日本にとってデフレよりインフレの方が望ましいのか。インフレへの転換を経済再生にどのように結び付けるのか。「経済学の書棚」第28回後編は、1990年代に日本がデフレに陥った状況を整理し賃上げこそがデフレ脱却の鍵を握ると唱えた『デフレーション』、インフレの歴史をたどって経済にもたらす「歪み」を明らかにする『僕たちはまだ、インフレのことを何も知らない』を取り上げる。
物価と賃金を巡る議論の土台を作る
慢性デフレからインフレへの転換が視野に入ってきた日本経済。デフレよりインフレの方が日本にとって望ましいと言えるのか。後編では、デフレとインフレの本質に迫る本を取り上げる。
東京大学名誉教授の吉川洋氏は『 デフレーション “日本の慢性病”の全貌を解明する 』(日本経済新聞出版社/2013年1月刊。リンクは電子書籍版でディスカヴァー・トゥエンティワン刊行)で、1990年代に日本がデフレに陥った状況を整理し、賃上げこそがデフレ脱却の鍵を握ると唱えた。賃金と価格が据え置かれる日本の慢性デフレの構造を明らかにし、物価と賃金を巡る議論の土台を作った書と言える。
第2次安倍晋三政権は同書の主張を取り入れ、経営側に賃上げを求めるようになった。安倍政権の終了後も歴代政権は経営側に賃上げを求め続け、2023年頃からようやく賃上げの動きが広がってきた。
同書によると、デフレは経済、とりわけ深刻な不況に陥っている経済にとって大きな問題だという点で、経済学者の間で大きな異論はない。名目金利を一定とするとデフレによって「実質金利」が上昇する。不況の中で実質金利が上がれば、設備投資や住宅投資など投資の足を引っ張る。価格下落を見越した消費者は買い控えをする。
デフレにより負債の実質的な負担が大きくなると、企業は倒産・破綻に追いやられてしまう。その結果、失業率の上昇、投資の減少などを通して実体経済の悪化が深まり、物価の下落すなわちデフレはさらにひどくなる。
デフレを解明できない貨幣数量説
デフレにどう対応すべきか。19世紀末に英国が陥った大不況(1873~96年)に直面した経済学者たちは、物価は貨幣数量に比例すると唱える「貨幣数量説」をよりどころに対応策を考えた。しかし、貨幣数量説はデフレの解明に決して成功したとは言えないと吉川氏は主張する。
貨幣数量説が正しければ、貨幣数量を増やせば自動的に物価は上がる。米国の経済学者、ミルトン・フリードマンが提唱したマネタリズムは貨幣数量説の現代版であり、現代経済学もこの仮説を受け継いでいる。
日本銀行が実施した異次元緩和は「リフレ派」と呼ばれる経済学者たちの意見を取り入れた金融政策だった。リフレ派が依拠したのは米国の経済学者、ポール・クルーグマンが1998年の論文で示したモデルだ。このモデルでは、名目金利がプラスのときは単純な貨幣数量説が成立し、金利がゼロのときは中央銀行が将来、貨幣供給を増やすだろうと人々に期待を持たせれば、期待インフレ率の上昇を通じて実質金利が下がり、需要が刺激される。貨幣数量説や「期待に働きかける」金融政策に疑問符をつける吉川氏は日銀の異次元緩和を当初から厳しく批判してきた。
吉川氏は、現実の経済では、個別の財・サービスの価格が決まり、一般物価水準は個別の価格を加重平均した結果にすぎないと説き、物価が決まる仕組みを解明した理論として、ポーランドの経済学者、ミハウ・カレツキーの「二部門アプローチ」に光を当てる。
商品の価格を決めるのは生産者
カレツキーはマクロ経済を分析する際には、一次産品のように需要によって決まる価格と、生産費用によって決まる「つくられた」モノやサービスの価格を明確に区別する必要があると指摘した。一次産品の価格は国際市場での需給の力によって決まる一方、「つくられた」モノやサービスの価格は生産費用に利潤マージンを足して生産者が決める。生産費用は人件費と原材料費からなる。
このアプローチの特徴は生産費用を反映させて価格を決めるのはあくまでも生産者であり、労働者との対等な交渉によって決まるものではないとみている点にある。生産者(経営者)は名目賃金と労働生産性を比べながら人件費を決め、最終価格も決定しているのだ。個別の財・サービスの価格を決める際に問題となるのは他の財・サービスの価格と比較した「公正」であり、そこに人々の「期待」が入り込む余地はないと断言する。
