インターネット上の仮想空間、メタバースへの関心が高まっており、研究開発や研修など企業での活用も期待される。メタバースの将来について、国内最大級のメタバースプラットフォーム「cluster」を運営するクラスターの代表取締役CEO・加藤直人氏に、ボストン コンサルティング グループ(BCG)の岩渕匡敦氏と苅田修氏が聞いた。連載第3回。 日経ムック「BCG デジタル・パラダイムシフト」 から抜粋。
第1回 「
クラスター×BCG メタバースがもたらす本質的な変化とは?
」
第2回 「
クラスター×BCG メタバースが今後、数社の寡占になる理由
」
研修やトレーニングで導入進むVR技術
苅田修氏(以下、苅田) 第2回で話したB2Cの世界に加えて、B2Bにおいても大きな可能性があります。ゲーム業界で以前から取り組んできている3DCG関連の技術など、日本ではいろいろな領域でメタバースの構築・利活用に必要な技術が培われてきましたよね。そのような技術が集約され、企業向けのプラットフォーマー・ビジネスが興隆し、企業のメタバース利活用への価値提供が進む可能性もあります。
岩渕匡敦氏(以下、岩渕) 企業の研究開発において、いわゆるデジタルツインの感覚で、メタバース空間をつくってシミュレーションするというような利用も出てくると思うのですが、そのあたりはどのように考えられていますか。
加藤直人氏(以下、加藤) 既存の産業での切り口を語り始めるときりがないのですが、おっしゃるようにシミュレーション、それから研修はメタバースとVR(仮想現実)技術の活用方法として大きなところだと思います。すでにVRを活用した研修をいくつかの大きなスタートアップが手掛けています。ウォルマートはStrivrというVRスタートアップと契約し、従業員のトレーニング用に何千台というVRデバイスを導入しました。
他の例としてはアメリカンフットボールですね。アメリカンフットボールは米国で最も大きなスポーツ産業ですが、VRを日常的なトレーニングに導入しています。例えば、最初にボールをもらって投げるクオーターバックの練習です。ボールをもらって0.1秒で投げる、しかも戦略を考えて投げないといけないポジションで、練習コストが非常に高い。敵味方が入り乱れた中で判断するという練習をしますが、紙や映像では限界があります。
もうVRデバイスをかぶってしまったほうが早いわけです。結局、読むとか聞くよりも見るほうが分かりやすいし、見るよりも体験してしまったほうが早いということです。
岩渕 トレーニングのための空間は、そのベンチャー企業が研修用につくっているのですか。
加藤 そうです。専用のバーチャル空間をつくって導入しています。そのような形のビジネスがすでに生まれていて、これからもっと発展していくことになると思っています。
ここで何が本質かというと、「人間に情報をインストールすること」のコストです。例えば、大量の従業員に情報を浸透させていくには大きなコストがかかります。それがVR技術を活用することによって、画一化されたフォーマットに従ってインストールできるというわけで、格段に効率が上がることになります。これは本当にすごいことで、まさに革命です。
シミュレーションというところでは、クラスターも「バーチャル渋谷」や「バーチャル大阪」をつくったほか、トヨタのレクサスの案件で車の乗り心地が体験できるというものをやらせていただいています。それを組み合わせていくと、バーチャル空間の中で車に乗ることもできますし、飛行機を飛ばすこともできます。人の流れや反応をシミュレーションすることもできる。メタバースでは、こうしたデータが常に残ります。
今、僕らはここで身ぶりや手ぶりを交えて話していますが、身ぶりや手ぶり、表情は残りません。いつ、どのタイミングで誰がうなずいたか、どこを見ていたかなどが残る世界がメタバースなのです。それらのデータを蓄積できるというのは本当に大きいことです。データを基に分析してそれをリアルに還元し、リアルで確認したことをまたバーチャルに還元していくというサイクルが回っていく、それがこれから起こることだと思います。
ゲームの技術がメタバースで生きる
苅田 メタバースを構成する産業構造の中で、VR関連はまた違うかもしれませんが、コンテンツやその空間づくりの部分は日本の強みが生きる領域だと思います。日本が元気になるために、産官学でしっかり連携すれば勝算があるのではないかと考えているのですが、そのあたりはどうですか。
加藤 僕は、メタバースというもの自体が本当に日本の最後の砦(とりで)になると思っています。アニメやマンガとの相性がよいところ、また、例えば3DCGのような技術がゲームで培われてきたものであるところは、日本がメタバースというトレンドの中で返り咲けるかどうかの大きな要因になってくると思います。
日本は世界に誇れるコンテンツ、アニメ、マンガ、ゲームなどのIP(知的財産)が多い。世界で見ても、これだけのコンテンツがあるというのは本当に大きいと思います。そして、見逃せないのが、基本的な技術がゲームの技術だという点です。3DCGの技術が発達してきた産業というのは、結局ゲームなんです。
世界的にスマートフォンがトレンドとなっている時期に、日本はなかなか勝てませんでしたが、その間日本が何をしていたかというとソーシャルゲームをつくっていました。そこに優秀な人材がたくさん流れていた。そこで培われた技術がメタバースに転用できるわけです。
メタバースのプラットフォームだけではなく、VR、AR(拡張現実)の全盛時代になったとき、いろいろな産業で活用できるはずです。これから、ゲームとは縁のなかった業界にゲーム業界のエンジニアや人材が入っていく。その流れを生かすことが重要になると思います。
もちろん産官学の連携も重要です。今後、2Dが3Dになっていくわけで、3D、映像における機械学習もこれからもっと開拓が必要になる領域です。「産」だけではできない、「学」と連携しながら盛り上げていく。
また、データに関する法規制など、ある種の制約をうまくつくって整理していく必要もあります。ここで重要なのは、整理といったときに、これはダメ、あれはダメと言ってしまうのではなく、気持ちよく事業を進められる形で整理することです。それをここからつくっていけるかどうかと考えると、産官学の連携が本当に大事になっていくと思います。
これから起こるパラダイムシフト
岩渕 メタバースの世界は短期的・中期的にどう発展していくとお考えでしょうか。
加藤 まず短期ということで、今から2030年くらいまでの10年くらいのスパンで、デジタル上での人と人とのつながりがどんどん増えていきます。今、10億人がアクセスしているインターネット上の領域はコマースや検索ですが、そこにデジタル空間が加わります。デジタル空間に10億人がアクセスする世界がやってくるはずです。もちろんスマートフォンのユーザーはもっと増えているだろうし、VR・ARデバイスももっと身近な形で出てくると思います。ここまでは、皆さんが想像できないような未来ではないと思います。
それ以降、2030年以降がかなり面白いことになると思っています。何が起こるかというと、バーチャル空間でたまったデータが活用され始めます。メタバースのフェーズとしては1階層、2階層があると考えていて、今は1階層目で、まだコミュニティーが重要な時代です。クリエイターが集まっていろいろなデジタルクリエイティブ活動をして、お金を回していこうとしているところです。
2階層目は、たまったデータによりプラットフォーム自体を改善し始めていく。それが起こり始めるのが2030年のちょっと前くらいだと僕は考えています。そうなってきたら、もう何が起こるか分からないですね。いろいろな産業に影響を及ぼすでしょうし、当たり前のようにデジタル表現というものが周りにあふれている時代が来ます。
そうなってくると、デジタルをアシストに使うというところから、既存産業のあり方がデジタル中心になっていくはずです。
取材・文/大内孝子 写真/山下陽子
ボストン コンサルティング グループ監修/日本経済新聞出版/1980円(税込み)