『昭和人間のトリセツ』著者の石原壮一郎さんと『日経マネーと正直FPが教える 一生迷わないお金の選択』著者の日経マネー大口克人編集委員。今回は「前期昭和世代」の2人が、当時の「無駄遣い」や、現代のコスパ・タイパ志向について語りました。
第1回 「石原壮一郎×大口克人 バブル世代は投資のトラウマ世代」 から読む
消費ほど楽しいものはない
コラムニスト・石原壮一郎(以下、石原) 我々の青春は、いかに効率の悪いお金や時間の使い方をするかというところにありましたよね。
日経マネー編集委員・大口克人(以下、大口) おっしゃる通りです。
石原 『 昭和人間のトリセツ 』でも、我々が 若い頃どれくらい本気でクリスマス対策をしていたか を書きました。
大口 マニュアル本だった雑誌『ホットドッグ・プレス』を読みながら、1カ月くらい前からどこのホテルを予約するか、どういうコースでデートをするかを必死で考えたものです。
石原 『ホットドッグ・プレス』、擦り切れるぐらい読んでいましたよ。
大口 それでクリスマス当日に何をしているかというと、1人で売れ残って安くなったケーキを食べていたりするわけですが。
石原 確かに、努力が実ったことはないですね。そもそも、実る人にそんな準備は必要ないのかも。
大口 そういうわけで、私の場合はタイパという言葉に抵抗を感じてしまうのに加え、そもそも皆がタイパ、タイパと言い出したら消費が回らなくなって経済が今より悪くなると思うんですよ。
石原 無駄遣いする人がいてくれないと困るわけですね。私などは、「消費ほど楽しいものはない」と思いますけどね。
大口 そうですよね!
石原 例えば、200万円の車を買っても、1000万円の車を買っても、目的地に行くのにかかる時間は同じです。それでも良い車が欲しいのは、車を買うこと自体がうれしいからです。
大口 昔風の言葉で言うと所有する喜びでしょうか。
石原 所有だけでなく、無駄遣いする喜びもあります。
大口 車を買うときも「あと10万円出すと横に1本ストライプが入ります」と言われて払ってしまうのが我々の世代ですからね。逆に若い頃は資産形成とか全く考えていなかったです。石原さんはどうでした?
石原 銀行で口座を開設したときに毎月1万円の積み立てを勧められて、やっていました。
大口 自動積立定期預金ですね。私もやっていましたけれど、当時はせいぜいそんなものです。同世代の金融関係者に聞くと、皆同じことを言いますね。若い頃はあるだけお金を使っていたと。
石原 そうですね。
大口 何に使っていらっしゃいました?
石原 青臭かったので何かバカバカしい使い方をしてこそナンボという思いがあって、家賃6万5000円のアパートに住んでいる時に別荘を買いました。
大口 それはバブルかも!
石原 1989年でしたね。私は26歳で、結婚したばかりでした。別荘といっても300数十万円でしたが。
大口 大したものですよ。
石原 群馬県の方にドライブをしていたら看板を見つけて、何だろうと思って行ってみたら別荘地があったんです。別荘地を見るのは生まれて初めてだったので、冷やかしで管理事務所をのぞいてみました。そこで「築30年くらいの一番狭い区画なら三百数十万円の物件がある」と案内され、面白そうだなと思って。狭めの1DKで、もともとあったベランダは崩れ落ちて、床もところどころ抜けそうになってましたけど。
大口 買われたんですか?
石原 ええ。しかも借金して買いました。妻が公務員として働いていたので、共済組合からお金を借りました。
大口 別荘は結構使われたんですか?
石原 使いましたね。友達5、6人と6畳の部屋に泊まってバーベキューしたりワカサギ釣りに行ったり、小さかった娘を連れて家族3人で一時期は毎月のように行ってました。十分に元は取ったかな。
100万円で買ったMacを半年で買い替え
大口 私が大金を投入したのはパソコンやデジカメです。当時は両方とも黎明(れいめい)期だったんですね。パソコンの性能が二次曲線で上がってきた時代で、パソコン雑誌の編集をしていたこともあり、Macintoshを半年に1度のペースで買い替えていたことがありました。Quadra(クアドラ)800とかの時代です。
石原 当時のMacintoshは、100万円くらいしたんじゃないですか?
