NTTが世界の情報通信産業をもう一度塗り替えようと全社一丸となって進める、光技術をベースにした次世代情報通信基盤「IOWN(アイオン)」。このIOWNが生まれたきっかけとなったのは、現在NTT持ち株会社の副社長を務める川添雄彦氏のある一言だった。『NTTの叛乱』の著者が迫る。

「デジタル小作人」に甘んじる日本企業

 かつての日本は世界に冠たる情報通信大国だった。例えばNTTドコモが1999年に開始した「iモード」。これまで「もしもしはいはい」の端末だった携帯電話に、モバイル・インターネットという新しい扉を開けた。だが世界進出に頓挫し、逆にiモードのビジネスモデルを徹底研究したといわれる米アップルや米グーグルが生み出した新たなイノベーション、スマホによって日本を含む世界中を席巻されてしまった。

 iモードをはじめとしたケータイは、日本固有種としてガラパゴス化し、進化の袋小路に陥った。その結果、日本の端末メーカーは次々と市場撤退を余儀なくされた。

 インターネットの特徴は、規模の経済性が働く点だ。ここで主導権を握った企業は「勝者総取り(ウィナー・テイク・オール)」となる。インターネットからスマホに至るまで、米国を中心とした巨大テック企業が規模の経済性の勝者となったことが、日本をデジタル赤字の膨張に追い込んだ。

 日本の情報通信産業の代表的な存在であるNTTは1989年、時価総額で世界首位に立った。だが2000年代半ば以降、米アップルや米アルファベット(グーグルの持ち株会社)、米アマゾン・ドット・コムなどに軒並み追い抜かれていった。NTTが内向き志向にとらわれているうちに、巨大テック企業の背中が見えないほど引き離されてしまったのだ。

 日本は現状、海外の巨大テック企業に手数料を支払い続け、「働けどはたらけどなお、わがくらし楽にならざり」を地で行く「デジタル小作人」の立場に甘んじている。日本はこのまま世界の情報通信産業において、勝ち筋を見いだせないまま地盤沈下を続けるしかないのか。

 こんな状況を覆そうと動いているのが、実はNTTである。世界の情報通信産業をもう一度塗り替えようと全社一丸となって進める、光技術をベースにした次世代情報通信基盤「IOWN(アイオン)」が、予想を上回るスピードで動き始めている。

海外と結ぶ初のIOWN

 「ハッピーバースデー、ディア、アイオン」

 2024年8月末、東京・武蔵野市にあるNTTの研究開発拠点「NTT武蔵野研究開発センタ」のホールにこんな歌声が響いた。

 ホール舞台上にはピアノとフルート奏者、そして司会の男性がいる。もう一方の歌声は、武蔵野市から約3000km離れた台湾の北西部、桃園市の会場から映像と音声が送られている。これだけ距離が離れているにもかかわらず、両会場の歌声はあたかも同じ会場で演奏しているかのように違和感なく交わり合った。

 約3000km離れた両会場をつないだのが、実はNTTが推進するIOWNの技術だ。IOWNの商用第1弾となるネットワークサービス「オールフォトニクス・ネットワーク(APN)」を用いて、台湾の大手通信事業者である中華電信とNTTが、初の国際間通信を開通させた。そのことを記念してセレモニーを開いたのだ。

台湾と日本を結ぶ初のIOWNが開通した(提供:中華電信)
台湾と日本を結ぶ初のIOWNが開通した(提供:中華電信)
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 APNとは、情報を光信号のままやり取りする高速専用道路のようなネットワークである。光の速度は宇宙で最も速く、情報をやり取りする際の時間差はほとんど生じない。約3000km離れた東京・武蔵野市と台湾間の映像や音声の時間差も、APNを用いると、0.017秒ほどに収まったという。

 通常のインターネットを使うと、これだけ離れた場所で同時演奏することは難しくなる。インターネットの場合、途中で光信号から電気信号に変換されることがほとんどだ。またインターネットでは通信の混雑時や瞬間的に断絶(瞬断)した際に、データをもう一度、送り直す仕組みが備わっている。これが多少の不具合でも粘り強く、通信をやり取りできるというインターネットの特徴をもたらす。だが一方で、情報の再送などによって、情報のやり取りの際にどうしても時間差が生じる。インターネットを使って東京・武蔵野市と台湾間でやり取りする場合、およそ0.2〜0.5秒の時間差が発生するという。APNを使った場合と比べて10〜30倍も時間差が大きくなる。IOWNのAPNを活用したことが、約3000km離れた地点でもアンサンブルを可能にした理由だった。