吉川氏はカレツキーのアプローチを参考にしながら、ほとんどすべての財・サービスの価格に大きな影響を与える名目賃金の動向が日本のデフレの鍵を握ると結論付けている。
デフレは長期低迷の原因ではなく結果
デフレは経済にとって大きな問題ではあるが、デフレは長期停滞の結果であって原因ではないと吉川氏は診断する。1990年代以降の日本経済の低迷は、設備投資の循環、不良債権問題、イノベーションを生み出す力の低下など様々な原因が重なった結果であり、貨幣供給量の不足、あるいは技術進歩の伸び悩みといった一つの原因で説明しようとするのは誤りだと重ねて批判する。
英国の経済学者、スティーヴン・D・キング著『 僕たちはまだ、インフレのことを何も知らない デフレしか経験していない人のための物価上昇2000年史 』(千葉敏生訳/ダイヤモンド社/2024年3月刊)は、世界のインフレの歴史をたどり、インフレが経済にもたらす「歪み」を明らかにする書だ。日本では慢性デフレからの脱却を歓迎する論調が目立つが、インフレを侮ってはならないと考えさせられる。
1980年代終盤以降、インフレはますます歴史の遺物とみなされるようになった。ほとんどの人は「物価安定」の世界にすっかり慣れきってしまった。
第1章の冒頭に登場するこの記述は日本を対象にしたものではなく、世界全体が対象である。こんな状況の中で世界にインフレが再来した。新型コロナウイルスのパンデミックや、ロシアのウクライナ侵攻が原因だとの声が広がり、もっと根深い問題の表れかもしれないと認める気概のある者は皆無に近かったという。
インフレ対応が遅れた米国
米国は長期間、緩和的な金融政策を放置し、貨幣供給量の伸びが激しくなりすぎた。パンデミック後のインフレの根本原因は金融政策の放漫にあると糾弾する。
著者によると、インフレは密かに忍び寄る敵であり、経済全体や政治的・制度的な構造をめちゃくちゃに破壊してしまうまぎれもない猛獣だ。インフレは一部の人たちから資産をむしり取り、残りの人たちに分配する、気まぐれで不公平なメカニズムだ。特に大打撃をこうむりやすいのは、限られた現金しか持たない人々、つまり貧困層や年金受給者たち。
一方、政府、住宅購入者、一部の企業など借り入れの多い人々や組織は最終的に勝ち組に回るかもしれない。増加中の所得と比べて相対的に負債が目減りしていく可能性が高いからだ。いつでもストライキを実行できる労働組合加入の労働者もインフレ率を上回る賃上げ交渉に成功することが多い。逆に、個人事業主や零細企業の労働者は賃金の伸びがインフレ率に及ばない可能性が高い。
財政難の政府はインフレを好む
勝ち組に回りそうな組織の一つとして、政府を挙げているのは興味深い。インフレは事実上、富に対する隠れた税金として作用し、政府財政にとっての救世主となりうるとみている。
しかし、多少のインフレを容認する政府や中央銀行は、市民たちから思わぬしっぺ返しを食らう可能性が高い。人々が金融当局や財政当局への信頼を失い、ますます貨幣を手放そうとする恐れがある。通貨の堕落に対する一抹の不安はハイパーインフレという現実に姿を変える。
政府や中央銀行がインフレ目標を掲げ、貨幣供給量をコントロールしようとしても、人々がそれを信じて行動するかどうかは分からない。人々は「インフレ予想」ではなく「経験則」に従って行動する。著者は「貨幣数量説はあまりにも単純すぎるといえる。貨幣数量説が成立するか否かは、貨幣の流通速度に影響を及ぼす具体的な要因によって決まる」と唱えている。
今後の見通しにも言及している。超グローバル化の時代は終わりを迎えつつあり、世界の供給状況が悪化した結果、インフレ率がかつてよりも高まりやすくなった。今回のインフレ率の高騰を盛んに矮小(わいしょう)化しようとする人々は、その脅威の本性を見誤っていると警告し、インフレに対処するためには、金融当局が財政当局を支配し、金融政策を財政政策よりも優先させるべきだと訴えている。
日本では政府と日銀が一体となって2%のインフレ目標を掲げている。デフレからの脱却が日本経済にとって望ましいのは確かだが、それで日本経済が回復軌道に乗る保証はない。その一方でインフレのリスクも忍び寄っている。デフレからインフレへの転換を日本経済の再生にどのように結びつけるのか。政府・日銀が注視しなければならないのは、金融緩和の「出口」だけではない。
写真/スタジオキャスパー


