カリスマと言われてきた歴代の米連邦準備理事会(FRB)議長に対し、説明責任を果たすことが一段と重視される現代の「時代の申し子」と言えるパウエル。一方、そうした多方面に配慮しようとする姿勢は、判断の遅れが出るリスクを伴う。遅れを取り戻すかのように急ピッチの金融引き締めが進むなか、かつてパウエルをFRB理事として抜擢(ばってき)したファーマンは今、何を思うのか。『パウエルFRB 迷走の代償』(高見浩輔著/日本経済新聞出版)から抜粋・再構成。

「生みの親」元政権幹部の疑念

 2022年12月。ボストン近郊にあるハーバード大のキャンパスに元米大統領経済諮問委員会(CEA)委員長のジェイソン・ファーマン教授を訪ねたのは、一つの疑問を解消するためだった。大統領に次ぐ影響力を持つと言われる米連邦準備理事会(FRB)議長。2018年にそのポジションに就いたジェローム・パウエルが最初に理事としてFRB入りしたのはその6年前だ。経済アドバイザーとしてオバマ政権の中核にいたファーマンは当時、なぜ野党・共和党の支持者で経済学者でもない法律家のパウエルを抜擢したのか。小雨が降りしきるなか、スケジュールの合間を縫って待ち合わせ場所の研究室に現れた彼の話は実に興味深かった。

 ファーマンの心を揺さぶったのは、11年の債務危機で当時シンクタンクにいたパウエルが見せた行動だった。米連邦議会は政府の債務残高に上限を設けており、それを毎年のように引き上げ続けている。その合意が米社会の分断によって次第に難しくなり、債務不履行(デフォルト)の寸前までいったのが11年だった。与野党がそれぞれの予算案を批判し合って「先に折れたら負け」のチキンゲームに興じるのは23年と同じ構図。だが当時の米議会にはデフォルトのリスクがいかに恐ろしいかを共和党の強硬派議員に訴えて回るパウエルの姿があった。

FRB議長に就任したパウエル(2018年2月)(写真:AFP/アフロ)
FRB議長に就任したパウエル(2018年2月)(写真:AFP/アフロ)
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 債務不履行の危険におびえるオバマ政権から譲歩を引き出す心理戦のなか、パウエルの行動は明らかに敵に塩を送る行為だ。そんな批判を超越したように、資料を入れたファイルを脇に抱えて米議会の廊下を歩き回るパウエルをファーマンは信頼した。

 あれから10年。議長となって高インフレを相手に苦闘を続けるパウエルの姿に、ファーマンは不安を漏らした。「彼の良いところはみんなから好かれるところだ。だが、彼の良くないところはみんなから好かれようとしているところなんだ」。かつての硬骨さを失ったというパウエルへの評価は、事前の調整・説明を徹底するあまり後手に回った米国の金融政策への本質的な問いかけである。

 中央銀行が政策金利を引き上げると企業の借入金利や住宅ローン金利が上昇して人々の行動は鈍り、経済が冷える。行きすぎると失業者が増え、とりわけ低所得層には教育機会の格差も含めて長期的な打撃をもたらす。金利を低く抑えすぎると今度は企業や個人がリスクを取りすぎてバブルが発生し、将来の経済ショックにつながるマグマを膨張させることになる。政策決定がすぐに生活を一変させるわけではないのに、議長が発言を少し変えただけで株価や為替が大きく反応するのは、市場が将来の実体経済を予測して動くためだ。

 やっかいなのは政策効果が出てくるのに半年から2年ほどもかかるということだ。過熱状態になるのを防ぐには、「室温が高い」とみんなが思い始めるより前に設定温度を下げておくのが要諦になる。だが「パーティーがようやく盛り上がってきた時間にカクテルの入ったパンチボウルを持ち去る」(ウィリアム・マーチン元FRB議長)という空気を読まない行為は理解が得られにくい。「みんなから嫌われても、やるべきことをやる」。そんなやっかいな仕事を完遂するために、中銀は独立性を与えられている。