大口 ええ。ですから、信販会社で3回や6回の分割払いとかにしていました。なのに、半年前に買ったMacの倍のスピードで作業できるのを見ると、どうしても欲しくなるわけです。
石原 進歩のスピードがすさまじかったですよね。
大口 そうなんですよ。デジカメもそういう感じがあって、最初出た時は30万画素、それが200万画素になり、今は主流は2400万画素くらいになっています。そうすると、やはり1年もすると新しいものが欲しくなる。
石原 初期のデジカメは画像が粗い上に、シャッターを押してもすぐに切れなかったりしました。
大口 そうでしたね。ストロボをたくと目が光って猫みたいになって。でも、新しい製品が出ると我慢できなくて買っていました。
資産形成や老後のことは1ミクロンも考えなかった
石原 100万円のMacを買っても、当時は「自分の糧になるはず」と思っていませんでしたか?
大口 ぜいたくだとか、悪いことをしているという気持ちは皆無でした。
石原 なんか、いろいろ理屈をつけるんですよね。Macに習熟すれば、将来のキャリアアップにつながるとか。
大口 2倍のスピードで処理できるんだったら仕事の時間を半分に短縮できるとか、訳の分からないことを言って。
石原 それ、私の別荘よりよほど高い買い物ですよ。
大口 そうなんです。ですから、資産形成とか老後のこととか、1ミクロンも考えていなかった。当時は勘違いぶりがすごくて、自分は永遠に生きるんじゃないかくらいの錯覚をしていました。
石原 若い時は確かに自分が死ぬとも、やがて年を取るとも思っていなかったですね。今の若者もそうなんでしょうか?
大口 いや、若い世代と話をしていると、長く生きるのが怖いみたいな気持ちを強く持っているように感じます。
石原 だから備えなければいけないと思うんですか?
大口 どこかでお金が足りなくなるんじゃないかと。しかも、公的年金が破綻するといった私に言わせれば出まかせを吹き込む輩もいますからね。そう言われると、真面目な若者は悩みますよね。
石原 今の若い世代は真面目ですね。人とのコミュニケーションにせよ、仕事への取り組み方にせよ、もっと手を抜けばいいのにと思うこともあります。
大口 親の影響も大きいと思います。最近は企業が内定を出しても、親が反対すると内定辞退されることがあるそうです。新卒採用では、親をいかに納得させるかが人事部の大事な任務になっています。テレビやYouTube、SNSでも、親が見て「この会社ならいいんじゃないの」と思ってもらえるようなものを作っていかないといけない。
石原 今の就活世代の親は我々の世代より少し下ですよね? それにしても、親が子どもの就職先について、いいとか悪いとか口出しするなんて、よくそんな怖いことができるなと思います。子どもの好きにさせるのが前提ではないでしょうか。
大口 だいぶ過干渉ですね。親としては大切なわが子の人生の一大事だから失敗したくない、させたくないという思いが強いようです。
石原 子どもは「親がどう言おうが自分はこっちがいいんだ」「私はこの仕事をやりたいんだ」と言ってしまえばいいと思うのですが、それが言えないのかもしれません。
大口 恐らくは。
石原 「自分の乏しい経験では判断できないかもしれないから、親の意見を聞こう」と。
大口 それもあるでしょうし、今の人たちは本質的に“いい子”なんだと思いますよ。真面目で、親に喜んでもらいたいと考えている。我々の時代は、そんな殊勝な子どもは少なかった。
石原 親は子どもが好きなように、子どものほうは自分が楽しくやっているのが一番の親孝行だというような考え方がベースにあったと思います。
大口 橋本治さんの有名なコピーに「とめてくれるなおっかさん、背中のいちょうが泣いている~」というのがありますが、親を泣かせてナンボみたいな話があったんですよね。
石原 それで結局は親も分かってくれるという信頼関係がありました。
大口 ですから、親も子どもに「若い頃からお金を貯めておかないと老後が大変だよ」なんて言わなかった。
石原 そうですね。手に職をつけろとか、一生懸命仕事をしろみたいなことは言ったかもしれませんが、それはあくまで生きていく上での処方箋。
大口 昭和の名曲、海援隊の『母に捧げるバラード』の歌詞がまさにそれですよね。一生懸命働け。輝く日本の星になるまで帰って来るなと。
石原 武田鉄矢さんのお母さんは、「お金を貯めろ」「いい会社に入れ」「そっちよりこっちの会社のほうがいい」なんて絶対に言わない。
