これまでのコンピュータよりも桁違いに高速な計算が可能な量子コンピュータ。巨大な経済価値を生むと期待され、さまざまな業界のビジネスで活用が進んでいます。今後、量子コンピュータが進化していく過程で何が重要になるのでしょうか。また、その中で企業はどう取り組めばよいのでしょうか。日本総合研究所 先端技術ラボの間瀬英之さん、身野良寛さんの著書『量子コンピュータまるわかり』(日経文庫)を抜粋・再構成。

商用アプリケーションの開発がカギ

 ここでは、著者が考える量子コンピュータ業界の展望と考察を述べます。政策動向では、北米、中国、欧州、日本といった一部の国・地域だけでなく、近年、オーストラリア、インド、イスラエルなどの技術先進国が国策として、量子技術および量子コンピュータに膨大な投資を予定しています。暗号解読などの国家安全保障、国際競争力にもかかわるため、これからも量子技術を重要な国家戦略の柱とする動きは広がりを見せると予想されます。

 また、その重点領域は、従前の基礎研究やデバイスの開発だけでなく、社会実装に向けた産官学連携支援や、スタートアップ育成の助成、量子人材育成および教育コンテンツ作成にも広がっていくでしょう。中でも、量子人材育成は、すでにどの国においても戦略上、最重要の柱として位置づけられています。これは企業の戦略でも同様だと思います。

 量子コンピュータは黎明期の技術ですが、ユーザ企業では、技術を目利きでき、量子アルゴリズムを理解して実装できる専門人材を、数人でもよいので育成・獲得しておくことが重要です。もちろん、現時点ですべてを自社内で管理・遂行する必要はなく、大手IT企業や有力なスタートアップを見極め、将来の協業可能性を探ることも有用です。

技術を目利きでき、量子アルゴリズムを理解して実装できる専門人材を育成・獲得しておくことが重要(写真はイメージ)(写真:Cesign/stock.adobe.com)
技術を目利きでき、量子アルゴリズムを理解して実装できる専門人材を育成・獲得しておくことが重要(写真はイメージ)(写真:Cesign/stock.adobe.com)
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 市場動向は、欧米、日本などの経済状況による影響も受けると思いますが、実際にビジネスで役に立つ商用アプリケーションを示すことができるかどうかがカギとなるでしょう。何かしらの商業的な成果が出ないと、スタートアップでは資金調達や収益化に苦労する可能性もあります。また、量子コンピュータを利用するユーザ企業の視点に立てば、資金力の豊富な大企業が積極的に実証実験に取り組む一方で、それ以外の企業は静観することも予想されます。

 現在の技術進展状況や活用事例などを踏まえると、あくまで一例ですが、短期的には、実用化が近い量子アニーリング方式を業務に適用する、量子ゲート方式での量子古典ハイブリッドアルゴリズムの研究開発に取り組む、中長期的な視点では、量子ゲート方式で代表的・要注目の量子アルゴリズムの動向調査、理解、実装などによる量子人材の教育に力を注ぐ、といったアクションプランが考えられます。

標準化と知財が重要

 標準化の進展も、量子コンピュータの市場拡大にとって重要なポイントになると思われます。今後、商業応用にかかわるベンチマーク(指標、水準)の策定や、量子コンピュータアーキテクチャに関する標準化が進むことが予想されます。現在の量子コンピュータ業界には、客観的に統一されたベンチマークがないので、異なる量子コンピュータマシンの性能比較などが難しい状況です。そのため、このような標準化の動きは、量子コンピュータ分野の進捗状況をわかりやすく把握、確認するうえでも重要です。

 また、知財獲得に関しては、米国、中国を筆頭に、超伝導方式だけでなく、さまざまなハードウェアの実現方式や、量子ソフトウェアおよび量子アルゴリズムに関する特許申請が増加すると予想されます。

 これまで研究開発の対象、投資先は、ハードウェア開発が大半を占めていましたが、近年はソフトウェア開発も活発化しています。ユーザ企業のビジネスにとって、ソフトウェア領域の開発はとても重要であり、現時点から、競合先の量子アルゴリズムやソフトウェアなどの特許の動向を押さえておくことも大切です。