 「IOWNのAPNはグローバル企業の業務を向上させるチャンスになる。例えば(データの)バックアップを(日本と台湾間で)取れるようになることは非常に重要だ」

 セレモニーに参加した中華電信の郭水義会長は、日本と台湾を結ぶ国際間IOWNネットワークサービス開通の意義をこう述べた。

 台湾には、台湾積体電路製造(TSMC)など半導体関連で世界をリードする重要企業が集まっている。一方で台湾周辺は、中国の海洋進出によって緊張感が増している。仮に「台湾有事」が起きた場合、台湾の半導体関連企業はもちろん、世界の情報通信産業全体のサプライチェーンにその影響が広がりかねない。企業活動を支える最新データを時間差なく日本などにもバックアップできれば、事業継続に役立つ。中華電信の郭会長のコメントからは、有事の際に役立つ存在としてIOWNに期待している様子が伝わってくる。

生成AIによる電力消費の爆発

 IOWNとは、高速でエネルギー効率に優れた光技術をネットワークからコンピューティング基盤に至るまで活用し、世界のインターネットや情報処理基盤を根こそぎ変革していこうという技術基盤のことである。NTTが2019年に発表した。

 IOWNは、前述のAPNのような光技術を用いたネットワークサービスにとどまらず、サーバーやパソコン、最終的にはスマホのようなデバイスにまで光技術を導入していくことを狙う、野心的な構想だ。

 あらゆるデバイスにIOWNの光技術を導入していくと、どんなメリットが生まれるのか。最大のメリットは、従来の電気信号を使う場合と比べて電力消費を大幅に削減できる点である。

 現在、世界の情報通信で使われているネットワーク機器やサーバー、これらを集中処理するためのデータセンター、我々が日常的使っているパソコン、スマホなどは、ほぼ電気信号を用いて処理されている。通信や演算などの情報処理が発生するたびに電力が消費される。電気信号の場合、電気抵抗が存在する金属や半導体の中に信号を通す必要があるため、高速・大容量で伝送すればするほどエネルギー損失が大きくなり熱が発生する。データセンターにおいては、これらの熱を冷ますために大規模な冷却装置が必要になり、ここでも多くの電力が消費される。

 現在、生成AI(人工知能)のブームによってデータセンターの電力消費量が急増している点が、世界で課題となっている。

 生成AIをつくるには、大量のデータを使った膨大な計算処理が必要だ。最近では生成AIの性能指標であるパラメーター数が数百億、数千億を超えるタイプが登場しており、この規模の生成AIの構築には、原発1基1時間分に相当するような1300メガワット時もの発電能力が必要といわれている。

 データセンターの電力消費量は今後もどんどん増えていく。国際エネルギー機関(IEA)は2026年の世界のデータセンターの電力消費量が、2022年の約2倍に相当する1000テラワット時に増えると試算する。電力シンクタンクの電力中央研究所も、2021年に9240億キロワット時だった日本の電力消費は2050年には最大で約4割増えると予測する。データセンターの電力消費量の急増が1つの要因と指摘する。

 人類が生み出すデータは年々拡大してきた。これまでは過去50年にわたって、電子産業をけん引してきた「ムーアの法則」によって、データ量の拡大による消費電力の爆発を抑えられた。ムーアの法則とは、微細化技術の進展でCPU(中央演算処理装置)の性能が1年半で2倍になるという経験則だ。データ量が増えてもCPUの性能向上で消費電力の増大をカバーできたのだ。

 だが生成AIによる膨大な計算処理の需要は、ムーアの法則による性能進化ではカバーできないペースになってきた。さらにムーアの法則自体も、半導体の微細化に陰りが見え、動作周波数と消費電力の両面で進化の壁に直面している。

 IOWNはこのような消費電力増大の課題を、エネルギー効率に優れた光技術をあらゆる領域で活用することで抜本的に解決していくことを目指している。ネットワーク機器からサーバー、データセンター、パソコンなどあらゆる情報通信基盤に使われている電気信号を光信号に置き換えることで、電力消費を一気に抑えていくのがIOWNの狙いだ。

 最終的にIOWNが目指す電力効率の目標は現在の100倍。このほか伝送容量も同125倍、エンド・ツー・エンドの遅延も同200分の1にするという極めて野心的な目標を掲げた。IOWNの目指す性能が実現できた際には、最終的にはスマホの充電回数が1年に1回ぐらいに抑えられるのも夢ではない。

「インターネットの次をやりませんか」

 IOWNのコンセプトを生み出し、世界進出に向けてプロジェクトを旗振りするのが現在、NTT持ち株会社で副社長を務める川添雄彦氏だ。川添氏はIOWNの名付け親であり、生みの親の1人である。

 川添氏は早稲田大学大学院理工学研究科修了後の1987年、NTTに入社した。入社直後からNTT研究所の配属となり、衛星通信システムやパーソナル通信システム、放送と連携したブロードバンドサービスなどの研究開発に取り組んだ。以来、NTTグループの事業会社を経験することがない「研究」系人材としてキャリアを築いてきた。

 NTTの多くの研究系人材は、真面目を絵に描いたような話し下手な人が多い。しかし、川添氏にそれは当てはまらない。話し上手でメディアにも積極的に登場し、IOWNの可能性を熱く語る。若いころウインドサーフィンを嗜んだ経験を持つことから、日本ウインドサーフィン協会の会長も務める。関わりのあるコミュニティーも多彩だ。

