急成長するサービスの多くが備えている機能、それが「ネットワーク・エフェクト」(ネットワーク効果)だ。シリコンバレーで注目の投資家、アンドリュー・チェン自身が米ウーバー・テクノロジーズで駆使し、投資先スタートアップに教えてきた戦略を解説した新刊 『ネットワーク・エフェクト』 から一部抜粋・編集して解説する。今回は、ドロップボックスのヒットの背景を分析する。
ドロップボックスの成長はユーザーの分類から始まった
ネット企業では、社内に「グロース部門」を置くことが一般的になりつつあるが、以前のドロップボックスには反発もあった。ドロップボックスのような製品開発に重点を置く会社は、優れた製品開発こそがユーザーを惹きつけるために重要だと考える。グロース対策として、最先端の機能をつくれる優秀な開発者をランディングページやメール通知の最適化に当たらせるのはどうなのか、と思うのだ。テック企業では顧客獲得を担うマーケティングチームからも、仕事内容が重複するグロースチームをわざわざ置く理由は何なのかと反対が出る。とはいえ、効果はある。そうでなければグロース部門をつくる企業が年々増えたり、業界全体に広まったりしないだろう。
ドロップボックスのグロース部門はすぐに活動を開始した。料金案内ページの最適化からストレージ容量の上限をユーザーに知らせて有料プランを勧める仕組みまで、マネタイズの施策を次々と打ち出したのである。初めは小さなデザイン変更で数百万ドルも売上が増えることもあった。
さらにグロース部門はこうした施策と並行し、ユーザーについて分析しはじめた。ここで重要な洞察を得る。「ツール・ネットワーク戦略」に沿ってドロップボックスを使い始めた一部のユーザーはストレージというツールだけを利用し、他のユーザーとフォルダや書類を共有していなかったのである。一方、誰かと共有し、共同作業をしているユーザー(つまりネットワークの機能を使うユーザー)の価値は、時間の経過とともに高まることが判明した。ユーザーの質を知る重要な指標が見つかり、ドロップボックスはユーザーをHVA群(高価値活動)とLVA群(低価値活動)に分けるようになった。そしてこの指標をマーケティング手法や企業提携の戦略と重ね合わせ、HVA群のユーザーを対象とした施策に注力した。CEOのドリュー・ヒューストンは戦略の転換についてこう説明している。
「当初、『インターネットを使うすべての人』にサービスを提供することが使命と考えていたけれど、あるとき、全方向には戦えないと気づいたんだ。そしてドロップボックスの最も価値あるユーザーは、長編映画などを共有している未開拓の市場の人たちではなく、書類の共有など仕事で利用している人たちだとわかった」
メールのドメインから潜在顧客を見つけ出す
ユーザーの価値を把握することで、ドロップボックスは施策を取捨選択できるようになった。過去に同社は大手携帯電話会社と提携し、スマホユーザーに写真のバックアップサービスを提供していた。この施策で多くのユーザーを獲得できたが、ほとんどがLVA群のユーザーだった。利用は増えたがコストも膨らんだ。だが、LVA群のユーザーは有料プランにアップグレードする可能性が低く、将来的に売上につながる見込みがない。このようにユーザーをHVA群とLVA群に分けることで、ドロップボックスはさまざまな施策の効果を吟味し、優先順位を付けられるようになったのである。
価値の高いユーザーと低いユーザーがいるように、ネットワークにも価値の高いものと低いものがある。2012年、ドロップボックスのユーザー数は1億人近くになっていた。巨大なネットワークは、大小合わせて何十万もの企業から構成される小さなアトミックネットワークの集合体である。ドロップボックスの営業部門は「自宅の池で釣り」ができた。つまり、利用者の多い企業をメールアドレスのドメインから特定し、優先して営業をかけたのである。この方法は、フェイスブックが主に大学で使われている「edu」のメールアドレスのドメインをもとに、小規模で密度の濃い大学のネットワークをひとつずつ獲得した方法と似ている。
