経済の発展とともに「不平等」や「格差」の問題はどのように認識され、どんな議論が展開されてきたのか。「経済学の書棚」第34回後編は、経済学の巨人たちのこの問題への取り組みを追う『不平等・所得格差の経済学』、平等や不平等に関する規範研究の成果を活用し、この問題を考える際の座標軸を提示する『平等とは何か』、分析的マルクス主義の主唱者が平等の実現を目指して独自の理論を展開する『機会の平等』を紹介する。
6人の経済学者が解明した分配の構造
資本主義社会が勃興し、発展する時代に生きた経済学者や哲学者たちは、不平等や格差の問題をどのように認識し、どんな議論を展開してきたのだろうか。後編では、先人たちからトマ・ピケティ氏に至るまで、さまざまな論者たちの議論を踏まえつつ、不平等問題への対応を検討する際のベースとなる概念や考え方を整理している著作を紹介する。それぞれの論者が何を重視しているのか、自分はどの意見に賛成なのかを見極める物差しになるのではないだろうか。
ブランコ・ミラノヴィッチ著『 不平等・所得格差の経済学 ケネー、アダム・スミスからピケティまで 』(立木勝訳/明石書店/2025年2月刊)は、経済学の大家たちが不平等問題に取り組んできた軌跡を追う本だ。
著者は世界銀行の主任エコノミストを20年間務め、現在、ルクセンブルク所得研究センター上級研究員。所得分配、不平等、グローバリゼーションに関する研究を続けている。
同書が取り上げるのは、フランソワ・ケネー、アダム・スミス、デヴィッド・リカード、カール・マルクス、ヴィルフレド・パレート、サイモン・クズネッツの6人。それぞれに1章を割き、6人の所得分配に関する論考を掘り下げる。
これに続き、「冷戦期 不平等研究の暗黒時代」(=1960年代半ば頃から1990年までを指す)と題する第7章では、この時期の不平等や格差問題に関する研究の特徴をまとめている。この章だけは特定の学者にスポットを当てるスタイルにしなかったのは、全般に研究活動が停滞し、個別に紹介するに値する学者が見当たらないと見ているためだ。
登場する6人はいずれも、経済学の歴史に名を残した人物であり、研究の内容は膨大かつ多様だ。同書では所得分配の問題に焦点を絞り、賃金はどのようにして決まるのか、利潤と地代との間に対立はあるのか、社会が発展するにつれて所得分配はどのように進化するのかといった問いを想定し、各思想家がどんな答えを出していたのかを解明する。
各思想家の「規範的な見方」には関心を払わず、かつ、世界を可能な限りその人物の視点から見るように努めたと説明している。
所得分配にテーマを絞り込んだ経済学説史といえるが、「ケネーのスタイルはもともと曖昧で数字上の誤りが多く、非常にわかりにくい」「アダム・スミスは(自著の中で他者の論考や著書などを)引用したがらないことで有名」「リカードは最も金持ちの経済学者だった」といったエピソードも豊富で、読み物としても楽しめる。
所得分配をめぐる興味深い論考も発掘している。マルクスが提示した「資本主義社会の矛盾が広がる中で労働者階級が革命を起こし、社会主義に移行する」という近未来像はよく知られているが、これは所得不平等の展開についてマルクスが思い描いた4つのシナリオの1つにすぎないという。
著者によると、ケネー、スミス、リカード、マルクスは不平等を本質的に階級現象だと見ていた。ケネーにとって階級は法的に定義されたものであり、聖職者、貴族、第3身分(ブルジョアジー、労働者、農民、貧困者、浮浪者など)からなる。スミス、リカード、マルクスは所有する資産のタイプの違いによって階級を区別した。地主、資本家、労働者からなり、国民の総所得は、地代、利潤、賃金として分配される。
パレートは階級ではなく、個人間の所得の不平等を分析し、エリートと大衆との間に生じる亀裂を明らかにした。クズネッツは、所得の不平等は農村地域と都市地域、すなわち農業と工業との格差から生まれるとの仮説を示した。経済学の大家たちはテーマを所得分配に絞っても豊かな論考を残したことが分かる。
不平等研究が停滞した「冷戦期」