 量子ゲート方式では、金融、化学、情報、製造を中心に、NISQ(ノイズあり小中規模量子コンピュータ)アルゴリズムの新規開発・改良が継続し、限定的な応用問題に関して量子優位性の実現に向けた現実的なロードマップが登場し始めることが予想されます。関連する業界の企業は出遅れることがないように、人材育成と研究活動に継続的に投資する必要があります。

「どうやったか」まで理解する

 ここで注意点が1つあります。新規のアルゴリズムや事例を調査する際、「何をやったか」だけではなく、「どうやったのか」具体的な手法にまで理解を深めておくことが肝要です。なぜなら、問題解決の手段を多く持っていることが、ユースケースの発掘に役立つと考えられるからです。

 量子アニーリング方式の活用事例では、金融、化学などの領域で最適化を応用した実務適用の事例が増加するでしょう。特に、古典コンピュータ(従来のコンピュータ)と併用して、(人員配置問題のような)比較的シンプルな問題を大規模化していく取り組みが中心になるものと予想されます。ただし、量子優位性が実証されていないため、古典的な数理最適化の手法も含めて検討することをおすすめします。

 一方で、金融工学などの実務で使われる複雑な最適化問題については、量子アニーリング方式で扱えるように定式化の方法を研究することにも価値はありますが、まだ研究事例が少なく、難しい取り組みになる可能性があります。

短期的に必要な4つのアクション

 これまでの議論を踏まえて、量子コンピュータの導入に向けた企業のアプローチを以下にまとめます。加えて、自社の経営戦略やリソースに沿って、長期的な目線のもと、短期的に実現する具体的なアクションを定めていくのがよいでしょう。

(1)現在の量子コンピュータの課題を理解したうえで、今後、大きく進展する可能性のあるイオントラップ、半導体などのハードウェア実現方式の特徴や研究開発の進捗、誤り耐性技術の動向を調査し、いつごろまでにどのような量子コンピュータが実現される可能性があるのか、ロードマップを把握しておく。

(2)ベンダーやアカデミアが提供している研修や模擬演習、理論検証や実証実験に取り組み、量子人材を育成する。

(3)各種イベント、カンファレンスなどを通して業界トレンドや活用状況の実態を把握する。

(4)量子ソフトウェア・量子アルゴリズムに関して、アカデミアにおける研究成果を含めた最新情報を収集・理解し、将来的に実現する可能性があるインパクトが大きいユースケース発掘に役立てる。

量子コンピュータに関するイベントに参加することも有効(写真はイメージ)(写真:kasto/stock.adobe.com)
量子コンピュータに関するイベントに参加することも有効(写真はイメージ)(写真:kasto/stock.adobe.com)
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 量子コンピュータはまだ黎明期の技術であり、スケーラブルで実用的な量子コンピュータがいつ実現するのか、そもそも実現可能性があるのか、さまざまな意見があります。今の量子コンピュータは人間で言うところの幼稚園児くらいで、実用化に向けて乗り越えるべき壁はたくさんあります。

 しかし、数年前から現在の量子コンピュータの開発状況を振り返ると、これから2年後、3年後には今とは違う別の景色になっているかもしれません。量子コンピュータは、古典コンピュータでは解くことがきわめて難しい問題を解けるという大きな可能性を秘めており、この魅力はアカデミア、産業界にとって不変です。

 量子コンピュータは技術のデパートです。一企業だけで量子コンピュータの活用を推進することは難しく、産業・アカデミアがオープンに協力し、組織の垣根を越えて協働することが重要です。著者もさまざまなイベントに足を運んでいますが、そこにはビジネスパーソン、物理学や化学、情報系の研究者といった多様なステークホルダーが集まっています。

 そのような中での成果共有や交流が、新しいイノベーション創造やユースケース探索、よりいっそうの技術進展につながっていくと思います。幸い、日本はここ数年間で、量子コンピュータに関するコンソーシアムが多く立ち上がっています。量子コンピュータに少しでも興味・関心があれば、量子コミュニティに一歩足を踏み入れてみることをおすすめします。

ビジネス活用はここまで進んだ

量子コンピュータで、今、どのようなことが、どこまでできるのか、国内外の注目企業を多数取り上げ、ビジネス現場での最新の取り組みを紹介します。各国の政策や研究開発状況、今後の課題も明らかにし、将来を見通します。

間瀬英之、身野良寛著/日本経済新聞出版/1100円(税込み)