大口 言わないと思います。日本が豊かになったから年収500万円くれる会社より550万円の会社のほうがいいんじゃないのと言えるようになっただけで、以前の日本には仕事があるだけでありがたい時代もあったんですから。
「貧乏自慢」はやめよう
石原 年収という言葉、今では当たり前のように使われていますが、私たちが若い頃にはほとんど聞きませんでしたよね? あの会社は年収いくらだとか、この仕事の平均年収がどうかということは、あまり気にしていなかったんでしょうね。
大口 もっと貧しい時代の話を親から聞いているからじゃないですか。
石原 食べていけるだけで上等ということですね。
大口 親から聞いた話でよく覚えてるのが、父親が子どもの頃は、ほとんどはだしで過ごしていたとか、草履を履いていたということですね。新潟の農村の出身ですが、それを聞いた時はびっくりしました。
石原 分かります。トイレットペーパーの代わりに新聞紙を使うみたいな話は、我々の少し前の世代までありましたよね。
大口 知らないうちに生活水準が上がっていたんです。
石原 食事だって、おかずがこんなに出るようになったのはこの30~40年くらいの話です。子どもの頃の食卓はもっとシンプルだったと思います。
大口 1960年代の児童文学に、子どもが1本のサンマをきょうだいと分け合って食べた、1本丸ごと食べたいと思ったという作文を書いたくだりがあるんですね。
石原 当時の子どもにはリアリティがあったんだと思います。今はサンマが高くなっていますが、それでも食べるとなると1人1本ですよね。
大口 若い世代には実感がないとは思いますが、少し前の日本人に比べれば豊かな生活をしているのは間違いないです。SNSなどで「貧乏自慢」するのはやめようよ、と言いたいです。
石原 お金がないから結婚できないとか、子どもが育てられないといった声を聞きますが、生活面では昭和の若者のほうがよほど貧しかったと思います。SNSなどで現実以上にネガティブな声ばかりが耳に入ってしまうのでしょう。
大口 漫画でも貧乏アパートのどくだみ荘とかありましたね。
石原 福谷たかしさんの『 独身アパートどくだみ荘 』(グループ・ゼロ)ですね。
大口 四畳半一間の安アパートで、本当に貧しい感じでしたよね。
石原 松本零士さんの『 男おいどん 』(講談社)の下宿館もすごかった。私はどくだみ荘や下宿館に憧れて、東京のアパートで一人暮らしがしたかったんです。
大口 松本さんにインタビューをしたことがあるんですが、洗わないで押し入れに突っ込んでいた猿股(さるまた=ズボン形の男性用下着)からサルマタケというキノコが生えたという話は本当ですかと尋ねたら、「あれは実話だ」と。さすがにそれを食べてはいないと思うんですが、そういう環境でも人は生きていける、あの頃に比べれば今は相当良くなっていると言いたいですね。
石原 そうですね。おいどんの日常は、貧乏でも未来への希望にあふれていました。たまにモテたりしていましたし。今同じような環境で暮らしている20歳前後の若者がいたとしたら、おいどんみたいに明るくはいられないと思います。
大口 そうですね。どくだみ荘やおいどんは私たちよりも少し世代が上ですが、我々の世代はもう少し豊かだったようにも思いますけれど。
石原 とはいえ、私が小学生の頃にはやった昭和歌謡は、ほとんどが貧しさのなかで肩寄せ合って生きていくといった歌詞のものが多かったですね。恋の歌でも貧しいがゆえにけんかになって別れたといった内容だったりしますよね。
大口 昭和歌謡がすごいのは、そのような世界がありながら、一方で沢田研二さんみたいな華やかな人がいて、パラシュートを背負って歌っていたりしたことですね。
石原 貧しさの対極にある世界ですね。沢田研二さんは都会の象徴で、加山雄三さんのような世界もある。石原慎太郎さん、石原裕次郎さん兄弟もそうですが、今でいうならハイソサエティの人たちですね。私は三重県松阪市の出身ですが、同じ海の近くでもヨットを楽しむ湘南の人たちのような生活は全く想像もできませんでした。実家の前には海苔を養殖する舟がずらりと並んでいて、冬になると近所のおじさんたちが腰まで冷たい海に漬かって海苔を取ったりしていました。同じ舟でもえらい違いです。
(3回目へ続く)
取材・文/森田聡子 構成/市川史樹(日経BOOKプラス編集) 写真/吉澤咲子