ドロップボックスで重要な指標となったのは、企業で共有されていたファイルの量だった。共同作業に使っているほど他の製品に乗り換えづらくなり、高価なプランの営業がうまくいきやすい。
しかし、データを鵜呑みにしてはいけない。急成長中の初期のドロップボックスは、ユーザーがどのようなファイルを保管しているのかを調べた。一番簡単なのは、ランダムにフォルダのスナップショットを撮影して拡張子ごとのファイル数を数える方法だ。想像通りだろうが、最も多かったファイル形式は写真で、特にモバイル経由でたくさん保存されていた。そこでドロップボックスは写真の管理と閲覧のためのアプリ「カルーセル」を開発する。写真特有の口コミ効果で成長が加速することを期待していた。アプリの成果はそう悪くはなかったものの、期待していたほどではなかった。最終的に同社はこのアプリを終了し、法人向け事業を主体とする戦略に切り替えている。
ファイルを共有して編集しているユーザーを狙え
後日、ドロップボックスは再びサービス内で最も多く保管されているファイル形式を調査した。ここで前回は見落としていたことに気づいた。そもそも問いが間違っていたのである。「ユーザーが何回も見返したり、編集したり、移動させたりしているファイル形式は何か」「同じネットワーク内の複数ユーザーが共有したり、共同編集したり、交流したりしているファイル形式は何か」を問わなければならなかったのだ。そしてその答えは明らかだった。文書、表計算、プレゼン資料だ。
ドロップボックスはIPO(新規株式公開)の数年前から、こうしたエンゲージメントの高いファイルを扱う価値の高いユーザーの獲得に焦点を当てる方向に切り替えている。IPOの申請書類に書かれた同社のミッションは「よりよい働き方をデザインし、世界の創造的なエネルギーを解き放つ」であり、自社を「グローバル・コラボレーション・プラットフォーム」と銘打っている。創業当初の消費者の需要に支えられて成長してきた製品の在り方とは大分違うものだ。
ドロップボックスの創業エピソードはスタートアップ界の伝説となっている。学生だったドリュー・ヒューストンはしょっちゅうUSBメモリをなくしてしまうことにいら立っていた。そしてこの問題を解決するためにドロップボックスを開発し、世に送り出したのである。
まずは自分でナレーションを入れた4分間の説明動画を公開した。壊れやすいUSBメモリを使わずとも、コンピュータ間でファイルを自動で同期できる「魔法のフォルダ」の使い方を説明するものだ。初めはフォルダの共有機能はなかったものの、すぐに追加している。2007年4月に動画を公開すると、レディットやハッカーニュース、ディグなどのサイトからユーザーが殺到した。ヒューストンは当時をこう振り返る。
「何十万人もの人がサイトに来てくれて、ベータ版の予約者はたった一晩で5000人から7万5000人に増えたんだ。本当にびっくりしたよ」
ドロップボックスの成功譚はこのように語られることが多い。ヒューストンとクラスメイトだったアラシュ・ファドーシはサンフランシスコに移住し、スタートアップアクセラレーター、Yコンビネーターに参加すると、すぐにベンチャーキャピタルから資金が集まった。そして10年後の2018年、ティッカーシンボルを「DBX」としてニューヨーク証券取引所に上場を果たす。初値での時価総額は100億ドルに上った。
スタートアップの成功譚の多くは数行で創業からIPOまで進み、中間がない。けれども、ドロップボックスの成功で重要だったのは、2012年前後のこの中間の部分なのである。創業からIPOまでの10年間で、ドロップボックスは最も価値あるユーザー属性とそうしたユーザーのいるネットワークを特定し、彼らの需要を満たす機能を追加することで営業先を開拓していったのだ。こうした施策の積み重ねが、ネットワーク効果を脱出速度まで加速させ、IPOを成功へと導いたのである。
(翻訳=大熊希美)
アンドリュー・チェン 著/大熊希美 訳/日経BP/定価2420円(税込み)