ところが、冷戦期に入ると所得分配に関する研究は停滞か後退さえしたと著者は見る。その主な理由は(1)共産主義国家、資本主義国家の双方が「階級」や「格差」が自国には存在しないと主張し合い、事実から目を背けた、(2)(資本主義陣営では)階級構造や資本の初期保有、個人が市場に参入するためのスキルなどを放置した一般均衡分析が理論研究の中心となった、(3)西側諸国では、第2次世界大戦終了後から1970年代半ばまで、高い成長率、福祉国家の登場、社会的流動性の拡大、所得の資本分配率の低下、個人間の所得不平等の縮小によって、不平等の問題に注目が集まらなかった、(4)富裕層が研究予算を提供し、研究の流れを決定づけた、の4つだと断じる。著者はこうした状況を「冷戦経済学」と呼び、厳しく糾弾している。
「エピローグ――新しい始まり」と題する章は、不平等の研究は21世紀の初めの10年で爆発的に広がったとの記述で始まる。30年にわたって増大を続けていた所得不平等が明白になってきた頃、冷戦経済学が強要した無階級性と「合理的経済主体」という拘束衣が破られ、研究が自由になってきたと歓迎する。
不平等研究を前進させた3つの展開として、トマ・ピケティ氏による研究、職業所得に関するデータや多様な社会階級の所得の推定値などを示す動的な「社会構成表」の作成に取り組む研究者の増加、グローバルな不平等研究の進展を挙げる。
グローバルな視点で見ると、国家間の不平等は貧しい国における国内の不平等と結びついており、重要な研究課題だ。また、国家を超えたグローバルエリートの登場が国際関係や民主制、腐敗、課税にどんな影響を与えるのかも重要なテーマになるとの見通しを示す。
著者は優れた不平等研究は、ナラティブ(特定の力の相互作用を通じて所得分配が形成される道筋を語るときの記述の仕方)、理論、実証からなると指摘する。3拍子が揃った本を手に取る読者が増えれば、不平等問題に対する社会の関心がさらに高まるだろう。
ミラノヴィッチ氏は先人たちの「規範的な見方」をあえて避けた本にしたが、不平等や格差の問題を論じる思想家たちの背景にあるのは、各人の規範や価値観であろう。リカードが資本家、マルクスが労働者の立場を重視して論理を組み立てたのは、彼らの思想や哲学が大きく影響している。
田中将人著『 平等とは何か 運、格差、能力主義を問いなおす 』(中公新書/2025年3月刊)は、平等や不平等に関する規範研究の成果を活用し、この問題を考える際の座表軸を提示する書だ。著者は岡山商科大学准教授で、専門は政治哲学・政治思想史。哲学者のジョン・ロールズやトマ・ピケティ氏に賛同する立場から、平等に関連する概念を整理し、目指すべきビジョンを提示している。
規範研究とは「物事がいかにあるべきか」を考察の対象とする研究を指す。規範研究の役割の一つは、重要な用語の交通整理にある。ずさんな言葉づかいをゆるせば、必ずや高いツケを払わせられると警鐘を鳴らす。問題のない平等が「悪平等」とよばれたり、問題含みの不平等が「実力主義」の結果とされたりするのが一例だ。
不平等に反対する4つの理由
不平等になぜ反対するのか。ロールズや彼の影響を受けた道徳哲学者、トマス・スキャンロン氏が提示する理由を参考に、著者は4点を挙げる。
- (1)剥奪:恵まれない人びとに貧窮ゆえの苦しみを生み出す
- (2)スティグマ化:社会的地位の不平等が特定の人びとを劣った者とみなさざるをえないような関係を市民のあいだにつくりだす
- (3)不公平なゲーム:政治的・経済的な手続き上の公正さ(=平等な者としての扱いを可能にする前提)を歪める
- (4)支配:社会的・経済的格差が政治的影響力に反映されるなど、一部の者が社会を牛耳るようになる
不平等の見えやすさは(1)~(4)の順になる。(1)による貧困、(2)による差別を放置すべきではないという判断に関してはコンセンサスが成立しているが、(3)不公正さ、(4)支配については判断が割れる。
(1)~(4)を反転させると、平等を支持する理由になる。
- (1)生活保障:恵まれない人びとに一定水準の生活を保障する
- (2)優先的配慮:差別されている人びとの苦境を優先して改善する
- (3)影響の中立化:選抜試験やキャリアパスでの不利益や悪影響をなくす
- (4)非支配:少数の人びとが社会的・経済的・政治的権力を掌握することを防ぐ
さらにこれらは現代の政治理論・道徳理論における以下の平等主義の立場に大まかに対応する。
平等を実現するための4つの主義
- (1)充分主義:一定以上の閾値(いきち)を満たすことが平等である
- (2)優先主義:不遇な人びとの状況を優先して改善することが平等である
- (3)運の平等主義:不運の影響を取り除くことが平等である
- (4)関係の平等主義:対等な存在としての人びとからなる社会をつくることが平等である
