戦略がわかる』
画像のクリックで拡大表示

 ただし、深さの経済性においては累積生産・販売量そのものが本質的に大切というわけではありません。

 それよりも大切なのは、生産・販売の拡大に伴い社内に蓄積される経営資源になります。ある事業において累積生産・販売量が増えて、より多くの経験から組織として学習することで、企業はその経営資源を深化させていくことができます。

 深さの経済性は、このようにして深化した経営資源が企業の変換プロセスのコスト効率性のみならず価値効率性も高めていく現象に注目しているのです。

 そして、ある事業での経験を通じて蓄積された経営資源はその事業において活用されるだけでなく、関連する別の事業に転用されることで事業領域の拡大につながることもあります。図2の商品Aの工程bの事業を手掛けている企業は、その事業での経験を通じて経営資源を蓄積することができます。

図2 経営資源の深化と転用
(注)伊丹敬之・軽部大(2004)「第9章 企業成長の4つの経済:規模、深さ、範囲、組織」 伊丹敬之、軽部大(編著)『見えざる資産の戦略と論理』 日本経済新聞出版を基に筆者作成<br>(出所)日経文庫『経営戦略がわかる』
(注)伊丹敬之・軽部大(2004)「第9章 企業成長の4つの経済:規模、深さ、範囲、組織」 伊丹敬之、軽部大(編著)『見えざる資産の戦略と論理』 日本経済新聞出版を基に筆者作成
(出所)日経文庫『経営戦略がわかる』
画像のクリックで拡大表示

 この蓄積はその事業のための経営資源を深化させるだけでなく、商品Aの工程aや工程cといった隣接する工程に転用することができたり、商品Bといった異なる商品に転用することができたりするのです。こうした経営資源の転用に注目しているのが組織の経済性と範囲の経済性になります。

アップルが半導体を自社で設計・開発する理由

 組織の経済性とは、ある商品を開発・生産・販売するための互いにつながり合った2つ以上の工程を異なる企業で分担するのではなく、1つの企業がまとめて手掛けることによって実現される経済性です。

 これはつながり合う工程間で経営資源を共有できたり、その工程を外部に任せることで生じる面倒をなくせたりするために生じます。

 ある事業において経験を積む中で、それと隣接する工程に関わる知識やノウハウなどの経営資源が蓄積されていきます。こうした経営資源は、その隣接する工程を内部で手掛ければ事業間で共有できるようになり、各事業の効率性の向上につながります。

 また、隣接する工程をいつも簡単に他社に任せられるわけではありません。希望する条件で任せられる企業を見つけられないかもしれませんし、たとえ任せられそうな企業を見つけることができても、交渉し契約を結ぶためには手間がかかったり、その契約が正しく履行されるように相手を監視する労力がかかったりします。このように、取引を通じて他社に業務を任せるときに生じるさまざまな面倒は取引コストと呼ばれます。

 取引コストが大きいとき、その工程を外部に任せるのではなく内部で手掛けるようにすれば、取引コストの削減を通じて効率性を高めることができます。ただし、内部化に伴い生じる管理コストがそれによる効率性の向上を上回ってしまえば、全体としてコストは増えてしまいます。そのため、取引コストは内部化に伴い生じる管理コストと比較して考えなければなりません。

 たとえば、アップルは2020年から、それまでインテルから調達していた「Mac」用の半導体を自社で設計・開発した「APPLEシリコン」に切り替えています。生産は他社に委託しつつも、自社で設計・開発することで、1台あたりの半導体コストを抑えられるだけでなく、「iPhone」や「iPad」と共通の仕様で設計されたMacに最適な半導体を搭載することで、iPhoneやiPad向けにつくられたアプリをMac上でも動かせるようになりました。

セブン銀行のATMがセブン-イレブン内にあるメリット

 範囲の経済性とは、異なる商品を取り扱う2つ以上の事業を別々の企業がそれぞれ独立に手掛けるのではなく、同一企業内で手掛けることによって実現される経済性です。

 これは異なる商品を取り扱う事業間で、経営資源を共有できるために生じます。

 範囲の経済性は通常、こうした経営資源の共有によって実現されるコスト削減効果を指します。ただし、コストの削減と同時に提供する価値の増大も実現されることが多いので、ここでは、価値増大の効果も含めて範囲の経済性と呼びます。

 たとえば、セブン銀行はセブン-イレブンのコンビニ内の空きスペースを活用することで、わざわざ土地を借りたり防犯対策のために頑丈なブースをつくったりせずにATMを設置しています。そのため、自ら駅前の建物の一角に土地を借りるよりも設置や防犯にかかるコストを削減することができます。