IOWNの旗振り役であるNTTの川添雄彦副社長(撮影:的野弘路)
IOWNの旗振り役であるNTTの川添雄彦副社長(撮影:的野弘路)
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 「インターネットの次をやりませんか?」

 今から6年前の2018年、NTT社長に就任する直前の澤田純氏に呼ばれた川添氏は、このように持ちかけた。

 当時、川添氏が抱いていた問題意識は、インターネットがもたらした「数の論理」の課題だった。インターネット普及前の1990年代以前、世界のビジネスは「質の論理」で動いていたと川添氏は語る。高品質な製品やサービスを生み出すことが価値となり、よい製品をつくり出すことがビジネスに成功につながった。その代表例が日本の製造業だ。日本の自動車産業や家電産業は、生産工程の改善を繰り返したことで、高い品質と低価格を実現し、世界を席巻した。

 だが2000年前後に本格化したインターネットが、世界のビジネスを「数の論理」に塗り替えた。米グーグルや米アマゾンといった巨大テック企業は、国を超えて利用者から大量のデータを集め、データに基づいた広告や電子商取引(EC)を展開した。多くの利用者とデータを集めることによって、世界の巨額の富を集めるに至った。日本企業は「質の論理」による成功体験にとらわれ、「よい製品をつくれば世界で売れる」という考え方から脱却できなかった。それが現在の日本のデジタル赤字増大を生んだ一因といえる。

 では、このインターネットによる「数の論理」は永久に続くのか。川添氏は「世界には様々な価値観があり、次に『価値の論理』の時代が訪れる可能性がある。そのために必要になる新たなインフラこそがIOWNだ」と強調する。

 ちょうどそのころ、NTTの研究所において、IOWNのベースとなる研究成果が形になりつつあった。2019年4月、英科学誌「ネイチャーフォトニクス」に論文が掲載された「光トランジスタ」がそれだ。

 NTTの研究所は、ナノフォトニクスと呼ばれる微細化技術を用いて、わずか10×15μm(μは百万分の1)の基板上に、入力された光信号をスイッチ操作したり増幅したりできる光のトランジスタを実現した。トランジスタは、信号処理のベースとなるデバイスである。トランジスタを大量に集積したのがCPUだ。

 この光トランジスタは光信号のみの入出力で動作するデバイスだが、実は内部で光信号から電気信号、そして電気信号から光信号へ再び戻す構造になっている。光信号と電気信号を変換する技術が「光電融合」である。従来は光信号から電気信号へと変換する際に生じる電荷はごくわずかで、電気信号に変換する際に電気増幅器が必要だった。せっかくエネルギー効率に優れた光信号を扱ったとしても、電気信号に変換する際の増幅でエネルギー消費が増えてしまう課題があった。

 NTTが開発した光トランジスタは、微細化技術を用いることで、電気信号に変換する際に生じるごくわずかな電荷量でも再び電気から光へ変換できるようにした。信号変換に必要なエネルギー量を、ほぼ光だけでまかなえるのだ。NTTは光技術の研究開発を1960年代から進めてきた。脈々と続けてきた基礎研究の歴史が、ブレークスルーにつながった。

NTTの研究所が開発した「光トランジスタ」(提供:NTT)
NTTの研究所が開発した「光トランジスタ」(提供:NTT)
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 この光トランジスタが、2019年にIOWN構想を発表する大きなきっかけになった。論文の発表当時、まだ基礎的なレベルですぐに実用化できる段階にはなかったが、電気信号で動く計算処理の基盤を光信号に置き換えられるという道筋を示したことが大きかった。「(当時NTTの社長だった)澤田と共に『光技術で新しいイノベーションを起こそう』という話になり、IOWN構想をまとめた」と川添氏は当時を振り返る。

 世の中の情報通信基盤を一気に光信号に変えることは難しい。微細化が進む電子回路と比べて光技術を使った回路は相対的にサイズが大きいためだ。そこでIOWNでは、光技術の微細化の進展に伴って、光信号を活用するエリアを段階的に広げていく絵を描いた。

 具体的には、光信号と電気信号を変換する光電融合デバイスを徐々に小型化し、微細化が難しい部分は直前で光信号から電気信号に変換するというアプローチだ。サーバーのボード間からチップ間、最終的にはチップ内などと、微細化のステップごとに光信号で処理する部分を増やしていく。

 こうしてNTTが再び世界に挑戦する一大プロジェクト、IOWNが産声を上げた。

低迷にあえぐ日本を象徴する巨大企業が、生まれ変わろうとしている。事業領域を再生可能エネルギー、デバイス製造、宇宙開発などへ広げ、さらには次世代情報通信基盤「IOWN(アイオン)」で世界に勝負をかける。だがそれは、NTTの「叛乱」でもあった――取材歴20年の記者が通信史上最大の転換点に迫る、渾身のノンフィクション!

堀越功(著)、日経BP、1870円(税込み)