「格差」や「不平等」を巡る研究は、「効率性」(生産)に力点を置く主流派、データや理論を駆使して取り組むものなどさまざまだ。「経済学の書棚」第34回前編では、格差研究の第一人者であるトマ・ピケティ氏の近著『平等についての小さな歴史』、最新の研究データを基に同氏の仮説に異議を唱える『資産格差の経済史』を取り上げ、両者の見解が食い違う理由を探る。

「格差」や「不平等」をテーマとする研究が世界中で活発になっている。「経済学の書棚」第34回前編では、格差研究の第一人者であるフランスの経済学者、トマ・ピケティ氏の近著と、同氏の仮説に異議を唱える経済学者の著書を取り上げ、両者の見解が食い違う理由を探る
「格差」や「不平等」をテーマとする研究が世界中で活発になっている。「経済学の書棚」第34回前編では、格差研究の第一人者であるフランスの経済学者、トマ・ピケティ氏の近著と、同氏の仮説に異議を唱える経済学者の著書を取り上げ、両者の見解が食い違う理由を探る
画像のクリックで拡大表示

ピケティ氏が示す新たな展望

 「格差」や「不平等」をテーマとする研究が世界中で活発になっている。主流派の経済学では「効率性」(生産)と「公平性」(分配)の問題を切り分け、前者に力点を置く傾向が強いが、データや理論を駆使して分配の問題に取り組む研究者も増えてきた。前編では、格差研究の第一人者であるフランスの経済学者、トマ・ピケティ氏の近著と、同氏の仮説に異議を唱える経済学者の著書を取り上げ、両者の見解が食い違う理由を探る。

 トマ・ピケティ氏は『 平等についての小さな歴史 』(広野和美訳/みすず書房/2024年9月刊)で、これまでの自身の研究を要約し、研究から得られる教訓を総論的に紹介している。加えて、この数年間に持ちあがったさまざまな問題についての論争を取り上げ、研究を通して深めた確信に基づいて「平等の歴史」についての新たな展望を示している。

『平等についての小さな歴史』(トマ・ピケティ著)。これまでの自身の研究を要約し、研究から得られる教訓を総論的に紹介した。画像クリックでAmazonページへ
『平等についての小さな歴史』(トマ・ピケティ著)。これまでの自身の研究を要約し、研究から得られる教訓を総論的に紹介した。画像クリックでAmazonページへ

 格差研究に注力してきた同氏は、「人類の歴史を長い目で見ると、社会階層間の不平等は縮小し、平等の方向に進んでいる」と認識している。ただ、18世紀末以降に広がった「平等への長いうねり」は限定的だと見ており、同書全体を通じて「平等の歴史は道半ばだ」と暗に訴えている。

 ヨーロッパ(イギリス、フランス、スウェーデンの平均値)のデータを見ると、1910年代には最富裕層10%が総所得の52%を占めていたが、1980年代に28%、2020年代に36%になっている。最貧層50%の所得シェアは1910年代に13%だったが、1980年代に24%に上昇し、2020年代に再び21%に低下した。

 2020年代の所得格差は1910年代より明らかに縮小し、20世紀の間に平均所得が著しく増加した。それでもやはり、格差は非常に大きいことを忘れてはならないと強調する。同書では、アメリカやヨーロッパにおける不平等に加え、欧米諸国とアジア・アフリカ諸国との国家間格差にも目を向ける。

 同氏によれば、不平等を生み出すのは社会や歴史や政治である。経済や技術の発展レベルが同じでも、所有権制度や国境管理体制、政治や社会のシステム、税制や教育制度などを整備する手法は多岐にわたり、不平等の程度や構造は時代や社会によって千差万別となる。

 世界の不平等の起源はどこにあるのか。同書ではまず、欧米諸国の奴隷制や植民地の歴史を検証する。欧米諸国が豊かになるうえで奴隷制や植民地主義が大きな役割を果たし、諸国間における富の分配、また一国内での富の分配は、今もなお植民地主義の遺産による深い痕跡を残しているとの認識を示す。

