2025年4月13日に開幕を迎える「大阪・関西万博」。会場となる大阪・夢洲(ゆめしま)ではパビリオンなどの工事が山場を迎えている。どんなコンセプトで、どんな技術を生かしたパビリオンが出来上がるのか。一足先に、新刊『関西大改造2030 万博を機に変わる大阪・京都・兵庫』から紹介します。第2回は「落合陽一氏プロデュース『null2』」編です。(記事は同書のベースとなった日経クロステック連載「2025年大阪・関西万博」より転載・一部変更)

 「有史以来、行われてこなかった鏡の再発明」──。メディアアーティストの落合陽一氏が大阪・関西万博でテーマ事業プロデューサーを務めるシグネチャーパビリオン「null2(ヌルヌル)」は、建物が「変形しながら風景をゆがめる彫刻」になるという。

 風景を変換するための装置の1つが、パビリオンを覆う鏡面状の膜材である。この膜材で「動くファサード」を実現する。落合氏が鏡に注目したのは、このパビリオンのテーマが「いのちを磨く」であり、日本人は古来、銅鏡などの鏡を磨いて大切にしてきた歴史があることが理由の1つだ。

鉄骨フレームに鏡面状の膜材を取り付けた実大モックアップ。2024年8月下旬時点。落合陽一氏のパビリオンで使用するために開発中(写真:日経クロステック)
鉄骨フレームに鏡面状の膜材を取り付けた実大モックアップ。2024年8月下旬時点。落合陽一氏のパビリオンで使用するために開発中(写真:日経クロステック)
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 パビリオンの中では来場者の身体をデジタル化し、変形させ、自律的に動作するもう1つの身体を出現させて対話を試みる。生身の体とデジタルの体の「合わせ鏡」とでも言うべきコンテンツを用意するもようだ。未知なる体験が待っている。

 落合館を建築の視点で見た場合、鍵を握るのは建物を覆う鏡面状の薄くて軽い外装膜である。普通の鏡は割れやすく危険であり、建物の外装材には不向きで使いづらい。ゆがませるのも容易ではないだろう。落合氏の下に集結した設計者やクリエーター、素材メーカーの担当者などが鏡面状のパビリオンを完成させるべく奮闘中だ。パビリオンは25年1月の竣工を予定している。

 パビリオン建築と膜材の開発ではエンジニアでもある落合氏自身が陣頭指揮を執りながら、建物の基本設計はNOIZ(東京・渋谷)が、実施設計はフジタ・大和リースJV(共同企業体)、NOIZ、アラップが、施工はフジタ・大和リースJVがそれぞれ手掛けている。建設工事などはフジタ・大和リースJVが約11億8000万円で落札した。さらに膜材の開発・設計・施工には、膜材の専門メーカーである太陽工業(大阪市)と後述するロボットの開発でアスラテック(東京・港)が参画している。

落合氏のパビリオン「null<sup>2</sup>(ヌルヌル)」の完成イメージ(出所:2024 Yoichi Ochiai / 設計:NOIZ / Sustainable Pavilion 2025 Inc. All Rights Reserved.)
落合氏のパビリオン「null2(ヌルヌル)」の完成イメージ(出所:2024 Yoichi Ochiai / 設計:NOIZ / Sustainable Pavilion 2025 Inc. All Rights Reserved.)
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パビリオンの構造体。24年8月時点で鉄骨フレームは建て方が完了している。完成イメージとほぼ同じ形に組み上がっているのが分かる(写真:NOIZ)
パビリオンの構造体。24年8月時点で鉄骨フレームは建て方が完了している。完成イメージとほぼ同じ形に組み上がっているのが分かる(写真:NOIZ)
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パビリオンの平面図。立方体の建物を分棟配置する(出所:NOIZ)
パビリオンの平面図。立方体の建物を分棟配置する(出所:NOIZ)
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 開発メンバーは鏡のような外装材を「ミラー膜」と名付けた。ミラー膜の開発には、既に2年半もの歳月を費やしている。試行錯誤の末、24年8月、ついに実大のモックアップが完成した。落合氏がモックアップを視察するというので、日経クロステックが同行させてもらった。場所はミラー膜を開発している太陽工業の工場がある京都である。

視察に訪れた落合氏(左)と、パビリオンの設計を担当しているNOIZの笹村佳央氏(写真:日経クロステック)
視察に訪れた落合氏(左)と、パビリオンの設計を担当しているNOIZの笹村佳央氏(写真:日経クロステック)
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 モックアップを制作したのは、大きく2種類のミラー膜だ。1つは4m角の正方形フレームをミラー膜で覆った上で、その中央部を大きな穴のようにくぼませたもの。もう1つは、まさに鏡そのものと言える平面のミラー膜である。前者は楽器のホルンに似ていることから「ホルン型」、後者は「平面型」と呼び分けている。

