ヤマト運輸で宅急便を立ち上げた小倉昌男氏は、顧客や現場から学ぶことでビジネスを拡大させました。さらに小倉氏は、「相手の立場に立って考える」ことでこの学習姿勢を高めています。小倉氏の名著 『小倉昌男 経営学』 (日経BP)を、入山章栄・早稲田大学ビジネススクール教授が読み解きます。 『ビジネスの名著を読む〔マネジメント編〕』 (日本経済新聞出版)から抜粋。
荷物を受け取る側の立場で考える
ヤマト運輸の小倉昌男氏は「学習を止めない人」で、異業種からの学びを宅急便ビジネスのヒントにしました(連載第2回 「『小倉昌男 経営学』宅急便のヒントになった2つの異業種」 参照)。
小倉氏の第2の学習姿勢は「顧客から学ぶ・現場から学ぶ」ことです。この姿勢はすべてのビジネスで重要です。さらに小倉氏の特徴は「相手の立場に立って考える」ことでこの学習姿勢を高めていることだ、と私は考えます。
経営学では近年「プロソーシャル」という考え方が注目されています。そこでは「相手の立場にたって考える人のほうが、クリエイティブな成果を生み出しやすい」とされています。
クリエイティブな成果には「新奇なこと」「有用なこと」という2つの条件があります。特に2つ目は重要です。新奇なだけで何の役にも立たなければ、クリエイティブとは言えません。どうすれば新奇なアイデアが「相手の役に立つか」を考える必要があります。
本書では、小倉氏のプロソーシャルな側面が多く描かれています。例えば宅急便サービスを始めた当初、翌日配送をうたっているのに、荷物が届かない率が1割を超えたことがありました。当時の宅急便は午前中に届けるのが通例でしたが、その時間帯は各家庭が留守にしがちで、さらにその翌日まで待たざるを得なかったのです。
ここで小倉氏が考えたのは荷物を受け取る側の立場です。受け取る側からすると、午前中、30分だけたまたま買い物に出て残りは在宅していたのかもしれません。その間に宅配業者が来て荷物が受け取れないのなら、それはサービスへの不信感を生むだけです。
そこで小倉氏は「在宅時配達」を徹底する方向に舵(かじ)を切ります。すなわち、午前中に受取人が不在なら午後に再度訪問し、それでも不在ならその日の夜に届ける、ということです。結果として同社顧客の宅急便への満足度は高まっていきます。
プロソーシャルの姿勢を持つ小倉氏は、クリエイティブな成果を出しながら、同社のサービスの質をどんどん向上させていったのです。
労使協調のための2つの抜本的対応
先にも述べたように、プロソーシャルのような「他者の視点に立つ心理」は近年の経営学で注目されています。例えば、米ペンシルベニア大学の経営学者のアダム・グラント教授が2011年に『アカデミー・オブ・マネジメント・ジャーナル』に発表した研究では、複数の統計分析を用いた研究から、やはりプロソーシャルな人のほうが創造的な成果を高めやすい、という結果を得ています。
ここからは、小倉氏の「現場から学ぶ」姿勢を象徴する、もう1つの興味深い事例を紹介しましょう。それは労働組合との関係です。
言うまでもなく、企業の経営陣と労働組合の関係というのは、一般的に良好ではありません。互いの立場の違いから双方が不信感を持ち、結果として両者の情報共有も進みません。
それに対して小倉氏は労使の協調路線を模索します。とはいっても、それは単なる掛け声ではありません。小倉氏は「組合の人たちが本当に求めているものは何か」「自分が何をすれば、組合の人たちは喜んでくれるのだろうか」という、相手の立場に立って考えたのです。まさにプロソーシャルの姿勢です。
結果として小倉氏は、以下の2つの抜本的な対応をします。
まず1972年、抜本的に人事システムを改正し、それまで分かれていた事務職と労務職を一本化しました。従来は、いわゆるホワイトカラーである事務職は出世すると管理職になっていきます。その中に組合の幹部になりたがる人はいません。
逆にブルーカラーである労務職の人たちにとっては、労働組合の幹部になることが出世でした。組合幹部の中には、ホワイトカラー管理職より優秀な人もいたようです。そこで事務職と労務職の人事制度を一本化して、全員を「社員」とすることで、ブルーカラーにも社内で出世する道を開き、社内での発言力を高める仕組みを作ったのです。
組合から現場の情報を得る
さらに注目すべきは、1973年のオイルショック時です。かつてない不況に当時のヤマト運輸もさらされましたが、組合員の削減を一切しない方針をとります。代わりに組合幹部と話し合って、全員の一部賃金カットで乗り切ろうとしたのです。「人を絶対に切らない」というこの施策は、特に組合から感謝されたようです。
これらを契機として、小倉氏は組合との信頼関係を強めていきます。結果として、組合から「生きた現場の情報」が届くようになりました。「現場から学べる」ようになったのです。
一般に大きな組織では、トップは現場の細かいところにまで目が届きません。さらに現場の情報、特に顧客クレームなどのネガティブなものは「悪い情報を上げたくない」という中間管理職により、トップまでは届きにくくなります。トップは現場から学びたくても、学べなくなるのです。
しかし、プロソーシャルな姿勢により組合との信頼関係を築いた小倉氏は、現場の情報を中間管理職からではなく、組合から得るようになったのです。
本書では、これを象徴するエピソードがつづられています。1996年、小倉氏はある組合幹部から呼び止められ、「現場の配達員の多くが、お客から(当時ヤマト運輸が唯一営業を行っていなかった)大みそかと元日・2日にも営業してほしい、という要望をもらっている」と聞きます。まさに現場からの生の声です。
そこで大みそかと元日・2日も営業することを決断し、年中無休の営業体制となるのです。しかもこれは組合幹部経由で届いた現場の声ですから、組合や現場が反対するはずがありません。
このように、現場の声をすくいあげ、現場から学習する組織を小倉氏が地道に築いてきたことが、ヤマト運輸の今日の成功につながっているのです。そしてそこには、「相手が何を求めているかを考える」小倉氏のプロソーシャルな学習姿勢があるのです。
「クロネコヤマトの宅急便」の生みの親、戦後40年間でヤマト運輸を日本屈指のエクセレント・カンパニーに押し上げた希代の経営者、小倉昌男氏。政財界からジャーナリズムに至るまで数多くの支持者がいた小倉氏が自ら筆を執り、書き下ろした著作。
小倉昌男著/日経BP/1540円(税込み)