「老化は治療できる」──そう聞いて、あなたはどう感じるだろうか。『 私たちは意外に近いうちに老いなくなる 』(日経BP)の著者でオートファジー研究の世界的権威である吉森保氏と、ベストセラー『 すばらしい人体 あなたの体をめぐる知的冒険 』(ダイヤモンド社)の著者で現役外科医の山本健人氏。生命科学の最先端で「老い」の謎に挑む研究者と日々患者と向き合う臨床医の対話から見えてきたのは、「老化」についての私たちの常識が大きく変わりつつある現実だ。
「加齢だから仕方ない」と言えなくなった日
山本 先生の近著『 私たちは意外に近いうちに老いなくなる 』、夢中で読みました。ただ、実は読み終わった翌日の外来で、さっそく困ったことが起きました。
医師・医学博士
吉森 ありがとうございます。困ったことというのは?
山本 はい。私は外来でご高齢の方に、症状によっては「70年、80年使ってきた体ですから、家電と同じでガタが来るのは自然なことですよ」とよく説明します。ところが先生の本を読んだ後、その言葉が出かかって…口ごもってしまいました。
吉森 どうしてですか?
山本 先生の本で、老化は家電が壊れるような単なる「摩耗」ではなくて、細胞レベルで起きている科学的な反応であり、しかもそれは制御できる可能性があると正面から突きつけられたからです。そうなると「加齢だから仕方ない」と簡単に片付けるのは、将来的に「医学の怠慢」と言われかねないなと。
吉森 「医学の怠慢」とは手厳しいですね。でも、現役の臨床医にそう言っていただけるのは、著者としてこれ以上ない褒め言葉です。まさにそういうことを伝えたくて書いた本ですから。
山本 それに加えてこの本で驚かされたのが、最先端の研究内容をとても分かりやすく書いているところです。オートファジーのような複雑な仕組みも専門知識のない読者にも理解できるように書かれている。
吉森 オートファジーというのは、ごく簡単に言えば「細胞が自分自身の部品を分解して新品と入れ替えたり、有害物を排除したりする仕組み」ですが、確かにそのまま説明しても伝わりにくいですからね。
山本 一般向けの科学書を書く際に、専門家が最も苦慮するのが「正確性」と「分かりやすさ」のジレンマだと思います。正確さを求め過ぎれば読者は置いてけぼりになるし、安易な比喩に走れば科学としての誠実さを欠いてしまいます。先生の本には、その葛藤を乗り越えた「プロの仕事」がにじみ出ていました。イラストもポップで親しみやすいのですが、その裏側にどれほどの「情報のそぎ落とし」があったのか──その覚悟が伝わってきます。
「正確さ」を捨てずに「分かりやすさ」を極めるプロの技術
吉森 山本先生にそこまで読み取っていただけると、苦労した甲斐(かい)があります。実は、私自身は元々、一般向けに発信しようという発想は全くありませんでした。研究一筋で、論文を書くことだけが仕事だと思っていましたし、一般書を書く暇はないとすら思っていました。
山本 そうなんですか。では何がきっかけで変わられたのでしょうか。
吉森 きっかけは、出版社の編集者に「先生の研究を本にしませんか」と声をかけていただいたことです。最初はお断りするつもりだったんですが、「オートファジーの面白さを世の中に届けたい」という編集者の熱意に押されまして、まあ一度やってみようかと。ところが、いざ原稿を書いてみると「何のことかさっぱり分からない」と何度もだめ出しを食らうわけです。研究者仲間に見せたら「分かりやすいね」と言われたものが、一般の方には全く通じない。その経験を繰り返す中で、「伝わらなければ、書いていないのと同じだ」ということを痛感しました。
山本 それは本当にそうですね。
吉森 特に「老化」というテーマは厄介です。人々の関心が極めて高い一方で、いわゆるポピュリズム──つまり、科学的根拠が不十分なのに「これで若返る!」といった大衆受けする話に流れやすい領域でもあります。科学者が分かりやすさだけを優先してしまえば、それは科学ではなく「宗教活動」になりかねない。だからこそ、専門家としてのプライドをかけて、どこまでを削り、どこを正確に残すかという試行錯誤を繰り返しました。
山本 「分かりやすさ」と「正確さ」の両立。言うはやすく行うは難しですが、先生の本はまさにその最良のお手本ですね。
「細胞の掃除屋」が、老化の常識を塗り替える
山本 本の内容で特に私が興奮したのは、他の生物との比較の部分です。私は幼少期から生物が大好きで、人体に興味を持ったのもその延長線上にあります。だからこそ、ハダカデバネズミやアフリカキリフィッシュのエピソードには、知的好奇心を強烈に刺激されました。
吉森 生物好きの山本先生ならではの視点ですね。やはりそこに食いつかれましたか。