 市場・金融機関、メディア、そして政治。周囲にはそれぞれの思惑があり、「みんな」に好かれようとすればその判断は後手に回るリスクと背中合わせになる。

カリスマなき時代

 理想のFRB議長像を巡り、面白いやりとりが22年6月にあった。

 国際通貨基金(IMF)が世界の50の中銀について07~18年の間の金融政策を詳細に分析し、説明責任やコミュニケーションについて指数化した成果を発表するイベントだった。ゲストとしてオンラインで参加した元FRB副議長のアラン・ブラインダーは、過去に成功した金融引き締めの例として70年代の大インフレを終わらせたボルカーとグリーンスパンによる90年代半ばの利上げを挙げ、こう言い放った。「この2人の特徴は、説明責任を果たさなかったことだ」。ボルカーは米議会の席上でたばこをふかし、文字通り議員を煙に巻いた。グリーンスパンは誰にも分からないような隠語で難解な議論を展開し、周囲は彼をマエストロ(名指揮者)と呼んだ。金融政策の透明性こそが重要だと膨大な労力を費やしたIMFのスタッフからの冷ややかな空気に気づいたのか、ブラインダーはこうメッセージを締めくくった。「なんにせよ、今日はぜひチームで乾杯をしてください。お疲れさまでした!」

 この発言の真意を後日、本人に尋ねてみた。グリーンスパンの隣で副議長席に座っていたブラインダーは「彼の言葉はコグノセンティ(cognoscenti)のメンバーにしか理解できない」と感じたという。コグノセンティとは、芸術などの世界で優れた知識と理解力を持つ専門集団のことを示す。ハイレベルな言葉の壁で周囲の雑音を取り除き、邪魔をさせない高等技術というわけだ。

 しかし「当時と今では状況が違う」とブラインダーは私に何度も強調した。大きく高度に発展した金融市場は金融政策の動向を先んじて織り込み、その動きそのものが金利の変動を通じて実体経済に影響を及ぼすようになった。公的な立場にある組織として説明責任も一段と重視される。あのイベントでの場違いな発言に込められていたのは、カリスマがいた時代への郷愁だった。

 取材を通して垣間見えたパウエルはいつも等身大の人だった。FRBが主催した街の人の声を聞くイベント「Fed Listens」では、わずかな休憩時間に慌ててつかんだクッキーをかじりながらレストラン経営者の話に聞き入っていた。ジャクソンホール会議が開かれる山荘のロビーには短パン姿で登場し、サングラスをクルクルと回しながら周囲にあいさつして回った。利上げ開始から1年たったころ記者会見で後悔していることはあるかと尋ねられ、歌手フランク・シナトラの名曲「マイウェイ」の歌詞と同じ表現で「いくつかある」と返答し、笑いを誘った。

 金融引き締めは、米国で多くの失業者を生み出す可能性のある非情な判断でもある。カリスマなき時代のFRB議長はその重さを「みんな」と共有してしまっているように見えた。

 FRB本部の真裏にホームレス村があることは、あまり知られていない。記者やゲストが出入りするウィリアム・マクチェスニー・マーチン・ジュニア・ビル(通称マーチン・ビル)の正門とは反対側の茂みにあるためだ。だがビルの4・5階の会議室からは、職員用のテニスコートの奥に20を超えるテント群が見渡せるはずだ。新型コロナウイルス禍を経た米国は1960年代にかけて生まれたベビーブーマーの早期退職もあり、歴史的な人手不足だった。失業者1人に対して2件の求人があり、街に求人広告があふれた。それでもホームレス村のテントが1年を通して減ることはなかった。22年は暖冬だったが、氷点下まで冷え込んだ日もあった。

 物価の安定と雇用の最大化。FRBの仕事はこうした「窓の外」への想像力を踏まえて、その最大公約数を追求することにある。22年3月から始まった利上げは80年代以降で最速ペースとなり、結果として銀行の破綻も招いた。この判断の是非は今後、歴史の審判を受けることになる。

利上げを巡る葛藤の結末とは

インフレ、遅れた利上げ、銀行破綻――カギを握るFRBの金融政策はどのように決まり、どのような影響を市場に及ぼしたのか。パウエルの人柄から、政治的・社会的な影響要因、豊富なインタビューから見える舞台裏までを現地駐在の日経新聞記者が描く。

高見浩輔著/日本経済新聞出版/2090円(税込み)