「ホルン型」のミラー膜。中央に大きな曲面の穴があり、眺める角度によって映り込む風景のゆがみ方が変わる。映った空と本物の空の境目が分からなくなるほど、ミラー膜の鏡面性能は高い。穴の一番奥にはLEDを取り付け、完成イメージに見られる赤い目玉のように仕上げる計画だ(写真:日経クロステック)
「ホルン型」のミラー膜。中央に大きな曲面の穴があり、眺める角度によって映り込む風景のゆがみ方が変わる。映った空と本物の空の境目が分からなくなるほど、ミラー膜の鏡面性能は高い。穴の一番奥にはLEDを取り付け、完成イメージに見られる赤い目玉のように仕上げる計画だ(写真:日経クロステック)
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眺める角度を少し変えるだけで映り込む風景の見え方が大きく変化する(写真:日経クロステック)
眺める角度を少し変えるだけで映り込む風景の見え方が大きく変化する(写真:日経クロステック)
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「平面型」のミラー膜。表面が波打つように揺らいでおり、映り込む風景がゆがむ。写真は落合氏がゆがみ具合を確認しているところ。ゆがみに対応できるだけの伸縮性が求められる(写真:日経クロステック)
「平面型」のミラー膜。表面が波打つように揺らいでおり、映り込む風景がゆがむ。写真は落合氏がゆがみ具合を確認しているところ。ゆがみに対応できるだけの伸縮性が求められる(写真:日経クロステック)
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平面型は鏡そのものの出来栄えで、表面が揺らいでいないときは周囲の風景がそのまま映り込む。モックアップを設置した屋外の景色が映り込み、森もまた現実と映り込みの境目が曖昧に感じられる。万博会場では大阪・夢洲(ゆめしま)の空や周囲のパビリオンなどが映り込むことになる(写真:日経クロステック)
平面型は鏡そのものの出来栄えで、表面が揺らいでいないときは周囲の風景がそのまま映り込む。モックアップを設置した屋外の景色が映り込み、森もまた現実と映り込みの境目が曖昧に感じられる。万博会場では大阪・夢洲(ゆめしま)の空や周囲のパビリオンなどが映り込むことになる(写真:日経クロステック)
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 膜材メーカーとして、大阪・関西万博のパビリオンに数多くの内・外装膜を提供している太陽工業にとっても、落合氏が求めるミラー膜の開発は初めてだ。完成すれば、落合館が世界初実装の場となる。

 太陽工業は膜材の高い鏡面性と、ホルン型で求められる曲面への取り付けに耐えられる伸縮性の両立に悩まされてきた。試作品を何種類もつくり、ようやく今回のモックアップにたどり着いた。視察した落合氏は、「イメージしていた膜材のレベルに仕上がってきた」と満足げだ。落合氏が特に気にしていたのはミラー膜表面の「ヌルっとした感じ」で、ヌルヌルは鏡面の滑らかさを表す言葉でもある。

 本番までにはミラー膜1枚当たりの幅をもっと大きくして、使用する膜材の枚数を減らす改良を続ける。膜材の数が減れば、膜材同士の継ぎ目(目地)が少なくなる。鏡面が一層滑らかになり、見た目も美しくなる。

ミラー膜をゆがませる裏側の仕組みに迫る

 鏡面に映る風景をゆがめる方法はいくつも考えられるが、モックアップでは3つの方法を試した。まずホルン型では、中央のくぼみの曲面自体が映り込む風景をゆがませる。

 ミラー膜の裏側は、ホルンの本体のような漏斗(ろうと)状になっていた。くぼみをリング状のフレームで固定している。深いくぼみをつくるには、ミラー膜に高い伸縮性が求められる。

ホルン型のミラー膜の裏側は、中央部がアサガオの花のような漏斗(ろうと)状になっている。深い穴までミラー膜で覆うには高い伸縮性が必要になる(写真:日経クロステック)
ホルン型のミラー膜の裏側は、中央部がアサガオの花のような漏斗(ろうと)状になっている。深い穴までミラー膜で覆うには高い伸縮性が必要になる(写真:日経クロステック)
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 一方、平面型のミラー膜の裏側にはウーハーが設置されている。実験ではウーハーの位置や周波数を変えながら、重低音の波動でミラー膜を後ろから震わせていた。周波数によって表面の揺れ方や波打つような模様が劇的に変化する。モックアップの前で落合氏自身がウーハーの位置や周波数の変更を指示し、ゆがみ方を試していた。現場にはウーハーの重低音が響きわたっていた。