 西欧をはじめ世界で資本主義が発展したのは、国際分業と世界中の天然資源の過剰な開発、人的資源の過剰な酷使によるところが大きく、列強間のパワーバランスがこの歴史に絶対的に重要な役割を果たしたと考えるのが妥当だと結論付ける。ただ、「国家は、それ自体は平等でも不平等でもない。すべては誰が何のために国家を掌握するかに左右される」という。

 同書では、植民地支配に対する賠償問題、20世紀初頭まで続いた納税額に基づく極端な金権政治、1914~1980年に欧米諸国や日本、ロシア、中国、インドで所得や資産の格差が大きく縮小した「大再分配」を取り上げ、平等化の核になる考え方を抽出していく。

 7「民主主義、社会主義、累進税」から10「環境に配慮した多民族共生の民主社会主義へ」までの各章では、平等な社会を実現するための具体的な政策や制度、考え方を詳細に提示している。

南側に開かれた社会連邦主義を提唱

 すべての成人(25歳時点)に最低相続額を支給する「みんなの遺産」、その財源となる累進資産税、会社の規模に応じて個人株主の議決権を厳しく制限する「参加型社会主義」システム、(教育の公平性を実現する前提となる)特定の公職や職業にアクセスできるクオータ制(割当枠)、南側世界に開かれた新しい形の社会連邦主義(=明確で検証可能な社会目標を軸とする民主的連邦主義)など、税制や規制の強化につながる項目が多い。

 同氏は、「これは、いくつかの方向付けにすぎない。私がとりわけ示したかったことは、実施可能な制度がたくさんあること、そしてこうした新たな制度をめぐる結集が、過去の歴史の軌跡を形づくることに大いに貢献してきたということだ」と説く。

 ダニエル・ヴァルデンストロム著『 資産格差の経済史 持ち家と年金が平等を生んだ 』(立木勝訳/みすず書房/2025年5月刊)は最新の研究データを基に、ピケティ氏の主張に反論する書だ。

『資産格差の経済史 持ち家と年金が平等を生んだ』(ダニエル・ヴァルデンストロム著)。最新の研究データを基に、ピケティ氏の主張に反論する書。画像クリックでAmazonページへ
『資産格差の経済史 持ち家と年金が平等を生んだ』(ダニエル・ヴァルデンストロム著)。最新の研究データを基に、ピケティ氏の主張に反論する書。画像クリックでAmazonページへ

 著者はスウェーデンの産業経済学研究所の経済学教授で、「課税と社会」研究プログラムを主導している。著者はピケティ氏(と彼の共著者)が示したナラティブ(語り)を以下のように要約する。

 ヨーロッパの資本価値は歴史的に見ると第1次世界大戦までが高く、アメリカの水準の約2倍あったうえ、その後の西欧世界のほぼどの時点と比べても高かった。富/所得比率(ピケティ氏の著作では資本/所得比率)はとくに2つの世界大戦中に起こった資本へのショックにともなって下降し、戦後期も低いままにとどまった。1980年代および1990年代の政策転換から富の価値が復活し、長期的なU字型パターンが生じた。


 この主張が世界で注目を集めたのは、単に数字が劇的だったからではなく、歴史的に見て、高い富/所得比率が高水準の富の不平等と手を携えて進んでいたからだったと著者は分析する。資本の大半は伝統的に富裕層が所有してきたため、社会の資本が増えれば増えるほど、最富裕層の市民はますます大きな力を得るようになるという考えに発展し、大きな影響力を持つナラティブになったと見ている。

 著者はアメリカやヨーロッパ(フランス、ドイツ、スペイン、スウェーデン、イギリス)の最新データを参照し、新たなナラティブを提示する。

住宅と年金積立金で豊かになった下位層

・過去130年の西欧世界で1人当たりの平均実質純資産は目立って成長した。とりわけ第2次世界大戦後は国民の平均純資産が大きく増加し、1950年から2020年までに7倍になった。

・20世紀初めの富は主として農業資産と事業資産で、ほとんどが富裕層に集中していた。今日では、個人の富の多くが住宅と年金積立金に紐(ひも)づいており、大衆の間でずっと均等に分布している。

