「河野龍太郎の『成長の臨界』を考える」第3回は財政問題を取り上げます。『経済史の構造と変化』(ダグラス・C・ノース著)、『道徳感情論』(アダム・スミス著)、『じゅうぶん豊かで、貧しい社会』(ロバート・スキデルスキー&エドワード・スキデルスキー著)の3冊は、財政規律の弛緩(しかん)が成長を阻害する理由と、次世代への共感力を呼び起こすことによる財政健全化の可能性を示唆します。

なぜ小国が大英帝国になり得たのか

 日本政府が莫大な借金を抱えていることは周知の通りです。財政の健全性が重要であることは世界史を振り返ることでも分かります。1993年にノーベル経済学賞を受賞した経済史の大家ダグラス・C・ノースの名著『経済史の構造と変化』(大野一訳/日経BPクラシックス)は、財政問題を考える上で示唆に富んでいます。

 17世紀後半まで小国だったイギリスが、その後大英帝国として世界に君臨できたのはなぜでしょうか。当時、欧州大陸では戦争が繰り返され、負ければ占領されるリスクがあったため、強固な王権が求められました。その裏返しとして、欧州大陸国の国王は、財政が苦しくなると、国民の財産を没収したり、増税したり、借金を踏み倒したりしていました。国民は常に財産を奪われるリスクを抱えていました。そんな国で国債を発行しても、誰も買おうという気にはなれません。

『経済史の構造と変化』(ダグラス・C・ノース著/大野一訳/日経BPクラシックス)
『経済史の構造と変化』(ダグラス・C・ノース著/大野一訳/日経BPクラシックス)
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 一方、イギリスは大陸と海を隔てているので、他国から侵略されるリスクは小さく、また、王位継承を主張する有力者が常に複数いたため、王権は脆弱でした。国王が国債を発行する際には議会の承認が必要でしたが、議会承認は返済が可能であると議会がお墨付きを与えたようなものですから、国民は安心して国債を買うことができ、それは金融市場の高度な発達をもたらしました。その後の英仏戦争で英国が勝利した背景がここにあります。

 また、国王による借金踏み倒しの心配がないことは、国民の所有権を認めることでもありました。その所有権は金銭的・物理的な財産だけでなく、知的財産にも及びました。

 何かを発明すれば、知的財産とみなされ、相応のリターンを得られる。このことがインセンティブになり、イギリスは18世紀半ば以降、最も早く産業革命を経験し、急速な経済成長を遂げました。

 そもそも他人がコストを負担するのなら、人は経済資源を効率的には利用しません。追加財政が繰り返され、財政のサポートなしではやっていけない人が増えれば、経済が成長しないのは当たり前です。財政規律が弛緩(しかん)した社会では、創意工夫のインセンティブは起きないし、生産性も上がりません。当時は、現代のような高度かつグローバルな金融市場が存在しなかったので、未曽有の水準まで公的債務を膨らませることも不可能でした。

 今日の日本はどうでしょうか。本来であれば議会が国の借金を監視すべきなのですが、議会はむしろ債務膨張の先導役になっています。また、中央銀行の金融政策も影響していますが、巨大になった金融市場が公的債務を吸収してしまいます。かといって民主主義や金融市場の自由な取引を止めることもできません。結局、民主主義と金融市場の視野狭窄(きょうさく)な部分が、国の借金を膨張させ、国の支援が当たり前となって、それが成長を阻害する一因になっています。

 ちなみに、英国の経済システムが移植された北米は大いに発展し、それが今の覇権国の米国となりましたが、欧州大陸諸国が植民地とした中南米は、今も新興国のままです。私たちはもっと視野を広げ、歴史に学ぶ必要がある。そう教えてくれる1冊です。

スミスは競争の前に共感を説いていた

 では、日本は膨れ上がる公的債務を解消できるのか。経済学者は、ほぼ一様に否定的です。なぜなら経済学は、「利己的で合理的な経済人」を前提にしているからです。つまり財政健全化が将来世代のメリットになるとしても、現役世代は自らの生活を優先しようと考えるからです。これは財政問題のみならず、例えば地球温暖化問題など世代をまたぐ問題について当てはまります。

 しかし、“経済学の父”アダム・スミスの最初の著書である 『道徳感情論』 (村井章子、北川知子訳/日経BPクラシックス)が想定している人物像は、違います。人間には本来、相手の感情を自分の感情として写し取る共感力があり、それこそが社会を高度に繁栄させてきたと説いています。アダム・スミスといえば、分業と競争が経済発展を促すと説いた『国富論』が有名ですが、『道徳感情論』では「富や地位を追求するむなしさ」を語っていました。しかし、いつの間にかこの主張は忘れ去られ、市場主義の始祖というイメージが固まってしまいました。

