ヤマト運輸で宅急便ビジネスを立ち上げた小倉昌男氏は、失敗から多くのことを学びました。小倉氏の著書 『小倉昌男 経営学』 (日経BP)には、自身や周囲の失敗から教訓を得て糧(かて)とする場面が多く示されています。この名著を、入山章栄・早稲田大学ビジネススクール教授が読み解きます。 『ビジネスの名著を読む〔マネジメント編〕』 (日本経済新聞出版)から抜粋。

「知の探索」で世界観を広げる

 ヤマト運輸の小倉昌男氏は「学習を止めない人」で、異業種からの学び(連載第2回 「『小倉昌男 経営学』宅急便のヒントになった2つの異業種」 参照)や、顧客・現場からの学び(連載第3回 「『小倉昌男 経営学』組合との信頼関係で得たもの」 参照)を生かして事業を成長させました。

 小倉昌男氏の第3の学習姿勢は「失敗から学ぶ」ことです。本書では、自身や周囲の失敗から教訓を得て糧とする場面が多く示されます。

 人・組織は、成功と失敗のどちらから学習できるのでしょうか。これは経営学の重要な研究対象であり、まだ確かな答えはありません。しかし近年の研究から、「成功よりも、失敗からのほうがより学べる」可能性が示されています。これを説明するのも、連載第1回 「『小倉昌男 経営学』“知の探索”で築き上げた宅急便ビジネス」 で登場した「知の探索」理論です。

 人には自分の認識の範囲(=世界観)があります。しかし、自分の見ている世界が本当に「現実の世界」を正しく映しているかはわかりません。そこで「知の探索」をすることで、世界観を広げる必要があります。

 しかし、成功を重ねると、「自分の世界観は本当の世界を映している、だから自分は成功したのだ」と考えがちです。結果として知の探索を怠りがちになります。失敗すると「自分が見ていた世界は現実を映していないかもしれない」と考え、さらに知の探索をするようになり、長い目で見て成功するのです。

近年の研究では、「成功よりも、失敗からのほうがより学べる」可能性が示されている(写真/shutterstock)
近年の研究では、「成功よりも、失敗からのほうがより学べる」可能性が示されている(写真/shutterstock)
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 興味深い事例が、第1章で語られるヤマト運輸の失敗です。昌男氏の父・康臣氏が創業した同社は戦前、関東ローカル一円のトラック輸送で日本一と呼ぶにふさわしい運送会社でした。

 戦後、鉄道輸送中心だった長距離輸送にトラック業者が進出し、市場が成長します。しかし、成功体験から「トラックの守備範囲は100キロメートル以内」という世界観を変えられなかった康臣氏により、長距離輸送の進出に遅れ、進出時には、同業他社が市場を独占していました。

 この経験を「失敗」と認識した昌男氏は、その後も知の探索を進めます。私は昌男氏の最大の強みは「失敗を失敗と認めること」にあると考えます。「悪い部分は悪い」と認めるからこそ、いつまでも知の探索を止めなかったのでしょう。

ロケット打ち上げに見る成功と失敗

 ここからは、失敗経験と成功経験のどちらが長い目で見て成功につながるかについて、興味深い研究事例を紹介しましょう。

 それは米ブリガム・ヤング大学のピーター・マドセンと米コロラド大学デンバー校のヴィニット・デサイが、世界最高峰の経営学術誌の1つである『アカデミー・オブ・マネジメント・ジャーナル』(AMJ)に2010年に発表した論文です。

 この研究で対象となったのは、宇宙軌道衛星ロケットの打ち上げの成功経験・失敗経験です。マドセン=デサイは、1957年から2004年までに世界9カ国の30の打ち上げ機関で行われた軌道衛星ロケット打ち上げ4646回を分析対象にしました。彼らは各打ち上げ機関が新しくロケットを打ち上げるまでに経験した「打ち上げ成功」と「打ち上げ失敗」の数を集計しました。そして、それら「成功経験の数・失敗経験の数」と、その後に各機関が「新しい打ち上げ」に成功する確率との関係を統計分析したのです。

マドセンとデサイは軌道衛星ロケットの打ち上げ4646回を分析した(写真/shutterstock)
マドセンとデサイは軌道衛星ロケットの打ち上げ4646回を分析した(写真/shutterstock)
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 その結果、まず、(1)成功経験も失敗経験も「その後の成功」確率を上げることがわかりました。成功しようが失敗しようが、とにかく経験はプラス、ということです。

 しかし同時に、(2)成功経験と失敗経験の効果の強さを比べると、その後の成功をより高めるのは、失敗経験のほうであることも明らかにしたのです。

 彼らの分析結果では、成功経験と失敗経験のその後のパフォーマンス向上効果(回帰分析の係数で見た失敗減少の確率)を見ると、前者はマイナス0.02なのに後者はマイナス0.08で、後者のほうが影響力が強くなっています。先ほどの「知の探索」理論が予言する通りなのです。

 さらに興味深いのは、第3の結果です。(1)で述べたように、一般に成功体験はその後の成功によい効果をもたらすのですが、マドセン=デサイは、(3)しかし「失敗経験が乏しいまま、成功だけを重ねてしまうと、むしろその後は失敗確率のほうが高まっていく」ことも明らかにしたのです。

 この最後の結果を私なりに解釈すれば、これは「成功体験と失敗体験には、望ましい順序がある」ことを示しています。すなわち「失敗をほとんどしないまま、成功だけ積み重ねる」と、知の探索が十分でないまま成功してしまうので、さらなる探索が不十分となり、結果、長い目で見た成功確率が下がるのです。

 日本でもよく、若くして(失敗経験の乏しいまま)成功した起業家やベンチャー企業が、その後長期低迷する事例があります。それはまさにこのパターンにあてはまります。逆に、長い目で成功確率を上げられるのは、「最初は失敗経験を積み重ねて、それから成功体験を重ねていくパターン」ということになるのです。

20代の大きな挫折を糧に

 このように考えると、本書『経営学』に見る小倉氏の半生も、非常に興味深いものがあります。

 第1章にあるように、小倉氏は大学を出て父・康臣氏が経営する当時のヤマト運輸に入社してから、すぐに結核にかかってしまいます。結果、入院と自宅療養に、のべ4年半を費やすことになりました。

 仕事に復帰したのは20代も終わろうというときです。伸び盛りの20代の4年半を棒に振ってしまったのは、病気というやむを得ない事態とはいえ、小倉氏にとっては大きな挫折・失敗のようなものだったかもしれません。

 1956年にヤマト運輸に復帰した小倉氏は、同社が長距離トラックに進出せず、競合他社に大きく後れをとっていることを知ります。1960年にようやく参入したときにはすでに手遅れで、主要顧客はすべてライバルに押さえられていました。

 このように小倉氏は、若い時代に多くの手痛い失敗を経験しています。しかしだからこそ、その後も継続して「知の探索を怠らない」姿勢が生まれたのかもしれません。だとすれば、それはまさにマドセン=デサイの研究結果と同じなのです。

 こう考えると、小倉氏の半生からも、経営学の知見からも、「若いうちの苦労は買ってでもせよ」という格言は、あながち間違いではないということになるのです。

『小倉昌男 経営学』の名言
『小倉昌男 経営学』の名言
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人を幸せにする経営の極意

「クロネコヤマトの宅急便」の生みの親、戦後40年間でヤマト運輸を日本屈指のエクセレント・カンパニーに押し上げた希代の経営者、小倉昌男氏。政財界からジャーナリズムに至るまで数多くの支持者がいた小倉氏が自ら筆を執り、書き下ろした著作。

小倉昌男著/日経BP/1540円(税込み)