山本 はい、もう夢中で読みました。一般の読者の方のために少し補足すると、ハダカデバネズミというのは、見た目は正直あまりかわいくない──しわしわで毛のないネズミですが、とんでもない能力を持った生き物ですよね。
吉森 普通のネズミの寿命はせいぜい2・3年ですが、ハダカデバネズミは30年以上生きます。しかも、がんにもほとんどかからない。老化研究者からすると、まさに「夢の生物」です。
山本 10倍以上の寿命で、しかもがんにならない。信じがたいですよね。研究者の中にはこうした特殊な生物を調べることで、人間の老化を制御する鍵を探っていらっしゃる方もいるわけですね。
吉森 その通りです。面白いのは、一般の方は身近な「シミやシワ」といった皮膚の老化に興味を持たれることが多いのですが、専門家ほどハダカデバネズミのような極端な例にひかれる傾向があります。なぜかというと、普通のネズミと何が違うのかを比べることで、老化を左右している決定的な仕組みが浮かび上がってくるからです。平均的な生き物をいくら調べても見えなかったものが、極端な例と比較した途端に「ここだったのか」と見えてくる。
山本 なるほど、極端だからこそ見えるものがある。そこが基礎研究の考え方ですよね。一方で、臨床の現場にいると、見える景色がだいぶ違います。先生方が「老化のメカニズムは解明できる」と前を向いていらっしゃる一方で、私が日々、患者さんと向き合っていると、老化というものはどうしても逆らえない大きな力に感じてしまう。
吉森 現場で実際に患者さんを診ている先生ならではの実感ですよね。
山本 ええ。だからこそ、先生の本で「老化は制御可能な科学的反応だ」と示されたことが、私にとっては衝撃でした。もちろん、知識としては知ってはいましたが、これほど研究が進んでいることを示されると、これまでの常識がひっくり返された感覚で。
吉森 ありがとうございます。ただ、「老化を制御できる」と言うと、多くの方が真っ先に「じゃあ、もっと長生きできるんですね。寿命が延びるんですね」と受け取りますが、そこは少し違うんです。単に寿命を延ばすことが目的ではありません。管につながれて寝たきりの状態で10年、20年と延ばしても、それを幸福とは言えないでしょう。
山本 おっしゃるとおりです。
吉森 重要なのは、本にも書きましたが、「健康寿命」をいかに延ばすかです。私の研究でいえば、細胞の部品を日々少しずつ壊して新品と交換していって、細胞を新品の状態に保ってくれているのがオートファジーなんですね。このメンテナンス機能をうまく活性化させてやれば、細胞が若々しく保たれ、結果として体全体が健康でいられる時間が延びる。そういうアプローチで研究を進めています。
山本 「長生き」ではなく「元気で長生き」。これは患者さんにとっても、私たち医療者にとっても、一番大切なテーマですね。
医学の役割は「良い負け方」を提供することにある
吉森 ところで、山本先生の『すばらしい医学』のあとがきで、非常に印象的な言葉がありましたよね。「医学が死という負けの決まった戦いに挑んでいるのだとしたら、良い負け方を提供するのも医学の役割だ」と。
山本 はい、書きました。
吉森 あの言葉は、私のライフワークである健康長寿の研究と、根底で深くつながっていると感じて、非常に心に染みました。人はいつか必ず死を迎える。それは変えられない。でも、その「負け方」──つまり、最後までどれだけ健やかに、自分らしく生きられるかは、科学と医学の力で変えられるはずですよね。
山本 まさにそういう思いで書きました。そう読んでくださって、本当に光栄です。
吉森 山本先生は外科医という「現場の職人」でありながら、常に「科学者」としての視点を失っていないですよね。手術の技術を磨くだけなら、極端に言えば、科学的な背景を知らなくてもできるかもしれません。しかし、先生の本からは、人体に対する深い敬意と、医療を支える科学への愛が伝わってきます。
山本 ありがとうございます。でも、それは先生がおっしゃる「巨人の肩」に乗せてもらっているからこそ、という面が大きいです。
吉森 ニュートンの有名な言葉ですね。「私がより遠くを見渡せたとすれば、それは巨人の肩の上に乗っていたからだ」と。何百年、何千年という先人たちの研究の蓄積があるからこそ、私たちはより遠くを見渡し、老化という巨大な謎にも挑めています。私の本が、読者の皆さんにとってその「肩」に乗るきっかけになれたらいいなと思っています。
取材・文/栗下直也、構成/中野亜海(日経BOOKSユニット第1編集部)、市川史樹(日経BOOKプラス編集)
吉森保著、日経BP、1980円(税込み)