 本番では複数台のウーハーを用意する計画だ。騒音レベルにもよるが、ウーハーを含めたオーディオ装置をパビリオンに持ち込めば、流す音楽に合わせてミラー膜を震わせることができるかもしれない。曲目固有のゆがみ方が見られれば、面白いだろう。

平面型のミラー膜の裏側にウーハー(黒い装置)を設置し、重低音の波動でミラー膜を震わせて表面にゆがみや波紋を出す。周波数の違いで多様な模様が浮かび上がる(写真:日経クロステック)
平面型のミラー膜の裏側にウーハー(黒い装置)を設置し、重低音の波動でミラー膜を震わせて表面にゆがみや波紋を出す。周波数の違いで多様な模様が浮かび上がる(写真:日経クロステック)
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 そしてもう1つ、ホルン型と平面型のどちらでも試したのが、ミラー膜を裏側からたたくことだ。太鼓のようにたたけば、薄いミラー膜の表面はゆがむ。円盤状の小さな振動装置をミラー膜の裏側に取り付けて震わせてもいた。いずれも局所的なゆがみが得られる。

 今回は人手でたたくという原始的なやり方をしたが、万博会場ではミラー膜の裏側にロボットアームを複数台設置する予定だ。ロボットがミラー膜を裏側から押したり、引っ張ったり、ひねったりする。ロボットアームはファナック製の「協働ロボット」で、人の近くで扱えるタイプを用いる。

 今回のミラー膜は鏡面性が高く光をよく反射するため、表面温度が他の膜材より上がりにくいという特性がある。内部環境をロボットの可動に適した温度に保ちやすいメリットがあることも確認できている。

本番ではロボットアームで、ミラー膜を裏側から押したり引いたりする計画(写真:NOIZ)
本番ではロボットアームで、ミラー膜を裏側から押したり引いたりする計画(写真:NOIZ)
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 最後に、これからミラー膜を取り付ける万博会場の建設現場を確認しておこう。敷地面積は約1635m2、延べ面積は約655m2。パビリオンは内部に展示物を設ける鉄骨造の2階建ての建物本体と、その周りに取り付ける「ボクセル」と呼ぶ複数の鉄骨フレームの立方体で構成する。

 今回制作した実大モックアップは4m四方のボクセルを想定したものだ。4mでもモックアップは見上げる高さだったが、落合館の完成イメージにもあるようにパビリオンの中央には巨大な8m四方のボクセルもできる。かなりの迫力になるだろう。建物の最高高さは約12.25mだ。

パビリオンの中央に最大8m四方のボクセルを設ける(写真:NOIZ)
パビリオンの中央に最大8m四方のボクセルを設ける(写真:NOIZ)
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パビリオンの断面図。8m四方のボクセルを確認できる(出所:NOIZ)
パビリオンの断面図。8m四方のボクセルを確認できる(出所:NOIZ)
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 建物本体とボクセルの構造設計を手掛けているアラップは半年間限定のパビリオン建築において、サステナブル(持続可能性)で環境負荷が少ない構造体を模索した。落合館は構造部材に、再利用しやすい一般的な鉄骨を用いている。コンクリートは使わない方針を掲げた。基礎も敷き鉄板にする徹底ぶりである。

基礎にコンクリートを使わず、敷き鉄板を採用する(写真:NOIZ)
基礎にコンクリートを使わず、敷き鉄板を採用する(写真:NOIZ)
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 ほとんどのボクセルは、地面に接しないように建物に取り付ける。そうすることで土工事を最小限に抑える。一部のボクセルは、宙に浮いているように見えるはずだ。

鉄骨フレームの立方体「ボクセル」(写真左手)。土工事を減らすため、ボクセルは地面に接しない位置に取り付けている(写真:NOIZ)
鉄骨フレームの立方体「ボクセル」(写真左手)。土工事を減らすため、ボクセルは地面に接しない位置に取り付けている(写真:NOIZ)
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日経クロステック 2024年9月2日付の記事を転載・一部変更]

万博イヤーをターゲットに数々の再開発プロジェクトが進行中の大阪。大阪を訪れる人たちを呼び込もうとする京都や兵庫。技術系のネット媒体「日経クロステック」と建築雑誌「日経アーキテクチュア」は、様変わりする関西の姿を追い続けています。本書は大阪を中心に京都や兵庫まで網羅し、写真満載の現地リポートと建築メディアならではの専門的な視点で、100年に一度とも言われる「関西大改造」の真の姿をお伝えします。

川又英紀ほか(著)、日経クロステック、日経アーキテクチュア(編)、日経BP、3520円(税込み)