著者はこう整理したうえで、平等が最終的に目指すべきものは「支配の不在」だと強調する。自尊心、アファーマティブ・アクション(積極的な差別是正措置)、能力主義、自己責任論、機会の平等といった用語も吟味していく。
同書では、(1)~(4)の項目に関連する哲学者たちの議論にも言及しながら、それぞれの内容を詳しく解説する。アイザイア・バーリン、ヘーゲル、アリストテレス、レオ・シュトラウス、トマス・ホッブズ、ミシェル・フーコー、ニコロ・マキアヴェッリらが次々と登場し、思考の補助線を引く。
基本概念を整理したうえで、経済上の平等、政治上の平等、評価上の平等の順に論じ、著者が最重視する「関係の平等主義」を実現するためのビジョン「財産所有のデモクラシー」への道筋を示す。この用語はノーベル経済学賞を受賞したジェームズ・エドワード・ミードに由来し、ロールズが発展させた。支配の不在=関係の平等を目的として、すべての人びとに生活の土台を保障する、という考え方だ。
著者は平等についての6つのテーゼを掲げて同書を締めくくっている。
- (1)不平等は組み合わさることで一層の悪影響をもたらす
- (2)平等の要点は「局所的な平等化」をこえた支配の不在にある
- (3)公正な能力主義は平等主義を意味しない
- (4)事後の再分配ではなく、事前の分配が重要である
- (5)私的利益が公共的利益にとって代わるのを見過ごしてはならない
- (6)一元的な基準から距離をおき、多元的な価値を配慮すること
後編の最後に、平等の実現を目指して独自の理論を展開する著書を紹介する。ジョン・ローマー氏は『 機会の平等 境遇による格差から自由な社会に向けて 』(後藤玲子、吉原直毅訳/勁草書房/2025年2月刊)で、経済理論家としての強みを生かして平等の問題にアプローチしている。
「競技場を平準にする」ための理論
同氏の専門は理論経済学で、「分析的マルクス主義」の主唱者の1人だ。マルクス主義の経済理論に加え、分配的正義の理論、市場社会主義の理論などを打ち出している。左派の規範的な立場を貫き、貧困、不公正、不平等、搾取、支配と抑圧といった諸矛盾の基本原理の解明や政策対応の基礎理論に取り組んできた。同書では、地位をめぐる競争をしている諸個人間の「競技場を平準にする」ための「機会の平等化政策」を提唱する。
議論の出発点はトマス・スキャンロン氏の道徳的責任論だ。「ある人が健全な精神状態で、ある行動をすると決めたのであれば、それに対して道徳的に責任がある」というスキャンロン氏の議論を受け入れる一方、個人の行為には環境が影を落としており、結果に対する個人の答責性(注:同書ではaccountabilityの訳語としてこの用語を使っている)を割り引くことができると説く。
「努力分布」に注目
ここでローマー氏は、努力の「水準」と努力の「程度」という概念を持ち出す。人間は生育環境などに応じて異なる「努力分布」のタイプの集合に属している。例えば、努力分布が低い水準のタイプの集合に属するAさんが集合内では最高水準の努力をしたとしても、努力分布が高い水準のタイプの集合に属するBさんが、ほどほどの努力をしたときよりも、努力水準は低いかもしれない。この場合には「努力の程度」が高かったAさんの方に軍配を上げ、資源を分配する。
ローマー氏は自身が提起する機会の平等化政策を、経済学の標準的なモデルの下で動かし、他の制度と比較している。この展開に関する記述は難度が高いが、数理経済学者としての強みを生かしているといえる。そもそも個人を環境によって分類したり、努力の分布や水準を計測したりできるのかという疑問は浮かぶが、「機会の平等」とは何かを考え直すための材料になるだろう。
同書の原書の刊行は1998年。巻末の解説で訳者の吉原氏は「原書が四半世紀前の出版物ながら内容的に全く色あせることはなく、機会の平等化政策論はとりわけ日本社会における経済民主化を今後推進していくうえでも必読な知見である」と指摘する。もう一人の訳者の後藤氏は、ローマー氏は、最も不遇な人びとの期待の最大化を要請する「格差原理」を説いたジョン・ロールズと、伝統的な経済学の努力観の間をいくと解説し、同書には規範経済学のテキストとしての意義があるとアピールしている。
日本はどんな平等を目指すべきなのか、不平等を巡るナラティブ、理論、データに加え、各人が自らの規範や価値観と向き合いながら、合意形成を目指すしかない。
写真/スタジオキャスパー