『道徳感情論』(アダム・スミス著/村井章子、北川知子訳/日経BPクラシックス)
『道徳感情論』(アダム・スミス著/村井章子、北川知子訳/日経BPクラシックス)
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 拙著 『成長の臨界 「飽和資本主義」はどこへ向かうのか』 (慶応義塾大学出版会)でも、折に触れて『道徳感情論』を取り上げ、私たちはこの世界観を顧みなければ、成長はいよいよ限界に達すると論じました。逆に言えば、共感の力を呼び起こし、将来世代への利他性を促す仕組みができれば、財政健全化は可能かもしれません。

「現役世代は将来世代へ思いをはせる必要があります」という河野さん
「現役世代は将来世代へ思いをはせる必要があります」という河野さん
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「よい暮らし」は「足るを知る」ことから

 『道徳感情論』は約250年前に書かれた古典です。読みやすい翻訳も出版されていますが、全文を読み通すには骨が折れるという人も多いでしょう。そこで副読本としてお薦めしたいのが、 『じゅうぶん豊かで、貧しい社会 理念なき資本主義の末路』 (ロバート・スキデルスキー&エドワード・スキデルスキー著/村井章子訳/ちくま学芸文庫)です。ケインズ研究の世界的権威とその子息である政治哲学者による共著で、現代資本主義の貪欲さに警鐘を鳴らし、「よい暮らし」とは何かを探っています。

 約100年前、ケインズは「100年後には技術進歩によって平均所得は4~8倍になり、1日の労働時間は3時間程度に短縮する。人類は余った時間をどう過ごすかが重要な課題になる」と予見しました。では、現在どうなっているかといえば、確かに豊かにはなりましたが、相変わらず1日の大半を労働に費やしている人がほとんどでしょう。ケインズは何を読み違えたのか、私たちは何を改めるべきなのかを、著者たちは論じます。

『じゅうぶん豊かで、貧しい社会』(ロバート・スキデルスキー&エドワード・スキデルスキー著/村井章子訳/ちくま学芸文庫)
『じゅうぶん豊かで、貧しい社会』(ロバート・スキデルスキー&エドワード・スキデルスキー著/村井章子訳/ちくま学芸文庫)
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 金銭的・物質的な豊かさを追求するだけでは、「よい暮らし」は得られない。かといって「心の豊かさを追求せよ」と説いているわけではありません。まず「貪欲」と「必要」を分ける、つまり「足るを知る」が重要とした上で、「よい暮らし」の根本的な要素は主観ではなく、客観的なものではと問いかけます。具体的には、健康、安定、自己の確立、尊厳、自然との調和、友情、余暇の7つです。これらを「基本的価値」と位置付けます。これらのキーワードは、高齢化社会や人権、地球温暖化、ワークライフバランスなどすべての国が抱える問題とも大きく関係しています。

 さて、昨今の若い世代の傾向として、物質的な豊かさにあまり関心がないように見えます。スマホでつながる相手さえいれば、クルマも立派な家もいらない。だからガツガツ働きたくない、という感じがします。年配世代からは「欲がなさ過ぎて心配」との声も聞かれますが、ひょっとすると若い世代には「よい暮らし」の何たるかがよく見えていて、反省すべきは年配世代かもしれません。

 ここで私は、清貧の思想で、ゼロ成長を甘受せよと言っているわけではありません。確かに、物質社会を前提にしたままなら、地球温暖化の問題もあって、我々は、いずれ成長の限界に達し、望んでも望んでいなくても、成長を続けられなくなります。

 しかし、もし、例えば、コミュニティーを重視し、脱物質化社会に移行することができるのなら、私は、別の形で、経済成長が可能だと考えています。人々が求めるものが物質ではなく、快適さや安全性といった必ずしも形が見えない価値に移行するということです。これらは次回以降、お話ししますが、そのことが肌感覚で分かっている若者が現れ始めたのではないか、ということです。

文/島田栄昭 取材・構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/鈴木愛子

日経BPクラシックス
『道徳感情論』
新しい資本主義を考える際の必読書

アダム・スミスといえば、利己心が市場経済を動かすという『国富論』の記述が有名だが、『国富論』に先立つ主著である本書では、他者への「共感」が人間行動の根底に置かれる。リーマン・ショック後の世界的な経済危機を経て、新しい資本主義を考える際の必読書といえる。

アダム・スミス著/村井章子、北川知子訳/日経BP/3520円(税込み)