・1900年にはアメリカとヨーロッパ5カ国の最富裕層1%が下位90%の4倍の富を保有していたが、2010年時点で下位90%はトップ1%の2倍の富を保有している。

 この3つのナラティブをベースに、他のデータも参照しながら、「戦争によって資本が破壊され、資産格差が縮小した」との見方を否定するナラティブを列挙する。

・19世紀のヨーロッパで「野放しの資本蓄積」が可能になり、富の集中が進行した(=ピケティ氏の見方)のではなく、不平等は18世紀から19世紀にかけて拡大し、1900年前後に最高水準に達した。

・第2次世界大戦中および直後にトップ層の富のシェアが落ちたのは、富裕層もそれ以外も含めたすべての集団で富の価値が上がり、エリート層の豊かさ以上に人々が繁栄したためだ。

・アメリカとヨーロッパでは、資本/所得比率は、富/所得比率よりもずっと安定している。富の不平等の変化は、(2つの世界大戦が起こしたと考えられてきたような)資本への巨大なショックには左右されない。(資本とは生産に用いられる資産のことで、建物やインフラ、機械およびその他の企業資産を意味する。一方、富はもっと広い概念で、生産された資本資産とともに、土地や海外資産のような、生産物でない資産も含まれる。)

 著者が注目するのは、「中間層」の富だ。20世紀に富の平等化が進んだのは、富裕層の富が破壊されたためではなく、ふつうの人々が自宅所有と年金貯蓄を通じて個人の富を構築したためだと主張する。

 フランス、スウェーデン、イギリス、アメリカのトップ10%の富のシェアは1910年代に80~95%であったが、1980年代に50~65%に下がった。1980年以降、スウェーデンではシェアがいくらか高くなったが、他のヨーロッパ諸国とアメリカでは安定しているとの解釈を示している。

戦争は資本を破壊しなかった

 著者が紹介するデータを見る限りでは「19世紀のヨーロッパでは、低い税率と最小限の市場規制によって資本の蓄積が急速に進んだ」「戦争によって資本が破壊され、富の格差が縮小した」というナラティブは根拠が乏しいといえそうだ。

 ただ、ピケティ氏が富の格差縮小をもたらした、もう一つの要素として重視する累進課税の効果については、「さまざまなタイプの課税が歴史的に富のバランスにどう影響してきたのかに光を当てなくてはならない」と明言を避けている。相続税に関しても、「相続と富の不平等との関係は複雑かつ多層的であって、還元主義的なカテゴリー化を受け付けない」と述べるにとどまる。

 「中間層」に関するデータの扱いにも問題がある。ヴァルデンストロム氏は富裕層の富のシェア低下を表す根拠として、下位90%もしくは99%層の富と比較するデータを示すだけで、下位10%や50%層などのシェアには言及していない。本の後半では住宅や年金貯蓄を増やしたのは「中間層」だと説明しているが、各層の富のシェアに与えた影響には言及していない。

 中間層の富のシェア上昇にはピケティ氏も言及している(同氏は最貧層50%と最富裕層10%の間の40%を中間層/中産階級と定義している)。「格差縮小の恩恵を受けたのは中産階級であるが、平等への歩みを過大評価すべきではない」と強調し、最富裕層と最貧層の格差に焦点を当てて議論を進めている。2人が参照しているデータ自体には大きな違いはないが、そのデータを解釈する前提となる世界観や価値判断に大きな隔たりがあるために、まったく異なったナラティブを導き出しているといえる。

 ヴァルデンストロム氏は「20世紀には富が民主化した」との基本認識に基づき、分譲マンション建設の優遇やローン補助といった個人の自宅所有に対する支援、年金貯蓄の証券化、労働所得課税の見直し、(富ではなく)資本所得に対する課税などを提案する。

 同書のデータはアメリカやヨーロッパ主要国に限られており、アジアやアフリカ諸国との国家間格差は視野に入れていない点にも注意が必要だろう。

(後編に続く)

写真/スタジオキャスパー