貨幣の役割をめぐる歴史研究の新たな成果が次々と生まれ、なかには金融論の常識を覆すものもある。「経済学の書棚」第6回後編は、公権力の保証がない渡来銭が日本で普及した謎を解き明かす『日本の中世貨幣と東アジア』と、貨幣は地域の信用に根差している点に注目した『貨幣の統合と多様性のダイナミズム』を紹介する。
前編
「お金と銀行はどのように成立したのか 起源を探る2冊」
渡来銭が流通した中世日本
慶応義塾大学教授の中島圭一編『 日本の中世貨幣と東アジア 』(勉誠出版/2022年9月刊)の執筆に当たったのは研究者15人。文献史料と考古資料の両面を活用した、中世貨幣史研究の最先端といえる論文を紹介している。
中島氏によると、中世の日本は東アジアの国際社会からの退場を選び、国際標準の国家モデルを維持する意欲を失った。国家権力が弱体で、朝廷や幕府は銭貨を発行せず、唐・宋・元・明などの中国歴代王朝の制銭が大量に流入し、朝鮮半島の高麗・朝鮮、べトナムなど周辺諸国のものも加わって、渡来銭の流通が活発になった。のみならず、送金の手段として為替が発達し、「割符」(さいふ)という手形の使用も広がるなど渡来銭の流通を補完する信用システムも整い、中世経済の成長を支えた。
ところが、15世紀末から16世紀にかけて銭の種類や状態によって価値に差をつける撰銭(えりぜに)が広がって流通が不安定になり、割符も使われなくなった。戦国時代の通貨変動の中で、室町幕府や大名などの公権力は撰銭を規制する撰銭令を発するなど貨幣流通に関与し始めた。さらに、金・銀が隔地間送金や交換の手段として使われるようになり、江戸幕府による金・銀・銭の三貨制度の樹立につながっていく。
公権力による保証を欠き、銅銭であるがゆえに金属としての価値の裏付けも不十分な渡来銭が何を基盤に国内通貨となり得たのか。数百年にわたって問題なく流通していたのにどのようなメカニズムで価値が不安定になったのかなど、貨幣の性質を考察するうえで、興味深い問題が日本の中世貨幣には潜んでいると中島氏は指摘する。
同書では、「中世貨幣の成立と展開」、「貨幣をめぐる明と日本」、「出土銭からみた貨幣流通」、「中世から近世へ」と時代を追って論点を掘り下げていく。
松山大学名誉教授の岩橋勝編著『 貨幣の統合と多様性のダイナミズム 』(晃洋書房/2021年2月刊)の執筆陣は研究者16人。岩橋氏によると、多くの貨幣研究者は、国家の役割と信用の発達に着目する。国家が貨幣を制度化し、貨幣は一律のルールの下で機能する。19世紀のイングランド銀行が代表例。近代国家では要となる制度であり、経済活動を活発にするうえでは必要不可欠な制度と考えられている。
それに対して信用は国家によって構築されるものではなく、人々の日々の活動によって醸成されていく。地域や民族などによって多様であり、貨幣制度を考察するなかで信用を分析対象から外す研究者も少なくない。
しかし、世界各地で多くの人々が地域の慣習に根差した貨幣を取引しており、決して無視してはいけない事象だと岩橋氏は主張する。
法の支配が着実に機能していない社会で貨幣はどのように使われ、人々の活動に貢献していたのか。人々は互いの利益を確保するため、互いにどのような信用を提供し合っていたのか、という視点に重きを置き、同書では「貨幣の統合と多様性のダイナミズム」を検討した。
近世以前の日本では、地域により多種多様な貨幣が流通した。貨幣を介した取引は当事者相互の信用のみを基盤としていた。
中世末期から織田(信長)・豊臣(秀吉)期、江戸時代の貨幣制度の展開を考察すると、大きな断絶があったように見えるが、むしろ着実に社会のニーズに合わせて貨幣が変容した事実が明らかになってきている。日本の貨幣流通は連続性を維持しながら変容を遂げてきたと指摘している。
貨幣を「統合」できなかった江戸幕府
古代・中世からの推移を観察・比較すれば織豊政権から徳川政権にいたる期間の貨幣の使用状況は明らかに「統合化」に向かったように見える。とりわけ銭貨不足のため多種の銭貨が重層的に流通し、複雑多岐を極めていた状況から、「三貨制」という形で統合化が試みられた意義は大きいが、それは通常の「貨幣統合」とは全く異なっていた。それまでの基軸通貨であった銭貨に金銀貨が加わって新しい多様化をもたらした。
江戸幕府は三貨の交換比率を公式に提示したものの、地域ごとに三貨相場が立っており、「統合」という状況にはあたらず、明治初年の「円の誕生」まで統合はかなわなかったと分析している。
同書の基盤をなす方法論は文献史学と貨幣考古学だ。貨幣の統合と多様化のダイナミズムを、国家の役割と地域的な信用醸成との相克および補完関係から分析する手法は、日本以外の地域を対象とする際にも有効だとみており、同書では、モンゴル帝国や古代ローマ、インドの貨幣に関する研究も取り上げた。
暗号資産に代表される国家の信用を持たない貨幣が広範囲に使用されるようになっている現在、近世以前の日本と同じように個人や組織の信用を背景とした貨幣制度に回帰している感も否めない。21世紀の貨幣は個人や地域あるいはサイバー空間で信用ある民間組織への信用に基づく決済手段になりつつあり、数百年前の貨幣に対する認識に戻りつつあるとの見方を示している。
貨幣や銀行制度の歴史研究は、目の前で大きく変化しつつある貨幣や金融機関の役割と機能を再認識し、どのように利用すればよいのかを示唆している。