 それだけでなく、コンビニの売上金を保管しておく金庫の代わりにATMを使うことで、店内に金庫を置いて管理する手間が省けるだけでなく、ATMの利用者に引き出されてしまった現金を補充する手間も省けます。さらに、コンビニでの買い物ついでにATMを利用したり、逆に、ATMの利用のついでに買い物をしたりといったように、顧客の利便性の向上にもつながります。

 このような複数事業間での経営資源の共有で生じる効果は、シナジーと呼ばれることもあります。

 シナジーは、「2+2=5」とも表現され、異なる商品を取り扱う複数事業が1つの企業の下にまとまることで、それらの事業が単独で生み出す価値よりも大きな価値が生み出されることをいいます。シナジーは範囲の経済性と区別されることもありますが、重なる部分も多いので、ここでは特に区別せずに扱います。

 また、組織の経済性と同じように、範囲の経済性を実現するためには、これまでに手掛けていなかった事業を手掛けるようになるため管理コストが発生します。範囲の経済性により実現されるコストの減少や価値の増大よりも多くの管理コストが生じてしまえば、元も子もありません。そのため、範囲の経済性を考えるうえではその実現に伴う追加的な管理コストも考慮しなければならないのです。

多くの場合、経営資源の共有によってコスト削減だけでなく、価値の増大が実現される(写真:Cagkan/stock.adobe.com)
多くの場合、経営資源の共有によってコスト削減だけでなく、価値の増大が実現される(写真:Cagkan/stock.adobe.com)
画像のクリックで拡大表示

6つの経済性をうまく回すためには

 競争優位の構築は6つの経済性のいずれか、あるいはすべてをいかにうまく利用できるかにかかっています。経済性を実現することで、効率性から成長へ、そして成長から効率性へとつながる良循環を駆動させることができ、競争優位を構築できるようになるのです。

 こうした経済性のダイナミクスは、図3のように整理することができます。

図3 経済性のダイナミクス
(出所)日経文庫『経営戦略がわかる』
(出所)日経文庫『経営戦略がわかる』
画像のクリックで拡大表示

 効率性と成長の良循環の起点となるのが生産・販売の拡大です。生産・販売が拡大すれば規模の経済性や密度の経済性、ネットワークの経済性を享受できるようになります。

 もっとも、これらの経済性はあらゆるビジネスで同じように効くわけではありません。生産・販売が拡大してもあまり増えない固定費が存在しないビジネスでは規模の経済性を享受できませんし、地域内でのみ共有できる経営資源がないビジネスでは密度の経済性は生じません。また、ネットワークの経済性を享受できるかは商品の特性に大きく左右されます。

 加えて、生産・販売が拡大し企業が組織として大きくなっていくと往々にして、組織の複雑性や硬直性が高まり、各部門がサイロ化して互いに連携しなくなったり、意思決定が遅くなったりするといった組織上の問題が生じます。

 そのため、規模の経済性や密度の経済性、ネットワークの経済性を享受できるビジネスだからといって、生産・販売の拡大がおのずと効率性の向上につながるわけではありません。企業はこうした組織上の問題にも対処しつつ、生産・販売の拡大を効率性の向上につなげていかなければならないのです。

 また、生産・販売が拡大する過程で社内に蓄積された経営資源を深化させることで、深さの経済性を享受できるようにもなります。深さの経済性の源泉の1つは、知識やノウハウを生み出す従業員の累積的な学習にあり、それを実現するためには、従業員による学習を奨励する風土を醸成したり、そこで生まれた知識やノウハウを組織として蓄積して活用できる仕組みを整えたりすることが欠かせません。

 さらに、蓄積された経営資源を転用し事業領域を拡大させていくことで、組織の経済性や範囲の経済性を実現することもできます。新たに事業を手掛けることで、既存の事業だけでなく、その新たな事業においても組織の経済性や範囲の経済性を享受できるようになります。

 どんな企業でも最初は1つの事業から出発しますが、組織の経済性や範囲の経済性の実現を目指して新たな事業に進出する企業も少なくありません。

日経文庫『 経営戦略がわかる
身近な事例で戦略の「なぜ?」が分かる、やさしく体系立てた経営戦略の入門書です。初めて学ぶ学生はもちろん、理論の復習をしたい方や、経営戦略の全体像を整理したい方にも最良の一冊となっています。学びを深めるブックガイドつき。

内田大輔著/日本経済新聞出版/1100円(税込み)